銀河の勇者たち

 魔物の軍勢に脅かされ、今にも滅ぼうとしていた世界を、たった数人で救った勇者の伝説は、裏を返せばとてつもない失策の物語である。正面対決で人類軍に破れるならまだしもだが、絶大な勢力を持ち、人類をほぼ絶滅のふちに追いやっていたはずの魔王軍が、最初見逃していた数人の若者がどうしても倒せず、ついには敗北するのだ。これは一時12あったゲーム差をひっくり返されるとかそんなレベルの話ではない。たとえて言えば、江戸幕府が一揆に倒されるとか、ナチスドイツがパルチザンにベルリンを占領されるというような話である。そういうことは、あってもいいけれどもあんまりないのは確かだし、どちらかといえば「勇者が偉かった」というより「魔王軍がとてつもなく馬鹿だった」という話になる気がする。いくら勇者が強くても、魔王軍側が致命的な失策を犯さない限りはそういうことは起こらないと思われるからだ。

 もちろん、勇者たち主人公には、一揆やパルチザンにはない特性が与えられている。たとえば「死んでも生き返る」「戦闘経験によって強くなる」ということであり、ゲームのバランス上、最終的には魔王その人と戦っても勝てるくらい強くなるよう設定してあることが多い。言うまでもなく、どんなに鍛えても誰もがオリンピック選手にはなれないように、そのような性質は誰もが持っているものではない。勇者ならではの特質であるはずで、そうであるならば、魔王は倒されるべくして倒されると言えるのかもしれない。

 しかし、たとえ勇者に生き返る特技があり、また経験を積めば(事実上)無限に強くなるとしても、魔王軍に打つ手がないわけではない。端的には、配下のもっとも強力な精鋭をもって、まだ弱い勇者を打ち倒してしまえばよいのだ。「死んでも生き返る」が厄介なのは確かだが、決して倒せず経験値が1ポイントも獲得できない強さの敵を「勇者連続殺害係」として配置すれば、勇者が強くなることを防止することはできるはずである(それに、こういう状況になればプレーヤーが投げ出してくれるだろう)。もっと言えば、魔王もその軍勢も自分の陣地から一歩も出ない場合、勇者は決して魔王を倒せない。強くなる機会がないからである。

 などと、だからゲームは駄目なのだ、と言いたいわけでも何でもなく、コンピューターロールプレイングゲームにおいて、出発地点で敵が弱く、そこから離れるにつれて敵がだんだん強くなる設定は、もともと無理のある状態である、そうじゃないですかと言いたかったのである。ゲームの都合上、そうでなければバランスが取れないからこうなっているわけだが、勇者が経験を積み以前より強くなるにつれて、そのレベルに応じた、強すぎもせず、弱すぎもしない敵が用意されているというのは、確かにどこか変で、説明を要する事柄である。

 確認しよう。魔王軍がちゃんとした国家ないし軍隊である場合、挽回のチャンスはいくらでもある。というより、挽回のチャンスがまったくなくなるのは「手駒のうち最強のものが倒されるまでに勇者が強くなった」という瞬間であり、それまでのいずれかの時点で魔王が勇者に気づいた場合、その「倒せない敵」だけが勇者と戦うようにすればよい。逆にもっともやってはいけないのは、配下の弱い部隊を漫然と勇者に逐次ぶつけ、次々倒される上に相手に経験値を稼がせる、という状況である。もしそんなことをすれば、ほとんど自動的に、あるとき勇者が自分を倒しにやってくるところを目にすることになる。この自動的に、というのはかなり恐ろしいことで、だんだん強くなる戦力のグラデーションさえ存在すれば、それだけで、ほぼ確実に、それに応じて少しずつ耐性をつけてゆくなにかが現れるということである。これは生物学的な進化の過程を思わせて面白い。魔王軍側としては、抗生物質に対する耐性菌が発生したような目で、勇者たちを見ることもできるだろう。

 したがって、魔王軍としては本来このようなバランス、力の濃淡を作ることこそ、もっともやってはいけないことなのである。ただ、自然にこういったバランスが実現しないのもまた自明のことで、敵に司令部があり、その敵が主人公ないし主人公が属する共同体と戦争状態にある場合、この共同体付近にもっとも強力な戦力を配置する(前線を作る)のは当然のことであり、そうでないからこそ、なにかこじつけでもよいから理由を必要とするのである。もちろん、フィクションであるからなんとか屁理屈をつけることは常に可能である。たとえば大ボスの城には『魔力の源』があり、これに近いほど敵は本来の力を発揮する(強い)等とすればよいのだが、一般的に言って、このような勢力が人類の覇権を脅かすのはもともと難しいのではないか。

 しかし、だんだん強くなる敵を、空間的にではなく、時間的に配置するということであれば、これは歴史上何度も起こっていることであり、現在も起きていることである。つまり、技術の進歩がそれであり、戦争中、使われている兵器が改良され、最初の兵器では決して打ち倒せない強力な新兵器が登場する、ということはよくあることである。これは戦っている両軍において起きることで、特に第二次世界大戦における航空機や戦車の開発を見ているとよくわかる。数年に及ぶ戦争で、両軍はずっと同じ兵器で戦っているわけではなく、たとえば1938年において強かった戦闘機と、1944年におけるそれは違うのだ。戦闘から教訓を学び、また敵国の兵器を研究し、自国でも開発を進めることで、勇者がそうであるように、兵器は少しずつ強くなってゆく。どちらも全力を尽くし、しかも特に失策らしい失策を犯さないまま、最初強力に見えた側が破れるということはありうるのだ。

 では、空間的な強弱が存在する状況が考えられないかというと、ある。非常に遠い距離にわたる覇権、たとえば銀河帝国を考える場合、時間的な強弱がそのまま空間的な強弱に置き換えられると考えられるからである。光の速さはどうやら越えがたい障壁であり、ハイパードライブは小説の中だけの存在である。一光年の移動には最低でも一年かかり、従って中央の「人類の源」から離れれば離れるほど、人類が比較的過去に生み出した兵器しか存在しえないことになる。言っておくが銀河は広い。端のほうでは中央から10万年近く遅れた兵器でのんびりやるしかないのである。

 人類が銀河全域に勢力を伸ばした遠い未来。あるとき、太陽系からもっとも離れた地点で、小さな文明が生まれる。この異星文明は、銀河帝国を建設し維持する人類にとっては無視すべき勢力しか持たない、小さな敵だが、中央から10万年遅れた、しかもやる気のない地方分遣隊を撃破するくらいの力はある。実際にそれを成し遂げ、地方に小さな新帝国を作った敵は、一光年進めば2年だけ進歩した人類の軍隊と戦いつつ、少しずつ力をつける。人類側としては、侵略に気づいたとしても、光の速度が絶対的な壁となって、戦力の逐次投入しかできない。しかも、最初に向かわせられるのはもっとも遅れた技術力で作った艦隊であって、それは敵が前回あたった艦隊よりも、わずかに進歩しているだけのものでしかない。まだ弱い敵にいきなり中央から派遣した最新鋭の艦隊をぶつけようと思っても、光の速度が壁になってしまうのだ。こうして敵は経験によって強くなってゆき、最新鋭の艦隊をぶつける頃には、敵は無数の「だんだん強くなる敵」にもまれて強くなっている。こうして、すべてを賭けた最終決戦ののち、太陽系を異星人に蹂躙される未来が待っているのである。

 帝国の敗因は明らかに、中央から遠方にかけて「戦力のグラデーション」を存在させてしまい、敵に段階的なレベルアップを許したことにあるが、こうしてみると、これは実は銀河帝国においては不可避な状況ではないかと思える。物語がこのスケールになった場合、遠方に最新鋭の艦隊を維持することが、物理的に不可能なのだ。

 何が言いたいか。銀河帝国を建設するにあたっては、よくよく考えて戦力を配置すべきである、ということである。あまり遠くにでかけるのは、いいことではないかもしれない。勇者に倒される直前、魔王もきっとそう思っているはずである。


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