定型さんはあなたの携帯電話の中に、ひっそりと住んでいる。かつて携帯電話にとってプラスアルファの機能だったメールの読み書きは、いまやすっかり本来任務に格上げされた感があるが、メールの作成すなわち日本語文の入力においては、電話の持つ、せいぜい十数個のキーしか使えない事情に、何の変化もない。ソフトウェアの洗練により徐々に改善されつつあるとはいえ、パソコンのキーボードに慣れた身にとっては、まどろっこしい、面倒な作業だ。定型さん、すなわち携帯電話の定型文機能の役割は、そうした作業を簡略化し、特に決まりきった文章を打ち込む手間を省くことである。たぶんそういうものだと思うのだ。
定型さんには人間らしい感情はない。いや、絶対ないかというとあるのかもしれないが、その感情は、定型文の裏に隠れて、ごく薄く、あいまいなものになってしまう。たとえば「お疲れ様です」と定型さんは言う。しかし、本当にそう思っているのか。少しでもいたわる気持ちがあれば、これくらいの短文、自分で入力すればよいのではないか。定型さんは、黙して語らない。その機微を伝える定型文は存在しないからだ。
定型さんは出会う。挨拶をする。相手の名前は呼び捨てにはせず、きちんと「さん」をつける。しかし、敬称なり挨拶なりが、いったん人間の手を離れ、自動的につけられるものとなったとき、果たしてそこにいくばくかの価値が残存するものであろうか。考えてみれば、この定型文を利用する人間は「人名」+定型文、というような入力操作を行っているはずであり、つまり肝心の人間、定型さんを使う人間は、あなたのことを呼び捨てにしているのだ。
定型さんが訊ねる。あなたは今、何をしているのだろうか。たぶん、定型さんは暇なのだろう。ほのかな好意を寄せるその相手が、今何をしているのか。もし暇だったら。暇だったら、そう、この、誰にとっても長い夜、その時間を私にわけてはくれないだろうか。本心はどうあれ、定型さんは訊ねる。
定型さんは、にわかにこう言って、こちらに身を乗り出してくる。窓の外でウェンディを誘う、ピーターパンのように。行こう。夜の街へ、子供の頃あんなに憧れた大人の世界へと。なに、二人でとは言わない。サークルの、あるいはアルバイト先の、ほかのみんなも誘って、落ち着ける居酒屋で、馬鹿な話をしようじゃないか。何人もの仲間の全員に同じ文章を送ることなんて、定型さんには造作もないことだから。
定型さんは、ネクタイを締めて、あらたまった様子で、こう切り出す。いつもの定型さんらしくない。目が真剣なのだ。気楽な居酒屋ではなく、少しだけ高級なレストランで、一緒に食事しませんか、と誘っているのだ。いつものみんなと一緒では、なかなかできないような話を、二人で少し交わす機会を、どうだろう、ぼくには与えてはくれないだろうか。
何をしたのだろう。定型さんはそう言って、謝罪の言葉を口にするのだった。ごめんなさい。ごめんなさい。定型さんだからもちろん、その気持ちはやはり、手間を節約した、どこか空虚なものには違いない。彼から電話よ、と取り次いでくれた母に、今いないと言って、と告げる。あるいは、会えないと謝っておいて、と告げるような。ともかく、ごめんなさい。と定型さんは謝る。
予定などはないのだ! 自分の身に置き換えればわかる。もし本当に予定があれば。あるいはもし本当に次も誘って欲しいと思っているならば、このようなことを書くはずがないのである。これは「一身上の都合」であり「訴状を見ていないのでコメントできない」であり「今後、管理を徹底し、再発防止に努めたい」である。書いたのが定型さんなら、なおさらだ。
定型さんは、それでも食い下がる。どうか、どうかもう一度だけ、ぼくに会って欲しい。もしもきみが一人きりで、寂しい夜を過ごすことがあるなら、まさかそれよりは、ぼくの存在が軽いということはないでしょう。あなたの中で、ゼロよりも少ない点数が、ぼくにつけられているということはないはずです。傷つくことを恐れ、そうは書けない苦しい胸のうちを、定型さんは代わりに、軽々と表現してくれる。
そして定型さんは、つとめて明るく、誘うのだった。二人の仲は、まだそんなに深刻じゃないはず。いや、もしぼくが恋人としてきみの基準を満たさない存在であったとしても、気の合う仲間に戻ることは、いつだってできるはずだから。ぼくと遊ぼう。二人がまだこんなではなかった、あの頃のように。定型さんは、乱れた心を押し隠し、そうありたかった自分のように、ただ明るく、遊びに誘う。
定型さんは冷たく言い放つ。遠く、遠くに旅立つのだ。すべての青春を、いやむしろ、青春の幻影に似たなにかを置き去りにして、定型さんは去ってゆくのだ。残してきたものに未練があるとしても、定型さんは決してそれを表には出さない。ただ時間を気にしながら、定型さんは去ってゆく。
定型さんを乗せた飛行機が、まさに飛び立とうとしている。搭乗券と見比べて、見あげたパネルの表示が、今「搭乗案内中」に変わる。そして、あのゲートをくぐれば……そう、すべてが変わるだろう。次に電話をするとき、定型さんは違う世界の人間になっている。
そして飛行機は舞い上がった。ところで定型さん、航空機内では携帯電話の電源は切ろう。スイッチを入れたままだと、携帯電話は常時電波を発信しているので、航空機の計器に悪影響を与え、最悪の場合大事故に繋がる恐れがあるのだ。
だから、航空機内では携帯電話のスイッチを入れたらだめなんだってば。あ、ほら、おかしいよ。変だよ。やめて。メールを書くのはやめて。定型文を使えばメール入力は短時間で済むからとか、そんな話じゃないんだ。ほら、飛行機の窓の外、霧の向こうに見えるあれは……地面?
気がついた。気がついたんだね。ああよかった、これで一安心だ。飛行機事故があって、幸い、定型さんは救出されたんだけど、頭を打ったらしくてさ、長い間意識がなかったんだ。心配したんだよ。本当によかった。おはよう。そしておかえり、定型さん。
定型さん、待って。どうしたの、定型さん? ああ、どうしたんですか先生。意識が回復すればもう安心じゃなかったんですか。定型さん。だめ。寝ちゃ駄目。お願い、もう少しだけ。行かないで。ぼくを一人にしないで。お願いだから。
そう言って、定型さんは息を引き取った。いかにも定型文っぽい言葉を残して。
もはやなにもかも遅いのだった。こんなことなら、もう少し話せばよかったと思う。自分の文章で、メールを書けばよかった。今電話したところで、待っているのは悲しいニュースだけなのだから。
さて、どんなに智恵を振り絞っても、ときにはどうしようもないことはある。定型さんは、そんな疲れた人々にも優しく微笑みかけてくれるのだった。大丈夫。私がかわりに嘘をつきます。なに、体調のせいにしてしまえばいいんですよ。そういわれてみると、頭が重いような気がしてきたではないか。かくのごとく定型さんは実に便利なのである。オチがなんにも思いつかなかったのも、きっと、体調のせいに違いない。