ペテルブルグの富くじ売り

 ここでも一回は触れたことがあると思うが、「サンクト・ペテルブルグの逆説」という話がある。ベルヌーイ、というだけではどのベルヌーイだかわからないが、ダニエル・ベルヌーイが考えたもので、賞金が倍々で増える賭けの期待値を扱っている。

 説明ははじめてではないと思うので恐縮だが、もう一回、簡単に説明すると、こういうものだ。まず、コインを投げる。表だったら1ダカット(でもドルでも円でもなんでもいいが、1通貨単位)もらえる。裏だったらもう一回コインを投げる。それで表だったら賞金は倍の2ダカット。裏だったらさらにもう一回コインを投げる。次に表だったら賞金は4ダカット、裏だったらまた投げる。こうして、裏が出るたびに賞金は倍に、どこまでも増えて行くのだが、さて、この賭けの期待値、すなわち、多数の試行を均した平均賞金額はいくらか。

 これが逆説だというのは、計算された期待値が無限大になるのに対し、実際この賭けの魅力ということで言うと、直感的には2ダカットか3ダカットくらいに思えることである。この乖離を説明すべく「効用」の考え方(全財産が百円のときに千円もらうと嬉しいが、十億円の資産があるときに千円もらってもさほど嬉しくない、など)をはじめとして、さまざまな説明が試みられている。もっともだと思うのだが、もう一つ、これには「言い方」という問題があるかもしれない。

 この逆説に関して、「無限に賞金が増えてゆく」というのは、実はどうしても必要な要素ではないと思う。確かに、たまたま裏ばっかり出てコインを投げつづけることができたとすると、理論的には賞金がどこまでも増えてゆくのだが、人生、生まれてから死ぬまでコイン投げだけで終わりました、というのはあまり楽しくないし、指も痛くなる。確率的なこともそうだが、寿命は有限なのでどこかでゲームは打ち切りになるはずである。

 この賭けの期待値を計算するには無限級数の和を計算する必要があるが、この無限級数が発散する(足し合わせてゆくと無限大になる)という事実を知るために、数学的知識はあまり必要ない。計算が次のようになるからだ。

1ダカットもらえる確率=一回目でコインが表になる確率なので1/2 …… この期待値は1×1/2=0.5
2ダカットもらえる確率=一回目で裏、二回目で表になる確率で1/4 …… この期待値は2×1/4=0.5
4ダカットもらえる確率=二回目まで裏で、三回目で表の確率で1/8 …… この期待値は4×1/8=0.5
8ダカットもらえる確率=三回目まで裏で、四回目で表の確率で1/16 …… この期待値は8×1/16=0.5
……

 つまり、一回コインを振るごとに期待値は0.5ずつ増えてゆくのであり、0.5を無限回足すと無限大になるという、そういう簡単な話だ。ここで仮に、コインを振る回数が十回までに制限されていて、十回目で裏だと十一回目は自動的に裏が出たことにされてゲーム終了(このときの賞金額は1024ダカット)ということになったとする。この場合の期待値は無限大に発散はせず、0.5を10回に1(最後の1024ダカットの分)を足し合せたものになる。合計6ダカットである。

 ゲームを有限で打ち切ってしまうことにすると、これは逆説でもなんでもなくなるはずである。ただの賭けとその期待値という話だからだ。ところが、この有限ゲームの魅力は無限に比べて、そんなに減退も増大もしたようには思われない。最初のペテルブルグコイン投げに、しかもゲーム打ち切りなどという実にチキンなルールが付け加わって、参加費は6ダカット。五分五分の賭けに最低三回勝たないと儲けが出ない(しかもそのときの儲けはわずか2ダカット)という賭けに、参加する人は少ないのではないだろうか。ゆえに、この賭けにおいては、本来イーブンな賭けであるのに、こんなに魅力がないのはなぜかというあたりをまず問う必要があると思うのである。

 即ちこれが「言い方」である。売り方と言ってもいい。同じ物を売る場合にも、売り方によって天地の差が出ることはみんな知っている。ぼさっとしたペテルブルグコイン投げを、消費者にとっての魅力という観点から改良するために、たとえば高額の賞金から順番に並べてみるというのはどうだろう。コイントスというのも乱数発生器としては迂遠なので、よく遊園地やスパリゾートハワイアンズなんかに行くとある、大きなカゴのなかでスピードくじがぐるぐる回っているようなものを採用する。

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一等に外れても、二等512ダカット〜九等2ダカットまで、当籤確率は倍々に増えてゆきます。万が一外れても、1ダカットをプレゼント。参加費は一回たったの6ダカット。レッツトライ!

 賞金の代わりに「1024ダカット相当の商品」(ニンテンドーDSあたりがよいと思われる)等を置いておけばばっちりである。いや、上の文章は私の非才を反映して魅力に欠けると思う方も、書き方によって賭けの性質まで違って見える、というのは納得してもらえるのではないだろうか。もとのペテルブルグ式の賭けの表現法は、たいへんまずい書き方であるということだけは、確かだと思うのである。

 さて、このことについてさらに考えると、普通我々が買うところの宝くじにおいても、三億円を強調するから買う気になるが、本来はかなり不利な賭けであるというのは、ここで何度も書いてきた通りだ。ペテルブルグ方式でこれを書き直したらどうなるのかというと、こうなる。

十枚につき一枚だけ当たりがあるクジがあります。
この十枚から一枚を引いて、当たりが出たときだけ次に進めます。ダメならハズレ。賞金はなし。
元の十枚から一枚を引いて、当たりが出たときだけ次に進めます。ダメなら賞金は300円。
元の十枚から一枚を引いて、当たりが出たときだけ次に進めます。ダメなら賞金は3000円。
……

 こういうのが三億円まで続くが、このへんでもういいよ当たりっこないよ、という感じがしてくる。これにいくらなら払ってもよいかと聞かれたら、どうだろう。30円か40円くらいが、せいぜいだという気がする。実に、示唆に富んだ逆説ではないだろうか。


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