その旗は、机の引出しの奥に忘れていたものだった。旗。十センチくらいのおもちゃの旗である。ヤキトリなどで使う竹串に、セロハンテープで紙を貼り付けて作ったものだ。確か娘が幼稚園で作ってきたか作り方を覚えてきたかして、私にくれたものだったと思う。この引き出しには、そういう「いただきもの」がけっこう入っていて、それは小さなお菓子とか、折り紙とか、手紙とか、こういう小さな工作であることが多いのだが、捨てるのももったいなく、かといって置いておくといくらでも増えるので、ではどうすればいいのか、たいへん悩ましい。結局、引き出しの奥のそうしたがらくたが増えるにつれ、私が使えるスペースがどんどん減少していって、ハサミとかボールペンとかドライバーといった私が普段使う道具が、居候のように引き出しの手前にこちょこちょ固まって入っているのである。軒を貸して母屋を取られるとはこのことだ。
旗の話だった。旗は、黄色い紙を使った、三角の旗である。色といい形といい、昔のゲームにちょくちょく出てきた「スペシャルフラッグ」に似ている。それはいいのだが、一つ大きな違いがある。違いというか、違いも違ったり、残機で言うと増えるか減るかくらいの大きな違いであるが、つまり、この旗の中央に、赤いペンの漢字で「死」と書いてあるのだ。娘がこんな漢字を知っているわけがないので、たぶんこれは私が自分で書いたものだと思う。なにを考えてこんなことをしたのか、またしてもよく覚えていないが、形とあいまって、なんだか非常に、まがまがしい感じがするのは確かである。つまりこれは「死亡フラグ」なのだろう。
死亡フラグとは何か。この文脈でのフラグというのは、たぶんもともとはコンピュータプログラミングの用語で、分岐のときに材料として使われるデジタル情報のことだろう。動作しているコンピュータが保持している情報のうち、あとで何かの判断に使用されるものを信号旗になぞらえてフラグと呼ぶらしい。
たとえばカラオケ。あなたが店員だとして、訪れた客に年齢を訊ねて、二十歳以上だと確認したら、店の見取り図の、その客の部屋にマグネットを置いておく。このとき、このマグネットは一種の「フラグ」の役割を果たしていると言える。「注文された酒を出してもよいか」について、このマークがあるかどうかで判断できるからだ。免許のあるなし、通行手形のあるなしといったものを示す、鍵の役割を果たすものと言ってもいいかもしれない。もちろん、二十歳以上か否かのように、二つのうちどちらかを取るような情報でなくても「フラグ」と呼べるのだろうが、どうしてか、たいていはこの手の一ビットの情報をとりわけフラグと呼ぶ気がする。たぶん、旗は揚がっているか降りているかのどちらか、だからだと思う。
さて死亡フラグだ。未成年のくせに嘘をついて二十歳以上だと申告して酒を飲み、結果飲みすぎて死亡するのでこれは「死亡フラグ」である、と言えなくはないが、そういうことではなく、この「鍵」「通行手形」のような意味のフラグから、アドベンチャーから恋愛シミュレーションに至るビデオゲームの歴史を経て、ゲーム進行上の重要なイベントが発生する内部的な条件の意味に、そしてさらに今のように小説やまんが、アニメなど、創作物一般の「ドラマ上よくある演出」という意味にまで拡大解釈され、使われていったのだと、私は思うがたぶんそうだ。恋愛関係にも使うが、白眉はやっぱり死亡フラグだ。たとえば「今まで意地悪だった姑が今までの非を悔いて嫁に謝り、これからは息子夫婦の生活には口を挟まず、仲良く生きてゆくことを誓う」というのがそうで、ドラマにおいてこれをやると、まずその姑は死ぬ。
などと、長々とどうでもよい説明をしてしまったが、とにかく私の手の中の、これは死亡フラグなのだった。どうしてこういうのを作ろうと思ったのかわからない。面白いのは、これがもし小説や映画なら、こういうのを作るのは確かに「死亡フラグ」になるだろうということで、まがまがしいものを作ることでなんらかの呪いがかかって死亡するというのは、ホラーの冒頭などで、よくある気がするのだ。
私は、その旗を引き出しの中に放り込んで、ノートの切れ端や銀紙に包まれたチョコレートや埃だらけの金平糖、といったものと一緒にした。まあ、その。これは現実なので、そういうことはないわけである。現実の死というのは、むしろなんの前触れもないからこそ悲劇的だ、などという考え方もあるし、まんがや映画などでも、最近はよほどの場合でないとありがちな「死亡フラグ」というのはない気がするのだ。今度機会があったらぜひ「戦友に婚約者の写真を見せて、なおかつ死なない兵隊」というのを描いてみたいと思っているが、まあ死亡フラグというもの自体、もともと、最初は必ず「昔々あるところに」で最後が必ず「どっとはらい」であるとか、そういうデジタルなイチかゼロかというものではなくて、あるあるそういうのよくあるよね、とかなんとかその手の、アナログな話ではあるが。
と、そこで私は気がついて、引き出しを開け、模型の旗をもう一度取り出すと、旗のところをつまんで力を込めて、竹串の中央のところまで、旗をずらしてみた。できあがった、旗竿の半分くらいのところに「死」と書かれた旗がついたものを見て、一人で笑う。
死亡フラグがデジタルなものではない、というのは考えてみれば当たり前のことだった。死亡フラグというのは、つまり、その定義からして「半旗」でないといけない気がするからである。
とっぴんぱらりのぷう。