リビング。ノートパソコンを広げて、なにか情報を検索している子供を見て、お父さんが、ふと昔を思い出して、子供に言う。
「子供の頃からウェブ上には何でもあって、パソコンを開けばそれが見られるんだなあ。うらやましいね」
「昔はそうじゃなかったの?」
そう問い返されて、お父さんは遠い目をする。
「ああ、お父さんの子供の頃にはまずインターネットがなかった。あっても最初はメールくらいで、今みたいなウェブができたのはお父さんが大学生の頃かな」
「へえー。お父さんとお母さんが、結婚する前だよね?」
「そうそう。その頃にも、大学とか研究室のサイトはあったんだけど、見て面白いようなものはまだ何にもなくてね。めったに面白いことなんかないもんだから、みんなでわざわざコーヒーポットの様子を見に行ったもんだよ」
「えー。コーヒーポットって?」
すっと疑わしそうな目になった子供がこう尋ねる。この父親には常々、くだらない嘘にだまされているのだ。
「いやいや、本当。どこかの大学にコーヒーポットが置いてあって、今そのポットがどうなってるか、ずっと映しているウェブサイトがあったのさ。それが珍しくて、見に行ってたんだ。世界中のみんなでね」
子供はうさんくさそうに、ふうん、と返事をして、ノートパソコンの画面に視線を戻す。
と、以上のような情景が現実のものとなるまで、我々はあと一歩のところまで来ている。上のような話をして「うそだーい」「嘘なもんか」などといったやり取りを子供とするのが楽しみでならないが、ただ、この話、ケンブリッジ大学のコーヒーポットを中継するサイトの話に関して言えば、世界初のウェブカムとされていることもあり、けっこうこれが、いつまで経ってもそこそこよく知られた話として残ってゆくのかもしれない。「活版印刷された最初の書物」とか「世界初の電話における最初の会話」とか、そういった逸話と同じである。五十年ほど経つと、学研の学習まんがシリーズで紹介されたりするのである(その学習まんがはウェブ版かもしれないが)。
ただ、そうしてコーヒーポットの逸話は残ってゆくとしても、実際にコンピュータに向かった私や同時代の人々が、いったいどういう気持ちでそのコーヒーポットや他のサイトを見ていたか、あるいは最初に自分のホームページを作るというのはどういう感じだったか、そういう感覚的な、人々の意識、様子といったものは、やはりゆっくりと失われて、残らないものかもしれない。上の会話における「ウェブには他に面白いことなんてなかった云々」という部分だが、残して意味があるかどうかはともかく、伝わらないので、結局、その時代を生きていないと理解できない、というようなことになってゆく気がする。話題になった「脳内メーカー」に似た感じの流行だよと説明するとかなりいいセンいっていると思うが、やっぱりちょっと違う。
そういえば「パソコンをカスタマイズする」という行為も、すでに失われた趣味かもしれない、と最近思う。システムの設定をいじったり、時には商用非商用を問わず外からソフトウェアを導入して環境を整えるという行為だが、「ウィルス対策ソフト」のようなものを除き、パソコンを買ってきてそのまま使っている人が多くなってきていると思うのだが、これは単に、パソコンを使う人の裾野が広がるにつれて、パソコンそのものには興味がなく、時間もお金もかけない人が比率として増えた、というだけなのだろうか。少なくとも私個人に関しては、昔はどうしてあれだけいろいろ設定の細部をいじっていたのだろう、と思うのだ。
たとえばスクリーンセーバー、これはスクリーンの焼きつきを防止するための、操作しないまま一定時間を過ぎたパソコンで立ち上がる小さなプログラムのことだが、これは見なくなった。そもそも、焼きつきが起こりやすいブラウン管のモニタというものをめったに見かけなくなったし、さらに言えば、使わないコンピュータのモニタ電源を入れっぱなしで放置すること自体、ふつうはやらないことになってきている(もしそうしていないとしたら、これは省エネの観点からあまりほめられたことではない)。だからスクリーンセーバーというもの自体、存在意義がなくなっているとは言えるのだが、それにしても、パソコン売り場でスクリーンセーバーを販売していてみんなそれを買って使っていたというのを、今考えるとちょっと信じがたい気さえする。
しかし私はこういうのが大好きで、やたらとさまざま導入していた。九十年代の真ん中ごろの話だが、毎日少しずつ変えていたといってもいいほどである。いつ仕事をしていたのかと思うが、まあ、それほどのこともない。設定変更(と、フリーズから復帰するための再起動)の合間にちょこちょこ仕事はできていたはずだ。スクリーンセーバーや壁紙は、一種、Tシャツに書かれたメッセージのようなところがあって、そのパソコンを使っている人の趣味を周囲に宣伝する媒体となっていたような気がする。趣味の悪い人のパソコンは、大声ではいえないが趣味の悪い壁紙が貼ってあり趣味の悪いスクリーンセーバーが起動するのだ。
それから長い年月が経った。私は当時使っていたものから数えると、メインに使っているマシンだけで、すでに五台めになっている。それを動かすOSの数はもっと多い。バージョンが6の頃から10.4になっている現在まで、すべてのバージョンを一通り試しているのではないかと思う。
こうなると、当時からずっと使っているソフトウェアは、多くはない。というより、ほとんど一つもないかもしれない。だいたい、同じ「マッキントッシュ」というカテゴリに入るパソコンなのに、CPUのアーキテクチャが2回も変わっているのだ。使っているワープロも表計算ソフトもドローソフトも変わった。メールクライアントもウェブブラウザも変わった。だいたい、ソフトウェアではなくただの書類でさえ、うまく引き継げていない気がするのだ。せっかく書いた博士論文も、もう自分のパソコンでは開けなくなっている。まして、スクリーンセーバーというのは結局小さなプログラムであって、システムのバージョンや使っているCPUに大きく依存する。移行に際しては真っ先に切り捨てられるソフトウェアである。
例外を探すとすると、壁紙かもしれない。私のパソコンのデスクトップの、背景に使っているのは畳の模様なのだが、これが、いつの頃からか忘れたが、ずっと、そりゃもうずーっと、使っているのである。たぶん「MacOS 8」と呼んでいた頃に、生協で買ってきたOSに付属していた画像ではないかと思う。あるときに設定して、変える必要を感じないので(というより、変える意欲をなくして)ずっと使っているのだ。パソコンを買い換えたり、あるいはシステムをバージョンアップしたときが乗り換えのチャンスとなると思うのだが、なんとなく慣れなくて、畳に戻してしまう。戻して、ああ落ち着いた、と思う。最近では、新しく買ってきたマックを立ち上げると移行ツールというものが起動して、どういう仕組みになっているのかよくわからないが古いマックから新しいマックへと、畳も一緒に移動してくる。たいへん安心する。
いや、ライセンス的にどうなのか、いつまでもこれを自分のもののようにして使っていていいのか、と思うこともあるのだ。もちろん、私はこの壁紙画像が入っていたシステムを正規の価格で(いや、もしかしたら学割価格だろうか?)購入しているし、そのライセンスは、そのOSを使っていない今になっても、少なくとも一つぶん、ずっと保持している形になっているはずである。であればそれをコピーして手元にある一台のマックで使っている以上、ライセンス違反にはならない道理だが、もしかしてアップルがこの画像をMacOS 8と一緒に使う場合だけ使用を許可します、としていたら、たちまちライセンス違反である。なにしろ、インストールのとき「同意する」ボタンは押したが契約内容は読んでないのである。しかしまあ、気分で語ることを許されるなら、アップルもさすがに、そんな固いことは言わない気がする。
あのコーヒーポットは、今はもう中継されてない、という話をどこかで読んだ。あの頃に戻りたいと思っても、もう誰も、インテルのCPUとMacOSXで動くフライングトースターのスクリーンセーバーを作ってはくれない(※)。しかし、この畳は。なんでもないものだが、なんでもないものだけに、生き残っている感じがするのだ。それどころか、未来永劫、私が老人になっても、そのとき使っているパソコンの壁紙は畳であるような、そんな予感がする。すべてのファイルのうちで、これが生き残った理由は特にないと思うが、意外にそういうのが、生き残るコツではないかと思ったりもするのである。
ちなみにこの背景、確か「新しい畳」という名前だったはずだ。同じOSに、もう少し黄ばんだ「ふるい畳」という画像もついてきていたのである。ついてきていたはずなのだが、今手元に残っているのは新しいほうだけで、古いほうは残っていない。もちろん、畳は新しいほうがいいのである。