その存在の基礎的な条件の一つとして高校生はお金がないので、毎週たくさん発売されている漫画雑誌を、毎号きちんと買うことなどできない。いや、買える高校生だってそれはまあいるとは思うが、個人的なことを言えばむしろそういう人のことを同じ高校生だとは認めたくないのである。などと、もう二十年くらい高校生ではなくなっているくせに傲慢なことを書いてしまったが、ここで言う漫画雑誌というのは、週刊少年ジャンプとかマガジンとかそういうもののことだ。高校生は少年か、高校生が読んでいてよいのかと思うが、読み始めるとこれが続きが読みたくてしかたがないのである。しかしお金はない。それでどうしていたかというと、我々は「回し読み」ということをしていた。
今、回し読みということをしていた、と書いたが、こんなに大きな文字で書いてしまっていいことかどうか、ふと疑問に思った。仲間内で一冊だけ買ってみんなで交代に読む、ということなのだが、これは小なりと言えども違法コピーと同じで、著作者や出版社に対して損害を与える行為なのではないだろうか。週刊少年ジャンプの使用許諾に「友達に貸してはいけない」と書いてあるわけでなし(そういうものはないと思うのでたぶん)、それからそうやって少年漫画に入門してゆき、今なお入門しっぱなしであり、大人になった今はちゃんと単行本など正価で買っているのでそれでよいではないかと思うものの、高校の近くにあった書店リュウブンドウなりサカタ書店などは決してよくは思っていないはずである。もう手遅れですがここで謝りますごめんなさい。
さて回し読みだが、多人数でこれをやっていると、約束を破って家に忘れてきちまう奴などというものが必ず出てくる。当人に悪意はなく、本当に忘れてきただけだと思うのだが、そうして忘れてきて次の人(私)に回せなくなると、楽しみにしていたジョジョの奇妙な冒険(第二部)の続きが読めないので非常に困るのである。最悪の場合、雑誌を家で紛失しただとか、弟が中学に持っていっちゃったとか、先生に見つかって取り上げられてしまったとか、そういう場合があったりする。そんなとき、我々は粗相をした当人に対して非難決議をしたあと、なお改善されない場合「経済制裁」というものを発動していた。
本当に、仲間内でそういう名前で呼ばれていたと思うのだが、経済制裁というのが何かというと、これは要するに当番を飛ばして当人が次週の雑誌を買う、というものである。次の段階は「回し読みリストから外す」だが、国連軍の名のもとに空爆が実施されるというようなことはなかったと思うので、経済制裁だけでうまく運営されていたと思う。週に二百円がそんなに効果があったという今となっては夢のような話だが、もう一つ有効な方法があることに気がついた。つまり「勝手なあだ名で呼ぶ」制裁である。
何を見ていてそんなことを思ったかというと「ピューと吹く!ジャガー」でこれも少年漫画なのがなんだかおかしいが、確かに各自、呼んで欲しいあだ名というのはある。私は、別にそう呼んでくれと言ったわけではなかったのだが、高校時代「ジャッキー」と呼ばれておりそれで満足していた。しかし、世の中にはひどいあだ名で呼ばれている者もおり、たとえば高校ではないが「シモパン」というのはこれは下田パンツの略であるが、そういうのを正式名称にされてしまうと、私なら泣いて抗議するところだが存外平気らしかったのでシモパンは本当に偉い。
話がそれたが、それくらいあだ名というのは強力な制裁になりうるのであり、現在の世界情勢においてもある程度これは有効なのではないか。国連であれこれ決議がされて、そんなことはやっちゃいかん、とか、それ以上やるとあれだぞ仲間外れだぞ、とか、そういうことを言っているわけである。国と国の間なので、損害賠償請求をしたり告発して刑事罰を受けたり、ということがないから隔靴掻痒なのだが、そこで、血も流れず懐も痛まない制裁として、勝手なあだ名で呼ぶ制裁というのはどうかと言いたいのである。
これを発動されると、たとえば「日本国」と呼んでもらえなくなる。いや、日本人は自分の国のことを日本であると思っているだろうし日本人ですと名乗るわけだが、他の国の人はぜんぶ、明日からたとえば「あじゃぱん」の「あじゃぱん人」と呼ぶようになる。なんであじゃぱんなのかという疑問は当然あるわけだが、安保理が日本を除く全会一致で決議したことなので、逆らえないのである。住所があじゃぱんなので郵便もあじゃぱんで届く。ワールドカップでもF組第四位はあじゃぱん、と書かれてしまう。東京為替市場の今日の終値は一ドル=一二八あじゃぱん円となる。映画のタイトルも「あじゃぱん沈没」である。少なくとも英語題名はそうなる。非常にいやであるし、拒否しようと思っても「相手が自分を呼ぶ呼び方」というのは自分に制御できるものではない。やめてよー、と泣き崩れるあじゃぱん人をよそに世界中でいつまでもあじゃぱんあじゃぱん呼ばれてしまう。核兵器くらい喜んで放棄しようという気にならないだろうか。
おおむね以上であるが、実際、高校生のときに上のような制裁を思いついて実行していたらどうなっていたか、たぶん条約を破棄して宣戦布告、ということになっていたかもしれないので、今高校生の諸君はそのへんのことをよく考えた上で決議は慎重に行っていただきたいと思います。あと、漫画や小説は自分で買おう。