震えるのだ このエントリーを含むはてなブックマーク

 プレゼンテーション、プレゼンという外来語がまだ日本に入っていなかった頃、この言葉が指すものをどう言っていたのだろう。なんとか言ってはいたはずだが、プレゼンってのはすかした言い方だなあ嫌だなあ等と思っていたくせに、いま一つ思い出せない。要するにみんなの前で研究内容やら商品説明みたいなものを資料を使って発表したり紹介する行為のことだが、このプレゼンの場で、スクリーンに投影された資料の、今どこを説明しているのかを示すためなどにレーザーポインターがよく使われる。半導体レーザーを利用した小さな棒状の低出力レーザー照射装置であり、ボタンを押すと画面上に小さく緑や赤の光が灯る。

 こういうとき、私はレーザーポインターではなく物理的な差し棒を使うのが好きだ、という話を書いたのは2005年の3月のことである。振り返れば2005年。すこし前だがそんなに前でもない。阪神タイガースで言うと岡田監督の二年目で、阪神がリーグ優勝を果たした年だが、思い出したら今年のテイタラクにむくむくと腹が立ってくるのでそんなことはどうでもよいのだ。本当にどうでもよい。考えたくもない。ああまた腹が立ってきた。いや、だからそうではなく、あれから4年ほどのあいだに、プレゼンの場に棒が用意してない場面は、ますます増えてきていると言いたいのである。本当にたった4年しか経ってないのに、いや、だからもういい野球の話はしないでいただきたい。ああ腹が立つはらがたつ。

 と、そういうわけで、今に比べればずいぶん幸せだった2005年の私は、当該雑文の中でどうしてもレーザーポインターじゃイヤだ、なにがなんでも棒を使うのだとダダをこねている。その一方、とはいえプレゼンの場から棒がなくなることはしばらくはないんじゃないかなあと考えていた。その理由として、
(1)プレゼンの会場にはスクリーンがある。
(2)スクリーンは普段しまっておいて必要な時に繰り出す仕組みになっていることが多い。
(3)そのためには棒が必要であることが多い。
(4)したがってプレゼンの会場には棒があるだろう。
 と、書いてみるとわざわざ箇条書きにするほどのことはないが、そう思っていたわけである。ところがどっこい、この事情はいまでもそんなに大きくは変わっていないにもかかわらず、実感として、結局レーザーポインターを使わざるを得ない場面が年々多くなっている気がする。大きな会場なので物理的に棒が届かないとか、パソコンを操作してくれる人がおらず自分でやらないといけないので席に座ったまま発表することになったとか、あるいはスクリーンが完全自動でスイッチ一つで上から降りてくる仕組みになっているので棒なぞ必要ない、などということはあるが、もっとも大きいのは次の理由だ。
(1)あの、棒はありませんか?(演台にのぼろうとしたところで、ふと気づいたように、少しきょろきょろしながら)
(2)はい、なんの棒でしょう?(見る人に安心感を与える微笑みを保ちながらも、かすかにけげんそうな顔で)
(3)ほら、スクリーンを指す棒です(と棒を持つ手振りをする)
(4)ああ、それでしたら演台の、机の上にありますよ。どうぞ(花のような笑み)
 と花のような笑みで示された演台のところに上がってみると、そこにあるのはレーザーポインターだったりするのである。耳かきしようと思ってマッチがないかと訊ねたらライターを出されたとか、壊れ物と一緒に箱に詰めようと思って古新聞紙のありかを訊ねたらインターネット上のアーカイブを紹介されたようなものである。

 つまり、社会的な強制である。レーザーポインターの普及とともに、「プレゼンのときにはまあたいていはレーザーポインターを使う」くらいであったものが「レーザーポインターを使わないひとがいるとは考えられない」という感じに、ますますなってきている。マッチなき世界。新聞紙なき世界であり、もちろんここには棒もない。さあどうするか。とはいえどこか舞台の裏のほうには棒くらいあるのだろうから、ここであくまで棒を要求するという、それは方法としてまずある。違うだろ、おれは今「棒」って言ったろ棒だよ棒、と強く迫る。あるいは、いやだいやだ棒がないといやなんだと演台の上でひっくりかえって手足をばたばたさせる。しかし、考えてみればそうしてあの助手のおねえさんを困らせてもなあんにもいいことはないのだ。そうやって世の中の不幸を一つ増やすことで、世界はすこし不幸になる。こうして不幸になった人がさらに他人を不幸にし、そしてこうしたことの積み重ねでこの世界はますます不幸な場所になってゆくのである。演台で無理を通すことで、大切な子どもたちに幸せな社会を残してやることができると、あなたは言うことができるのか。であるからしてここは黙ってレーザーポインターを使う。そもそも棒うんぬんは気分のものであってべつにレーザーポインターでは発表できないわけではない。ところでああいうところにいる人に対して自分より年下なのにいつまで経っても「おねえさん」と呼んでしまうのはなぜなのか。私の祖母がいつまで経っても私のことを「お兄ちゃん」と呼ぶようなものか。

 ややもすると話がそれるが、そうやって妥協してレーザーポインターを使っていると、如実にいらいらしてくるのを感じるのだが、どうだろう。私が棒を愛する気持ちとはまた別に、レーザーポインターというものを、今一つうまく使えていない気がするのだ。たとえば、表示された図のある場所を指したいとする。「指したいとする」というか、それがレーザーポインターの唯一の存在意義だと思うが、そうやって図をポイントすると、これが、実にうまく指せない。まず正しくポイントできないのだが、つまり、
「そこでシステムのこの場所に」
 と言いながらポインターを使って指し示した、その場所は「この場所」とぜんぜん違う場所である。
「ええと、だからこの場所にですね、ええと、ここ」
 などとごまかしながら指し直して、やっと望みの場所に照射できたとして、次はその光がぶるぶると震える。震えるのである。おびえた小型犬のように、ぶるんぶるんと光の先が揺れるのだ。

 みんなこうなのか。私だけがこうなのか。他人の発表を見てもやはりポインターの先は震えていると思うのだが、ではなんでこういうことになるのか。マウスのポインタだとこういうことは起こらないので、たぶん人間が持つ筋肉の制御方法といった生物的なレイヤーに原因がある根深い現象なのではないかと思うものの、要するに人間が手を空中のある位置にぴたりと止めるというのは、相当難しいことなのだろう。

 これは実は不思議なことで、普段暮らしていて自分の手の震えを感じることはそんな多くない。むしろ震えることなんてないと思っている。それはそれでいいと思うが、困るのは見ている人のことだ。レーザーポインターを使ったことがないとか、しばらく使ってないので忘れているとか、使っても図の細かいところを指してそこに長時間ホールドするような使い方をしたことがない人は案外多いのではないかと思われるが、その人にはわからない。なぜ震えているのだろうと思われているに違いない。いやきっとそうだ。なんだこいつ、震えてやがるぜと思われている。おいおい、とって喰おうってんじゃないんだもっと落ち着いて話せよなどと上から目線で私のことを見ているに違いないのだ。そうではない。そうではないのであり、壇上で、高いところから申し上げますがそのように思われてては心外でございますと私は言いたいのである。特にあの花のようなおねえさん、優しくもこちらを見てときどきうんうんとうなずいてくれるあのひとにそう思われると考えるのはたいへんつらい。

 などという感想は私のものではなく会社の同僚に聞いたものであるのでそこのところをよく認識し家庭内トラブルに発展させることは厳に謹まれたいと私は主張するものであるが、とはいえ、これに技術がなんらかの回答を示せるのではないかと思うことはある。たとえば、手が空中にではなく、何らかの支えの上に乗っていれば震えはそれほど大きくならないと考えられるので、手をマイクスタンドみたいなのの上で置いて半分固定した状態にするというのは回答になりえるだろう。待ったそれはポインターの光が震えるのとどっちが格好悪いかわからないぞ、という意見はもっともだが、ではポインターのほうをマイクスタンドの上に載せて半固定しては、と提案したい。するとブレーンストーミングの席なのに同僚からばかを見るような目で見られる気がしてきたので、ほかを考えよう。

 たとえば。ビデオカメラで「手ぶれ補正機能」というものがある。レーザーポインターが震えるようにビデオカメラだって震えるので、撮影している画像が震えないよう、手ぶれの振動数あたりの成分をキャンセルするように、撮影画像からぶれていない要素を切り出すものであると考えられる。あるいはジャイロやモーションセンサーなどを使って本体の傾きを検知しているのかもしれないが、どちらにしても、この構造はそのままレーザーポインターにも活用できるはずである。ポインターの傾きを検知し、手ぶれに起因するあまりに細かな動きはレーザー照射位置を変化させることで消し去る。あるいはレーザーポインターと同軸にビデオカメラを備え、そのカメラで撮影する画像が動かないように、照射位置を調整する。

 レーザーポインターぐらいの価格帯の製品にこのようなシステムを採用するのは難しいだろうか。そうは思えない。千円くらいで買える光学マウスにだって似たような機能は搭載されている気がするし、考えてみればゲーム機のウィーに採用されているのはそのものずばりのシステムではないだろうか。いや、私はこの日本が誇るメディア芸術再生機のことをコマーシャルで見ただけなのでものすごくいい加減なことを言っているかもしれないが、どうだろう手ぶれ防止レーザーポインター。一万円くらいで作れと言われて作れないものでもない気がするのである。

 そして一万円なら私は買う。少なくとも見ているひとに、特にあの花のようなおねえさんに、私が震えていると気づかれないためだったら、一万円くらい安いものだと思う。どうだろう棒なきこの世界を少し幸せなものにするために、私に手ぶれ防止レーザーポインターを。百円ショップで買えるくらいコモディティ化した今のレーザーポインター業界の歩むべき道の一つとして、こういう高級化路線もあってもいいのではないかなあと私は思うのだ。そういえば、コモディティは日本語で何というのか、すかした言い方だなあ嫌だなあと思っていたのにほかの言い方が思いつかない。おしえておねえさん。


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