荒くれ野郎のお通りだ

 五年くらい前、私が水戸にやってきて、驚いたことの一つが「暴走族が多い」ということだった。多いといっても、実は街でほんの十人かせいぜい五十人くらいで、ただ目立つので数以上に目障り耳障りに感じるだけだったのかもしれないが、中でも目を引くのは、巨大な外車(よくわからないがたぶんアメリカ車)に乗っている一団だった。かれらを厳密な意味で暴走族と言っていいのかどうか、わからないが、とにかくかれらは週末の夕方くらいから集まりはじめる。横幅がやたらに大きくて平たい印象の、オープンカーだったりそうでなかったりする外国製の自動車が、おおむね一台につき二人ずつの若い荒くれ野郎を乗せて、駅前に違法駐車するのである。

 当時も疑問だったが、今考えても、あれは具体的になにをしていたのか、よくわからない。たぶん目的としては通りがかる女の子に声をかけるとかそのへんを狙っているのだろうと思うが、ぱっと見た目、ただ集まってお互いの車を眺めているような感じだったのだ。やっぱりこういうのを暴走族とは言わない気がする。それから五年経った今、気がつくと全面的に再開発された駅南でそんなかれらを見かけなくなったのは不思議だが、はやりすたりがあるのかもしれないし、行くところに行けばまだいるのかもしれない。あるいは、もしかしたら最近の過酷な原油高に音をあげたのかもしれない。

 というわけで、一時期、上のアメ車を見るたびに思い出していたのだが、チキンレースというものがある。あるらしい。いわく、まっすぐな道路に、両側から車を走らせる。そのまま進めばぶつかるので、最終的にはどっちかがハンドルを切って衝突コースから逃れることになるが、先に切ったほうが負けというルールにしておく(なぜ負けかというと、臆病だからだ)。私に関しては、そういう話がゲーム理論の本を読むと出てくるので知っているだけだが、駅前を歩くたび、この荒くれ野郎どもも、興が乗ってくるとそういう遊びをして、序列を決めたり女の子に声をかける順番を争ったりしているのだろうなと想像していたという、そういう話である。

 ゲーム理論の本にいわく、チキンゲームは命知らずであるふりをしたほうが勝つ。本当に命が要らない状態であればなおよいが、それを装う。完璧に装う。どっちも本当はぶつかるのは嫌なので、相手が絶対に避けてくれないということがわかっていた場合、自分が避けるしかないのである。避けたほうは、ゲームには負けるが命は助かる。命が要らないふり、というのは、目隠しをしたりハンドルを取って投げたりというようなことだ。

 最近思ったのだが、上のチキンゲームの話、歩道で二人が真正面から近づいてくる、という状況に応用できないだろうか。商店街で片方が自転車、などという場合でよくある気がするが、一人がよけると同時にもう一人も同じ方向によけて、これはいかんと反対方向によけるまさにその瞬間、もう一人も同じ方向によけるという、そういう情けない状況のことである。これは最終的にぶつかりはしないのだが、下手をすると十メートルくらい手前から起きる。親切のつもりでよけたのに同じ方向によけられ、あわててよけたら相手もよけて、左右左右、と小刻みに体を動かしてお見合いをして、二人して情けない思いをする。中学を卒業するときは自分はもうちょっとましな大人になるつもりだったのに、と思い出されて泣けてくるので、できれば避けたいのである。

 これは一種の、ゲーム理論におけるゲームと言えると思うが、チキンゲームとは微妙にルールが違う。まずもって選択肢が「よける」と「よけない」ではなくて「左によける」と「右によける」である。選択は時間軸に沿って何度も行える。避けなかったほうが勝ちなのではなくて、上の情けない状況に陥って中学卒業時のことを想起せずに済めば両方にとってよいことだ。これだけ条件が違うにも関わらず、必勝法というか、かなり確実に「同じ方向によける」という悲劇を避ける方法は、同じであると思うのだ。

 つまり「命知らずを装う」である。相手も自分も気がついていて、互いに相手を避けようとするからいけないのであって、どっちかがへんちょを向いていて、だらだらと前進している場合、相手はよけずにはいられなくなる。駅なんかの雑踏でこれをやると「同じ方向によける」に陥らないかわりに沢山の人とぶつかって中にヤクザがいてかれの肩の骨が折れて法外な治療費を請求されることになるが、それを避けるためには「同じ方向によける」に陥りそうになった瞬間、たとえば右によけ、あとは上を見てまっすぐに突進する。最悪の場合でも相手が一瞬同じ方向によけてしまったあと、気がついて相手だけが修正してくれるはずだ。

 いや、これでも不十分かもしれない。相手がよほどぼんやりしていたり、あなたの顔を見ていなかったりして、あなたがよそ見をしていることに気がつかなかったりするかもしれないからだ。ひどくぶつかったとしたらそれはそれで男女の出会いの始まりであったりするかもしれないが(ことに片方が食パンをくわえていた場合など)、私に関して言うならばもう三五だし子供は三人いるしで、新しい出会いはもはや家庭不和の原因でしかない。子供たちの未来と家庭の平和を守るため、まっとうな大人としてはどのようにすればよいか。

 だから、この場合は、もっと「命知らず感」を上積みすればよいのだろう。まず、毛を逆立てるのはどうだろう。金色にして、全部上向きに固めて、目の周りに星や数字の666等の装飾を書いておく。トゲトゲのついた服を着るのも、相手に避けてもらうよい方法である。そういう格好は歳だし職業もいちおう営業なんでちょっと、という方は、明らかに異常な感じで、たとえばウサギみたいに両足で跳ねながら歩くとか右足だけ使って歩くとか、そもそも足をぜんぜん使わないで歩くのはよいアイデアだ。「同じ方向によける」に陥りそうになった瞬間、口を一杯に開けて、白目をむき、大声でくかけけけけけけけと笑うのもいいかもしれない。とにかく相手に「こいつはよけてくれそうにない」と思わせれば勝ちなのである。

 勝ってどうするのか。その先にグループ内の序列があるのか、さっきひっかけてきた女の子と話をする優先権が与えられるのかというと、駅の雑踏にまさかそんなチャンスは落ちてはいないわけだが、考えてみればもう三五だし子供も三人いるので、べつに新たな男女の出会いなどなくてもかまわないのである。そう思うと、あのアメ車の荒くれ野郎どもがいなくなったのも、もうそれぞれに家庭ができて、女の子と話をする必要がなくなったという、ただそれだけのことなのかもしれないとも思う。なんだか結論としては妙に常識的で、申し訳ありませんでしたと頭を下げつつ右によける私である。


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