あっという間に定着した「振り込め詐欺」という名前がまだなかった頃、話題になり始めていた「おれおれ詐欺」に関して、どこかの掲示板で面白い提案を目にしたことがある。振込み先銀行口座をうまく聞き出して、凍結してしまえばどうか、というものだった。
ある日電話がかかってきて、出たらおれおれである。おれと言われても、おれなどという知り合いはどうもいない。普通はここで電話を切るか、間違いではありませんか等と告げる(向こうが失敗を悟って電話を切る)、というパターンを辿るのだろうと思うが、ここで、わざと会話を続ける。交通事故を起こしちゃってとか、その相手がやくざでとか、やくざと同乗していた妊婦が流産しちゃってとか、そのおかげで指を詰められそうになってとか、そのうえ腎臓を売り飛ばすと言われててとか、既に腹を半分くらい切られててとか、その他筒井康隆的なストーリー展開があると思われるが、そんな人生いろいろの末、しかし結局はおれおれ詐欺なので、最後には銀行の振込口座を言うはずである。そこで別途当該銀行に電話をして、経緯と口座番号を告げるのである。
私が読んだ提案では、ここで「おれおれ詐欺らしいので」と単に言ったのでは、確認に時間がかかったりして手間ばかりかかるので、銀行には「キャッシュカードを拾ったのですが」と嘘をついて、とりあえず口座を凍結してもらう、というテクニックを紹介していた。この手の詐欺がすっかり知名度を得た今となってはまた事情は異なるのではないかとは思うけれども、銀行の口座凍結作業の行内基準などがうかがえて面白い。
いろいろとやりくちはあるようだが、常識で考えて、詐欺グループにとっても偽名口座を作るのは左から右へとは行かず、それなりの手間とお金がかかると考えられる。それをこのようにして次から次へと無為に無効化されてしまうのは、詐欺犯にとって愉快なことではないに違いない。実際にその後、各種の振込み詐欺において、振込みぎりぎりまで銀行口座を教えない手口(携帯電話を繋いだまま被害者にキャッシュコーナーまで行ってもらって、はじめて口座番号を教える等)が出てきたとの報道もあった。巧妙なものだが、これは逆に、上と同じようなことを考える人が多く、詐欺犯の仕事がかなりやりにくくなっていた、ということだと思う。
それでも振り込め詐欺は、警察庁の月別認知件数として増えも減りもしておらず、まだまだ猖獗をきわめていると言える。ビジネスとして成立してしまっているのだと思うが、そういう意味で、たまたま詐欺に遭いそうになった場合には、せいぜい相手を妨害してやるのが人の道というものではないだろうか。口座番号を聞き出すのが難しいとしても、長い時間詐欺犯を拘束できたならば、結局、詐欺をたくらむフラチなヤカラに無駄骨を喰わせるという当初の目的はなかば達成できたと言えるのだ。ビジネスモデルの崩壊とまでは行かなくても、卑劣な詐欺グループのメンバーをがっかりさせ、仕事をやりにくくし、かれらの今日をいくらかみじめなものにしてやるのは痛快なことである。
この「相手の時間を使わせる」というのは、この現代社会において、実はかなりの意味を持つかもしれない。忘れがちだが時間は有限であり、特に振り込め詐欺の成功率が高い時間はそう長くない。時間切れに持ち込めれば、それだけ他の人を騙す為に使われる時間を世界から減らすことができた、ということである。別の言葉で言えば、詐欺をしかけられたシチュエーションにおいては詐欺犯は我々にお金を使わせなければ勝ちではないが、こちらは相手に無駄な時間を過ごさせれば勝ちなのである。いや、考えてみるとべつに得にもならないが、社会のためにはなる。ここは一つ、よいことをしてうまいご飯を食べようではないか。
振り込め詐欺ばかりではない。あらゆる同種の詐欺において、同じ戦法は有効である。たとえば、フィッシング詐欺だ。本物そっくりに作られたパスワードや個人情報を掠め取ろうとする偽サイトであるが、ここへ誘導するメールは、ある程度自動的に送られているかもしれない。しかし、たまたま引っかかった人のパスワード等を受け取り、それで悪いことをするのはたぶん生身の人間である(場合が多い気がする)。かれらをがっかりさせるには、ニセのパスワードなりカードの番号なりを書きこんで送信してやるのがよい。同様に、電話でカード会社から暗証番号の照会があったら、嘘を教える。犯人が偽造カードを持ってのこのこ銀行に行って、教えられた番号を入れてぽちぽちピーあれれどうして引き出せないんだろうと首をひねっているさまを思い浮かべると、とても愉快になる。
また、詐欺と言ってしまうと怒られるが、いきなり職場に電話をかけてきて、投資の対象としてマンション経営を勧めるヤカラにも、がちゃりとすぐ電話を切るのではなく、無駄骨を喰らわす。のらりくらりと話をして、ところであなたは阪神タイガースのファンですか私はタイガースファンしか信用しないことにしているんですが等関係ない話をして電話を長引かせる。電話セールスを敢行する無礼な(業者にもよると思うが、本当に無礼なやつが中にいる)セールスマンの時間をそうやってじりじりと削り取って行くのである。飽きてきたらずずずと音を立ててコーヒーを飲んだり、ばりばりとせんべいを食べるのもよい。「ちょっとお待ち下さい」と言い置いてそのまま放置するのもよい。
と、私が本当に以上のようなことに暗い快感を覚える、暗い性格の持ち主であることがこれでわかるが、それはそれとして問題はある。上には「自分自身の時間も無駄に使われる」という致命的な難点のほか、ある程度の、無視しがたい危険が伴うのだ。仮に時間を度外視し、ちょうどヒマなのでせいぜい世の中によいことをするか、と決意していたとしても、相手をあまり見事にひっかけ、心底怒らせてしまうと、あとでなにをされるかわからないという恐怖がある。なにしろ、相手は最低限こちらの電話番号を知っているわけで、怒ってまたかけて来られたりしたらたまらないではないか。
その意味では比較的安全なのはフィッシング詐欺の話だが、これもスパム全般クリックするべきでないという原則からすると、決して勧められる行動ではないと言える。そうしてアクセスした先でセキュリティホール等を利用したウィルスに感染するかもしれない。それ専用のおとりマシンを持っているような人でないと、なかなか実際にはやってよいことではない。
というわけでまったくの机上の空論であり、かかわり合いにならないに越したことはないというつまらない結論になるのだが、このような逆襲法あれこれにつきあわされる詐欺未遂犯の困惑顔を思い浮かべるだけで、この人たちも大変だなあと、ある程度詐欺の存在を許してしまえそうな気がするから危険である。なんであれ、楽な仕事というのはないのは確かであるが。