「エスカ」なのである。エスカらしい。
水戸駅の、駅ビルである。そういえば、私は常々ここのことを変だ変だと思っていたのだが、水戸の駅ビル、その北側の、バスのロータリーに連絡している1階の出入り口から入ると、まずそこにあるエスカレーターは、上のフロアから1階に降りてくる、下りエスカレーターである。本来、多くの客の考えることはというと、ここから上りエスカレーターに乗って上に進み、二階の、切符売り場とか改札とかがあるフロアに行きたいと思う、それが普通だろう。ところが、そうはいかない。ここの場合、上に行きたい、それも歩くのは嫌だからエスカレーターで行きたい、と思った場合、エスカレーターの反対側にぐるっと回って、上りを探さないといけないのだった。しかも、降りるとそこは駅から見てエスカレーターの反対側になるので、降りた後またぐるっと回りこまねば、改札があるほうには進めない。すこぶる面倒なのである。
たぶん、これはある程度計算づくなのだろうと思う。というのも、ここを便利にしすぎると、バスを降りた客が改札に向かってエスカレーターを使うために、店内を素通りされてしまうことになるからで、いやこれは、かなりいじましい話で「CMのあともまだまだ続く」に似たテイストを感じるが、まあそうなんじゃないかなと思う。横に、店内に入らずに使える階段があるので、改札への移動にはそれを使えということなのだろう。
しかし思うではないか。仕事で疲れて帰ってきて、バスを降りて、さあ電車に乗ろうと思ったときに、あの階段をぽとぽと登るのは、いかにも辛いと。エスカレーターが使いたい、使いたいのだよう、と思うではないか。いいじゃないか減るものでもなし。たまにあそこでヤキトリとか買ってるんだから、いいじゃないかよう。
いいじゃないかようと言ってみても私のそんな不純な要求は担当者の耳には届かないので、入ってすぐのエスカレーターはいつまで経っても「こっち向き」にぶいぶい動いているのだった。まあ、逆方向の、改札フロアからバスロータリーへの移動にはエスカレーターが便利なので、以上は単なる僻目かもしれないのだが、とまれ、入口から入ってきた人がまず目にするのが「こっちにやってくるエスカレーター」だというのは少し変ではあるし、それに店内(惣菜なんかを売っている店が並んでいる)は少しごちゃごちゃしていて、目の前にある役にも立たないこっち向きエスカレーターと対になっているはずの、上りエスカレーターを探しにくい店内構造なのは確かである。
と、つまりそのせいなのだろう。この、張り紙というか掲示が、新たにできたらしいのだった。入口から目立つ位置に、でかでかとエスカである。「(こちらは)下りエスカです。上りエスカは反対側です」と書いてあるのであった。
しかしエスカ。ご丁寧に、二回もエスカと書いてある。一回だけなら誤射ということも考えられるが、二回となるとこれはもう、すべてわかっていて、分かった上でやっているのだ。エスカ。エスカレーターのことを、エスカと略するのであると、水戸駅ビルは世界に向けてここに宣言したのである。ミニスカでもジュンスカでもない。ましてやイコカでもスイカでもパスモでもない。さあ寄ってらっしゃい、ここにあるのは世にも珍しいエスカでございます。エスカだよーう。
どうしてこんなことで盛り上がっているのか、とあなたは不思議に思うかもしれない。エスカレーターがエスカ、ほほう、まあいいんじゃないでしょうか。あえて言うとしても、まあ、勝手にやったらよかろうではありませんか、などときょとんとするあなたの顔が目に浮かぶようである。駄目だ。違う。そうではないのだ。なんとのんきなことを言うのかこののほほん太郎。そのきょとんとした顔に豆鉄砲でも食わせてやりたい。
仮にだ。仮にこれをよしとした場合、どうなるのか。決まっているではないか。水戸駅ビルは調子に乗る。確実に調子に乗る。いや、駅ビルはどうかわからないが、担当者は調子に乗る。少なくとも、もし担当者が私だったら、調子に乗る。乗って次は「エレベはこちら」「サビカ(サービスカウンター)はこちら」とやりだすに決まっているのだ。なにしろエスカだ。見ろ!人がゴミのようだ。それはムスカだ。あんたバカぁ? それはアスカだ。
エスカレーターがエスカ。私は大声で警告する。意識的か無意識なものかはわからないが、この、あえて言うなら暴挙は、このような無害な形で始まり、ところが、ついには日本語の、なにものにも替えがたい、重要な、その根幹の部分を破壊し去るものであると。たとえ、そう考えるのが水戸中でいや日本中でたった一人私だけだとしても、警告を続ける。これを許し、このまま続けるのであれば、いつかテレビジョンはテレビになり、トイレットはトイレになり、マクドナルドはマクドになるのだと。あれ、これって普通じゃん。じゃあいいのか。いいです。言い過ぎました。ごめんなさい。