ニュートンの運動法則の一つに「慣性の法則」というものがある。止まったものは止まったまま、運動するものは運動したまま、外力が作用しない限りいつまでも同じ状態でいる、と、散文的に書くとそういう性質を述べたものだ。中学生でも知っている、当たり前のことである。ただ、理屈でこういうものとわかっていることと、本当に理解することは、これはまったく別のことであるらしい。私は地球生まれの地球育ちで、少なくとも十八の歳、初めて宇宙で独りぼっちになるまで、本当にこのことを理解できてはいなかった気がする。
あれは高校の修学旅行で、古い観光シャトルを使ったツアーの中に、命綱なしの宇宙遊泳の体験イベントが用意されていたのだった。クラス委員をやっていた私は、首尾よくクラス代表に選ばれて宇宙服を着せられ、たった一人、地球を頭上に見上げる衛星軌道上を漂流した。まったく、あれはなんという体験だったろう。足元の星空は気味の悪いほど深く、どこまでも無限に落ちてゆきそうだった。そして、それが実際に可能なのだということ、地球の(そして太陽の)引力圏を脱すれば、慣性の法則に従ってどこまでも、人類圏を離れはるか宇宙の涯までも落ちて行けるのだということを、私は本当に理解したと、そう思った。
しかし、それでも本当にはわかっていなかったのだ。そのことがわかったとき、はじめ私はどうにかならないものか、実はなにか笑ってしまうような解決策があり、数年あとには懐かしい地球で妻や子供に再び会える日がやってくるのではないか、と思えてならず、何度も無駄な宇宙遊泳を試みて自分の船の周りをうろうろしたものだった。自力でありあわせの工具を使って核融合エンジンを修理するとか、タンクに穴をあけて噴射の反作用を使うとか、あるいは、船の機材をむしり取って船殻から宇宙に思い切り投げたらどうかとか、それはもう夢のようなことまで考えた。しかし、冷静になって計算した、その結果はいつも否定的だったので、私はそのうち考えるのをやめた。
「リドベルグ03022」。それが私の棺桶につけられた名前だった。地球と木星、土星などの外惑星を行き来する、一人乗りの貨物宇宙船だ。当時、地球はひどい不況で、大学院まで出ていながらこんな仕事でも見つかったのは僥倖と思わなければならなかったが、それも外惑星との間をたった二往復したあと、リドベルグ03022の核融合エンジンが異常燃焼を起こし、私を乗せたまま外宇宙に向けて居住ブロックをはじき飛ばすまでのことだった。第三宇宙速度をはるかに超える速度で、私を乗せた船はでたらめな方向へ加速され、会社にも政府にも誰にもどうにもできないまま、やがて太陽系から遠ざかっていった。そしてまだ遠ざかっている。
地球への帰還がどうしても無理だとわかった時点で、実は私は自殺も考えた。宇宙における自殺は簡単なことで、たとえば安全装置を切ってエアロックを解放すればよい。しかし、いざとなればなかなか踏ん切りがつかないもので、日延べしているうちに時間だけが過ぎていって、数えてみればあれからもう十年、私はなんとなくここでこうしている。画期的な高効率のエンジンを積んだ宇宙船が発明され、誰かが低コストで私を迎えに来てくれる日がくるのではないか、というわずかな望みがないではないが、そんなわずかな希望よりも私を救ったのは、ただ「踏ん切りがつかない」ということ、それだけだった気がする。
皮肉なことに、宇宙船のメインエンジン以外の機能は失われていないばかりか、まったく快調だった。もともと一人で長期のミッションをこなすための外惑星宇宙船だけあり、搭載された原子力電池は私の生命維持に必要な電力を何百年先まで生み出し続ける余裕がある。食料生産にも酸素供給にもまったく何の問題もない。限りない訴訟と損害賠償請求の末、人間の生命がもっとも高価になったこの時代、多重化されたこれら生命維持装置は、私の生活を、酒池肉林とは言わないまでも、何不自由ないものに維持してくれている。病気や怪我に備えたロボット寝台もあるし、それよりも定期的な健康診断のおかげで、生活習慣病の不安もない。通信機能にも不満はなかった。
そう、通信機能はすべて生きているのだった。私はここ、いくつもの天文単位によって隔てられた宇宙船の中にいながらにして、地球のテレビを見、最新の小説や音楽、映画をチェックし、返事が遅くてよければメールを書いたり読んだりもできている。妻は、私を失ったことを嘆き、悲しんだが、具体的に自分にはどうしようもないこと、そして何よりも、現状特に問題なく、私が毎日普通に起きてご飯を食べてあいさつを送ってくることに気がつくと、しだいに慣れていった。「私のいない生活に」ではない。「私が通信の中にしかいない生活に」だ。
まったく、妻が再婚して、などという懸念さえ、まったく杞憂だった。私の宇宙船と家のリビングはなんだかんだでいつも繋がっていて、私は事実上、家族と一緒に生活していたからだ。運送会社がよこした賠償金のおかげで生活は苦しくなかったし、それどころか、私がいつまで経っても死ぬ様子がないのがわかると、会社は私に「在宅勤務」を命じてきた。それからというもの、私は日に八時間、書類仕事をして暮らすようになっていた。いつのまにか地球は不況を脱し、人手が足りない時期を迎えていたからだった。
今週、地球では八月が終わろうとしている。私はあらかじめダウンロードしておいた課題図書を宇宙船のビューワーで読み、ああでもないこうでもないと文章を練っていた。私が地球を離れてすぐ生まれた、十歳になる息子の、夏休みの宿題の読書感想文を考えてやらないといけないのだった。通信速度を考えると締め切りはもうすぐ近くで、私にはまだなにもアイデアがない。本当に、最近の課題図書は難解である。
まったく。私は思った。慣性の法則を真に理解したなど、どの口が言ったのか。私の人生の慣性こそ、もっとも打ち破り難いものではなかっただろうか。そんなことを考えながら、私は宇宙船の窓から、無限に続く星空を眺めていた。