これから書くのは架空の事例である。実在の組織や個人や事件等には一切関係ないので、参考にしたのはいつどこで起こったどんな事件だったかとかそういう興味を持って過去のニュース記事など検索するのはやめていただきたいのだ。ほんとほんと。お願いします。
とはいえ物語は始まる。昔むかし、ある飲食店で大きなミスが発覚した。食べ物を作る大なべから、食用に適さない「異物」が発見されたのである。見つかった異物は異物なので当然だが、食中毒を起こす可能性のあるもので、それだけではなく、もし自分が食べたらと思うとおいこらちょっと待て冗談じゃないぞ、と思う類の異物である。さらに言えば、悪くすると殴り合いの喧嘩になるくらいの異物である。しかし、発見されただけならまだよいのだ。問題は、その鍋からすでに数十人の客が料理を食べてしまっていることだった。幸い、食中毒などの症状を訴えた人はいなかったのだが、もちろんそのままにしておくわけにはいかない。この食堂は謝罪するとともに、心当たりの方は申し出てください、返金します、と発表した。
ここで疑問に思うことがある。こういう場合、適切な対応は「返金」でいいのだろうか、というものである。どうしてそういうことを言うかというと、さっき書いたとおり、この異物は誰もがおいこらちょっと待て冗談じゃないぞと思うもので、それどころか悪くすれば殴り合いになるような異物なのである。仮に自分が食べていたとして、代金を返してもらって、それだけで気が済むとはどうも思えないのだ。一般にこういう場合のメーカー/販売店側の対応としては、回収し返金する、というものではないかと思うのだが、この場合、そんなんでいいのか。社会的にそれで許されるのか。
人間だもの、ミスはある。そしてミスにもいろいろある。これが仮に「商品についているシールに印刷された賞味期限が誤って十年前の日付になっていました」などといったミスならばどうか。ふーんそうか、いいや面倒だ食べちまえ、という人も多いだろうし、もしかして、この情報を聞いたときに半分くらい食べていたとしても、残りは回収し新品を提供いたします、なんてことだとすれば、これはもうむしろ、ラッキーだった、儲かった、と言えるのではないか。販売店の粋なサービスだと言っても過言ではない。
しかしそうではない。この異物はそんなのではないのだ。上で書いたように、今回問題となった異物はおいこらちょっと待て冗談じゃないぞという事件であり、問題がこじれると殴り合いの喧嘩になる類の異物なのである。煩雑なので以下「おいこらちょっと待て冗談じゃないぞ」で「悪くすると殴り合いになる」を一気に略してOKCMJNZWSNANと表記することにするが、問題がOKCMJNZWSNANなものである場合、三百円返してもらったよラッキー丸儲け、などと思えるはずがないのだ。そうではないか。
いや、待ってほしい。私だってきらきらした子供のような純粋な心で、世の中すべてが建前で動いていると信じているわけではない。上記の「返金します」というのは表向きまたは最低限の対応であり、実際に該当する人が申し出て、そこで強く主張をした場合、なにかプラスしてお詫び金のようなものを渡しているのではないかとは思う。宗教上の理由で特定の動物の肉を食べない人に対して、航空会社が誤ってその肉料理を提供してしまったような場合、報道によるとけっこう、多額の賠償金が払われているようで、これは参考になりそうである。
しかし、といって、自分だったらどうかと考えると、責任者の人に面と向かって、本当に申し訳ありませんじゃあ代金返還の代わりにどうさせていただいたらよろしいでしょうか、と訊かれると困る。こういうとき、食中毒の症状が出たりしたら、むしろ問題は単純だ。治療費や休業補償を請求すればよい。しかし、いくら異物がOKCMJNZWSNANだからといってそういう症状がひどいとは限らないのである。むしろ、極論のようにも思えるが、物事のOKCMJNZWSNANの度合いOKCMJNZWSNAN指数は、それが毒であるかどうかに、あんまり関係ない気がする。食中毒はまず生じないが、しかし断固として食べたくないものが世の中にいくらでもあると思うのだ。そういう場合、いったい我々は、いかなる基準でもって補償を受け、このおさまらない胸のうちを慰謝してもらえばいいのだろうか。
だいたいにおいて、世の中にはこういう場合、よくもこんなもん食わせやがってさあ一千万円よこせ、いやいっそ六七億円よこせ、などという人は、そんなには多くないものである。むしろ、おとなしく返金を受ける人とか、事件のことは忘れたいからわざわざ三百円返してもらいになんか行かない、などという人が多数派である気がする。めんどくさいし。命にかかわるならそうもいかないと思うが、そんなものではないだろうか。いや、これは「中にはとほうもない額を請求する人がいる」ということを否定するものではないし、また「慰謝料を請求すべきではない」と言っているわけでもないのだが、特に被害者がせいぜい十数名くらいであった場合、たまたまゴネる人が一人もいないということも十分考えられる。もしそうであった場合、この食堂は被害者に料理の代金を返すだけで済まそうという、そういうハラであるということになるが、どうもこれはこれで、正義というものに反する気がしてならないのである。
考えてみよう。食堂側として、被害者に返金することで、経済的に損害を受ける。黙っていれば自分のものになったはずの売り上げを返金するのだから当然である。その損害額は、問題の料理を販売する代金の合計に等しい。これが言わば、異物が混入していたことに対するペナルティである。ところがここで、事前に異物に気がつき、客に出さずに済んだ場合を考える。この料理は当然廃棄することになるが、この場合の損害も、問題の料理を販売する代金の合計に等しいのである。売ってしまってもその前に捨てても損害が同じなのであれば、黙って売ってから考えたほうが良いということにならないか。
などと、まさかそんなことはないと思うが、もし、被害者のショックを受けた度合い、OKCMJNZWSNANだったとしてそれはどのくらいOKCMJNZWSNANだったか、ということを測定する、客観的な基準があるなら、このへんの矛盾はかなり解消されると思うのだ。現在でもよほどひどい事件に遭遇した場合「PTSD」との診断を受け、それに基づいて賠償額が決定されることはあると思うが、もっと一般的に、ストレス量を定量的に計測することで客観的なショックの大きさを測定し、それに基づいて賠償額がなかば機械的に求めうるならば、この難しい問題はずいぶん簡単になる。食堂側としても、ショックの割合から払うべき賠償金を機械的に算定されることになるわけだが、これは、ゴネない人には慰謝料三百円という悲しい事態を防止する。反対に、ええい言ってやれと六七億円請求される事態というのも防止されるので、声の大きい人の勝ちということはなくなる。普通の人にとっては、どちらにしてもよいことに違いない。
ただ、現実はまだそうではないのであり、従って全国でこういう事件が起きるたびに、悪くすると殴り合いになっている。なにか、統一的で公開された賠償基準があればと思うが、すべての異物にランク付けを行って賠償額を細かく決めるわけにも行かないだろうし、したがって今後とも、少なくとも表向きの対処としては、返金、ということになるに違いない。我々は覚悟するべきである。つまり、外でご飯を食べるたびに、このご飯がたいへんいけないものからできていても、最大でこのご飯に払ったお金分しか賠償を受けることはないのだ、ということである。世界が我々に対して、その気になれば実にひどいことができるという、これは現実というものではないか。