世界を支える棒

 アトラスというのは、ギリシャ神話の登場人物で、空を支えているとされる巨人の名前である。世界の西の端にいて、天が落ちてこないよう、その両腕で支えている。そこへ英雄ヘラクレスがやってきて、いろいろあって一時彼の代わりに空を持たさせられたことがあって、さらにあれこれあって結局アトラスが元通り支えることになった、今も支え続けている、と、ざっとそのような話がある。

 子供の頃これを聞いて、ああ大変だ、聞くだに辛そうだ、どんな仕事が嫌だと言ってこれは嫌だ、と思った私だったが、それからこちら、物理学などというものを学んだ今になって思う。アトラスにせよ、ヘラクレスにせよ、ずっと支え続けるだけなら外に向かって特に「仕事」をしているわけではない。だからといって支えるのをやめたりしたら空がぼとっと落ちてきて、たとえば中国の杞の国の人などがたいへん困るのではないかと思われるが、それなら、と思う。代わりにつっかい棒かなにかを置いておけばよいのだ。

 それを言ってはおしまいである、という気がしないでもないが、もし棒で肩代わりができる仕事であるなら、そこのところに気づかず人生の楽しみを捨てあたら若い身空を天を支えることに費やすなど、アトラスにしてもヘラクレスにしても「脳ミソたりなかったのとちがうのオーッ」と言いたくなる。支えながら波紋を練り続けなければ空が落ちてくるとかそんな事情があるのかもしれないけれども。

 などという分かりにくい引用はともかくとして、私の家のトイレの戸棚である。最近、戸棚が気になるのだ。今回は要するにトイレの話、もっと言えば私の家のトイレの戸棚の扉の話で、どうも「の」の連続が気になるし、天とか神話のことを書いたあとにこんなミニマムな話題でいいのかと思うが、とにかく今回はそういうことなのである。

 私の家のトイレの、高いところに棚があると思われたい。作り付けのものではなくて、私がホームセンターで買ってきて組み立てて設置したものだが、買い置きのトイレットペーパーとか、詰め替え用芳香剤とか、そういったようなものを置く棚である。棚には扉がついていて、それは上に開くようにできている。ばね仕掛けで、開いて、手を放しても勝手に閉まるようなことはない。それはよいのだが、なぜかこれが、何者かの手によって開けっ放しになっていることが多いのである。

 それは妻の仕業ではないか、とあなたは思うかもしれない。そのとおりである。トイレットペーパーの新しいロールを取り出した後、閉め忘れているのだろう。また、開いているなら閉めればよいではないか、ともあなたは思うかもしれない。そのとおりである。考えてみれば、開けっ放しになっているからといって、特に困ることはなにもなく、開いた蓋に頭をぶつけることも、中からものが落ちてくることも、まずない。しかし、まあ、見栄えが悪いといえば悪いと思うので、見つけたら閉めるようにしている。じゃあいいではないか。そうなのだが、それが何度も続くと、気になるのである。なんで閉めないのか、そういうポリシーか、わが君よ。

 といってもちろん、開いていて不快だとか、閉めさせられて不快だとか、そういうことはないので、私は一生彼女のためにトイレの棚の扉を喜んで閉めさせていただく覚悟なのだが、トイレというのは暇なところなので、これに関して二つ思いついたことがある。一つは、
「トイレのロールを自分が交換する頻度から、あるトイレに関して自分と自分以外の人のトイレットペーパー消費量比が求められる」
ということ、そしてもう一つが、
「棚の上げ扉は上げている状態と閉めている状態、どちらがバネにとってラクなのか」
という問題である。前者は、よく考えると明らかな話に思えてくるので、今回は後者、上のアトラス問題とも関係する命題について、考えてゆこうと、そういうことである。

 永久磁石は、使わないときも、なにかにくっつけておくほうがよい、と言われる。永久磁石にとって、釘やらなにやらを吸い付けている状態というのは、力を発揮しているということなので、それを続けると疲れ切ってしまうのではないか、と素朴には思う。使わないときくらい、引き出しの中、鉄なんかのことは忘れる時間を与えてやるべきではないか、と思うわけだが、そうではなく、永久磁石にとっては磁力線が鉄の中を通って戻ってくる状態(磁路が閉じている状態)のほうが安定な状態で、少なくとも、磁石がなにかにひっつく、その「力」を長く維持するためには、鉄板か何かにくっつけておくほうがよいとのことである。

 ではバネはどうなのか。私の家のトイレの棚の扉は、バネでもって閉まらないようにできているので、扉が開いているということは、仕込まれたバネが、縮んだというか伸びたというか、とにかく自然長に近い状態ということになる。扉を閉めた状態がバネに力を蓄えた状態である。繰り返すが、磁石は上のようであるとして、ではバネの場合はどうなのか、どっちの状態で維持するほうが、性能が長持ちするのか。

 教科書を見ると、金属のバネの場合、外から力を加えてゆくと、力が「弾性限界」というある範囲内に収まる場合には、変形はするもの、力を取り除いたあと、もとの形に戻ってくる。限界を超えてさらに力を加え続けると塑性変形という、もう二度ともとには戻らない変形を始めるのだが、力が十分弱ければ、伸び縮みによってバネの性能は変化しない、ということになっている。私のトイレの棚の扉の設計者は、もちろんバネを弾性限界内で使うように設計しているはずで、だからまあ、どっちでもよいはずだ。保管時に伸ばそうが縮めようが、どちらでもバネ力は長期間変わらない、ということである。

 ただ、大まかにはそうとしても、厳密に理論通りにゆくかというとそうはいかない、と思う。長い間に熱されたり冷やされたり、振動を加えたり宇宙線の照射を受けたりしていると、なんであれ、蓄えられたエネルギーはいつのまにか放出されてなかったことにされ、縮んだバネは縮みっぱなし、伸びたバネは伸びっぱなしになる、そういうふうになるのではないか。いや、これは実は想像で物を言っているのだが、与の常として、そういう方向であるはずだ。

 これが正しいとすればだが、磁石とは異なり、バネはなるべく力を発揮していない状態、自然長に近い状態で保管するほうが長持ちするということになる。ということはだ、この私の家のトイレの戸棚の扉の場合、開けたままにしておくほうが、長い間性能を維持できる、ということなのではないか。

 というわけで、あなたがもし、私の家を訪れ、そしてトイレに入ったとしたら、あの戸棚の扉が開いているのは、決してブショウでこうなっているわけではない、ということをご理解いただきたい。実際に棚を開け閉めしてみると、感覚として「開く」の位置でなにかラッチ機構のような、アトラスがズルしてつっかい棒でもって天を支えているような、そういう感覚があるのだが、私としては「バネのため開いている」ということにしたのである。したのであるったらしたのである。むしろ、それぞれの家には、それぞれの事情があるのだなあ、大西もたいへんだなあ、と暖かい目で見守っていただけると幸いなのである。なのであるったらなのである。


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