「寝だめはできない」という話をよく聞く。人間の本来的な構造として、忙しい仕事の前にあらかじめたっぷり寝ておいて、つまり寝だめをして、代わりにそのあと何十時間も続けて働く、などということはできない相談であるということである。寝だめがもしできれば便利だし、生存競争上もさぞや有利だろうと思うのだが、事実として我々の体にそんな機能はない。いや、医学的に正しいかどうかは実はわからないが、個人的な経験としては確かに、暇にあかして十六時間くらい寝た次の日も、夜中になるとやっぱり眠くて寝てしまうのである。いわゆる「無意味な休日」というものになる。
しかし、人体の構造がそのように我々現代人にとっては辛く厳しいものだとしても、少なくともこの事実は逆方向にも利用可能である。つまり、睡眠時間は貯蓄できず、せっかく貯めても一晩経ったら消えてしまうものだとして、ということはその反対側、睡眠不足もまた、貯蓄(借入?)できないものであるはずなのだ。事情があってある日の睡眠時間が短くなったとしても、その影響は長期には及ばない。徹夜をした次の日は確かに眠いが、しかしこれもその日一日か、せいぜい次の日くらいまでごまかせば、一週間経ってあの日の徹夜の弁済を迫られるということは、ないのであると、そういうことにはならないか。
私はこのところあまり寝ていない。少なくとも三ヶ月くらい睡眠不足の状態が続いている感じである。これは今年二月に生まれた私の三人目の子供がまだ赤ん坊で、かれに夜中の睡眠を中断させられることが多い、という事情が一つにはあるが、それよりもなによりも、自分勝手に自身の都合において睡眠時間を削っている所が大きい。しかも、その時間を利用して会社四季報とか日経新聞でも読んでいればひとかどの人物になれるかもしれないところ、よせばいいのに一時過ぎまで一人で酒を飲みながら雑文を書いたり、その上で五時に起きて雑文を仕上げてアップロードしてから会社に行ったりするのである。これではお金持ちにはなれない。
日経はともかく、こうなると昼間は眠い。大きな声では言えないが、会社で仕事をしながらふっと意識が遠くなることも、あったようななかったような、このへんははっきり書けない事情を斟酌されたいが、とにかくそんな感じである。通勤中の電車バスの中では大抵寝ている。極端な話、歩きながら目を閉じてうとうとすることもある。それが怖くて通勤時に自動車を運転するのはやめたのだが、たいへん危ないことである。
体に悪いのではないだろうか。なにか、長期的な影響があってもおかしくないと思うのだが、とりあえず、短期的にはどうということはないようである。睡眠時間が短いといっても、その時間で激しい運動をしているわけではなく、せいぜい指先でこぱこぱとキーボードを打っているだけなので、過労にはなっていない感じだ。そして、以上の推論が正しいとしてもそうでないとしても、三ヶ月くらいたって「あの日ちゃんと寝なかっただろう、今寝ろ」と言われることはどうやら本当にない。だとすればこれは起きている時間だけ人生を丸儲けしているわけで、踏み倒せる借金は踏み倒したほうがトク、というのにちょっと似ている。
そういう研究はされているのか、本当に知りたいのだが、このような睡眠のとりかたをしていると、寿命はどうなるのだろう。起きているぶんだけ寿命は短くなるのか、あるいは変わらないのかということである。我々人類はもちろん、動物は大抵、種族としてあらかじめ与えられた寿命を生きている。しかしその寿命は「起きている時間」で測ったものなのか、それとも寝ている時間と起きている時間を足した「生まれてから死ぬまでの絶対時間」で測ったものなのか。どちらのだろう。知りたい。
たぶんこれは上の二者択一ではなく程度問題、この二つの間のどこかになるという感じがする。睡眠を削って毎日生きていると、結果として寿命は短くなるのだが、だからといって寝てばかりいるとそのぶん歳を取らないというのもまた誤りで、その場合は寝ている間に歳を取り、知らない間に人生が終わってしまう、というものである。話が両極端のどちらかなら、簡単な話、モルモットかなにかをたくさん飼って、一方の群れには刺激を与えて睡眠不足を強いる、というような実験でそのへんはっきりすると思うが、中間的な程度問題の話になるなら、どちらの効果が大きいのか究極的には人間で実験せざるを得ず、だから難しいのかもしれない。
それにしても今日も眠い。この文章を、私は今、例のモバイルギアを使って電車の中で書いているが、書きながら三回くらい意識が遠くなった。そのたびに眠気が入力させた妙なところを削って書き直しているので、遅々として進まない。考えてみれば、昼間こんな状態で生きていてもなんとか生きて行ける、現代のような時代であるからこそ、私はこうして睡眠不足を楽しめるのかもしれない。他の時代であれば、私のようなお父さんは子供たちに肉を持ち帰るどころか、うとうとしたところをサーベルタイガーやらサメやらにばっくりゆかれてしまうに違いないのである。
通常この時期にこういうことを書くと「ワールドカップが始まるので睡眠不足がより深刻に」という話になると思われるが、幸い、私の場合、雑文を書いたりするのはサッカー観戦と共存できるので、さほどの影響はないと思われる(ぶっちゃけた話、サッカーを見ながら文章が書ける)。影響があるとすれば職場の周囲のみんなが睡眠不足になるということだが、それこそ望むところである。私の居眠りが目立たなくなるからだ。いやげふんげふん。居眠りはしていないが仮に居眠りをしたところで目立たなくなるからだ。というわけで、ヨーロッパでのワールドカップ万歳。日本チームの健闘を祈ります。