真空は金

 よく「学校の勉強なんか社会に出たら役に立たない」と言われることがある。何度か書いたが、こういう警句をまじめに文字通りに受け取るのはよくないことである。たとえば「急がば回れ」だからといって何でも回り道したほうが早く着くわけではないし、「長持ち枕にならず」は実際に枕になりうる長持ちは存在しないことを保証してなどいない。貧乏していても暇な人はいっぱいいるし、名物にだってうまいものはある。そういうのと同じである。たぶん、これは何かもっと長い言葉の短縮形に過ぎず、本当は、
「学校で勉強したことのうち、社会では役に立たないものもある」
「学校で勉強したことだけで卒業後ずっとやっていけるわけではなく、新たに勉強しなければならないことが多々ある」
「学校で常識としていたことが社会においてそうでない場合がある(習慣が違う)」
「学校の勉強なんか社会に出たら役に立たない、んじゃないだろうか」
「学校の勉強なんか社会に出たら役に立たない、だったらいいのになあ」
「学校の勉強なんか社会に出たら役に立たない、と言ったら怒る?ねえ怒る?」
 等々ということに違いないが、このようにくどくど書くよりも、不正確でもいいからずばっと核心を突くことを言ってみたかったんですテヘ、と、そういう感じの言葉であると考えるべきなのだと思う。テヘ。

 ところが「学校の勉強なんか社会に出たら役に立たない」というのは、どうも耳に心地がよくて、一度どこかで聞いたが最後、心のどこかにすとんと住み着きやすい。どういうふうに心に残るかというと「だから卒業して社会に出ても勉強、一生勉強なんだ」ではない。「学校の成績は今ひとつだとしても、社会で頑張れば成功できる」でもない。「なあんだ、学校であくせく勉強なんてしなくていいんだ」である。この言葉が、私を含めどれだけ多くの青少年の学習意欲をそいできたか、想像すると恐ろしいものがある。似たようなものに「年金はいずれ破綻する(ので年金保険料は払う必要がない)」とか「NHKは不祥事続きでけしからん(ので受信料は払わなくてよい)」あるいは「違法コピーのファイル交換は元の作品の宣伝になる(のでやってもよい)」がある。必ず自分が、短期的には得する方向に解釈されるところが恐ろしい。

 さて、そういうわけで、学校で習ったことにも、実はあとあと役立つことはいっぱいある。私にとって、その一つが真空技術である。頑丈な容器を作り、真空ポンプで中の空気を吸い出し、真空にする。それだけのことだが、なかなか奥が深い。中に多少残る気体がどうすれば少なくなるか、さまざまなノウハウがある。真空技術というのは社会のいろんなところで使われていてとにかく応用範囲が広いので、これは慣れておいて助かったと、あとで何度も思った。

「自然は真空を嫌う」という有名な言葉から容易に想像できると思うが、真空容器には漏れが付き物である。自転車のタイヤ、都市ガスの配管、実家から送ってきた荷物に入っているタクワン入りの袋がそうであるように、真空容器もまた、しばしば漏れは生じるのだ。ここで注意したいのは、真空が漏れるというのは「容器の中から外に真空が漏れ出す」ではなく「容器の外から中に空気が漏れる」なのだが、なぜかこのことを「真空漏れ」と呼ぶ。これは真空にまつわる不思議なことの一つである。

 不思議さておき、もちろん、仮にも真空容器として作られたものである。空気が入らないように注意して、きっちり作ってあるはずなのだが、そのきっちりというのは私が考えるところのきっちりなので、シャレというものが通じない自然に相対するとどうなるか。鼻で笑われるように真空漏れが起きるのだった。しかもそれがどこだかわからない。怪しいところはいくつかあるが、いやむしろいくつもあるが、そのうちのいずれとも断定できず、ただ、容器の中の真空度を測る真空ゲージの値がいつもより悪いので、漏れているということだけはわかる。こういうとき、ヘリウムガスを使う漏れの検査法を、よく試していた。

 どうも真空が漏れている。このままでは実験ができない。そういうときはヘリウムガスのボンベをがらがらと真空装置のところまで引いてくる。ボンベにチューブをつないで、少しだけヘリウムガスを出す。真空ゲージを見ながら、怪しいところにチューブの先を当てて、しゅっしゅっ、とヘリウムをかけると、もしもそこに漏れがある場合、真空ゲージの値が、すーっ、とよくなるのだ。こうやって、直すべきところを探す。ここで、真空がよい、真空度が高い、というのは、容器の中の空気分子の量が少ない(本当の真空に近い)ということである。

 これは若干、直感に反する。というのは、なぜ真空計が「良い」方向に振れるかの話だが、まず、容器に真空漏れがある。たぶんパッキンに髪の毛か何かが挟まっていて、そこからヘリウムガスが容器内に入っていることになる。余計なガスを入れるのだから、容器の真空度としては「悪い」ほうに振れなければおかしいような気がするのだ。ただ、その測定装置が「イオンゲージ」という、残留ガスをイオン化して流れる電流を測定することで真空度を測定するという、そういう原理のものであることを思い出すと、ある程度納得がいく。つまり、ゲージの示度は圧力(つまり容器の中に残留した気体原子の量)であるとされているが実はそうではなく、真空度におおむね比例するとされている他の物理量を測定しているのである。この場合、真空計の示度は、残留ガスの量だけでなく種類にも依存しているわけである。

 別の言葉で言えば、ヘリウムを入れてゲージの指し示す真空度がよくなっても、実は真空は改善してはいない。そんなふうに見えるだけである。容器内の真空度という「物理量」と、イオンゲージの読みという「測定値」との間に、無視できない乖離が起きているわけだが、これを逆手にとって、真空漏れの調査に利用していることになるのだろう。

 私は、真夜中、誰もいない実験室で一人真空漏れを探していて、よく考えたものだ。測定というのは、だいたいいつもそういうものではないだろうか。

 たとえば、大学入試。高校の期末試験でもそうだが、学力試験というものは、その人の能力を測定するために行うものである。大学は、志願者の中から能力の高い者を、入試の合格者として選びたいと思っている。何をもって「能力」とするかという根源的な疑問もあるが、まあ何か、大学側が学問を授けるのにふさわしい人を選ぶ上での選好度のようなものが数値化できるとして、その数値が高い人を選ぼうとしているわけである。

 ある入学希望者の能力を測定するための方法としては、たとえば一晩付き合ってみるとか、周囲の人に聞いてみるとか、その人の名前でグーグルで検索をかけてみるとか、いろいろあるわけだが、紙にいくつか問題を書いてその人に渡し、その人がどれくらい解けるか調べる、というのも一つの方法である。これはペーパーテストと呼ばれる能力測定法の一つだが、比較的手間がかからないので大学入試では主としてこれが使われている。注意深く作ったペーパーテストの得点と、その人の学問をしてゆく能力にはある程度の相関関係があると考えられるので、ペーパーテストの得点をその人の能力の測定値として扱うことができる。入学希望者の点数の高い順に、合格通知を与えればよいということになる。

 ところがそうではない。もともと、テストというものが初めて実施されたときでさえ、本当に測定したいもの(その人の能力)と、測定値(ペーパーテストの点数)の間はある程度の差が存在したはずだが、同じ形式のテストが繰り返されるにつれ、その差は大きくなってゆく。測定されるのは真空度ではなく入学希望者という「人」なので、しかも測定値が上がるほどその人はうれしいという仕組みがあるので、ある決まった方法を用いて能力を測定されるということを自覚し、対策を取ることができるからだ。能力そのものよりも、測定値を向上させる努力の競争になりうるということである。

 これは一種のごまかしであるが、一般にはそうは考えられておらず、入試に向けた正当な努力であるとされている。たとえば「この大学の入試にはこういう問題が出やすい」というような情報を使って、試験の傾向と対策というものを練るとき、本来どのような問題にも対応可能な万能の「能力」の向上ではなく、ある大学の試験という、極限された目的に対してその成績(測定量)を上げることを狙っているのである。真空容器の漏れをふさぐのではなく、ヘリウムを供給して真空ゲージの示度を向上させる装置が、もしあったとすれば、これに似ている。

「社会において役に立たない勉強」とは、実に、こういうものだと言える。実際には、そうして試験勉強をしていても、さまざまな、後で役立つ知識や思考能力というものはある程度培われてゆくのだろうと思うが、試験が終われば忘れてもいい、試験のための勉強でしかないようなことも、やはりあると思う。しかたのないことだが、あまりよいことではない。

 と、ここで種明かしというか、以上をなぜ書いたのかを明かすと、あるニュースを聞いたからだ。グーグルで「厚生労働省」を検索すると海外の別のサイトが検索される、ということが報道されていたからである。考えてみればここでも、真に測定したい物理量に相当する値と、測定値との乖離がある。しかもそれだけではなく、実際に表示されるのは「測定値」であることを積極的に利用しようという人々の存在も透けて見える。

 グーグルをはじめとした検索エンジン各社としては、仮想的なユーザーの選好度に沿った順番で検索結果を表示するために、さまざまな努力を払い、測定のモノサシを工夫しているのだと思う。その一方で、検索結果のどこに自分のサイトが表示されるかが、直接収入にかかわる人々(たとえば、サイトを通じて一般ユーザーにモノやサービスを販売する業者)がいるので、操作しにくい真の人気度ではなく、測定のほうをごまかそうとする人でインターネットはあふれている。そりゃもうたくさんいる。もちろん、試験勉強と同じように、これもあまりよいこととは言えない。最適化がうまいサイトではなく、役に立つサイトを探す、ユーザーの迷惑になるからだ。しかしまず、試験勉強はやめろと言っても受験生は聞く耳を持つまいし、サーチエンジン最適化も同様だろう。

 真空度の場合、わざわざこちらがボンベを転がしてきて漏れ箇所から導入しない限り、ヘリウムのおかげで測定値が信頼できなくなる、ということはまずない。そこが自然界を相手にしているときの気楽さといえるが、一方で、サーチエンジン最適化をはじめ、社会に出てもけっこう、物理量と測定値の違いを利用した活動はさまざま行われていて、人々は問題を本質からぼかすことに余念がない。その意味で、上のさまざまな警句(ロングバージョン)の中では「学校の勉強なんか社会に出たら役に立たない、だったらいいのになあ」が、一番真実に近いような気もするのである。


トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧ヘ][△次を読む