「こないだの書類整理はわかる。それが『あいつら』の目的よね。でも今回のはわからない。なんで合コンなのよ?」
と春香は言った。
「さあ、おれにもわかんね。校長の指示ってことになってるが、まあ、本当じゃ……ないだろうな」
「当たり前でしょ」
適当なことを言った俊に向かって、春香はそう言うと肩をすくめる。校長はただの飾り。今の学校の支配者が『あいつら』であることは、かれら高校生にも当然の事実として受け止められていた。
「たとえば、そうだな、交配してるつもりなんじゃないの? おれたちをさ」
「ぞくっとした。今、ぞくっとしたよ?」
と春香は自分で自分の肩を抱いてみせる。そんなことをされたら、たまったものではない。
「まあ、準備はしよう。逆らったってしようがない。あっちの高校の生徒を何人かここに呼んで、適当に話せば満足するんじゃないかな、『あいつら』」
「そうかなあ」
「『あいつら』、そもそもあんまりよく、わかってないと思うよ、おれは」
と、俊はまた適当なことを言った。
しかし事実そうなのかもしれない。実際、あいつらはよくわかってない。そう思うことが春香にも多かった。
『あいつら』がやってきたのは、今年の夏のことだった。いつもよりひときわ暑かった気がするこの夏休み。お盆を過ぎ、そろそろ宿題のことが気になり始めたいつもの夏期休暇の途中で、突然学校から、登校するよう連絡があったのだ。
「なんでよ。何があったの?」
「さあ、大掃除みたいなことをするんだ、って山崎の奴言ってたぞ」
と、俊が連絡網の電話で言っていたのを、春香はまだ覚えている。幼なじみで、小中高が同じで、どういうわけか今は一緒に高校の生徒会役員をやっている春香と俊は、電話でひとしきり担任教師の悪口を言って、それでかろうじて溜飲をさげて、次の日に登校した。
そこで校長の口から聞いたのである。この地球はすでに「あいつら」に征服されております、と。
「私たちのことは『あいつら』と呼ばれていて、結構です」
と、クーラーもなく、千人を越える高校生の体温でうだるようになった高校の講堂で、校長に代わって壇上に立った人影が、どこかあやふやな日本語で言った。きっちりスーツを着ていて、ネクタイも締めていたのをまず不思議に思った、というのが春香の記憶に残っている。
「私は一人ですが『あいつら』です。よろしくどうぞ。命令は、ここに紙を集めることです。地球の紙、教科書、ノート、メモ帳、交換日記帳、ポスター、時間割り表、ここに集めてください。二時間あります。暑いですから水分補給はこまめにしてください。よろしく」
なにがなんだかわからなかった。わからなかったが、担任の山崎教諭と、それから柔道の有段者で顔がとても恐い高松という教諭が「かかれ」と言ったので、春香たちは従った。教室の、必要最低限を除くすべての紙を集めて、講堂に積み上げる。教室や図書館と講堂の間を往復する作業も、全校生徒でかかれば大したものではなく、一時間も経つと講堂の中は積み上げた紙が山のようになった。
「ごくろうさまでした。それでは、巻き込みますから壁際まで下がってください。五分あります」
と、壇上で何も言わず待っていた『あいつら』は、そこではじめて言った。不承ぶしょう、といった感じで誘導に従い、壁まで下がった春香たちの目の前で。
どしん。
という重い音をたてて、講堂の床が、まるでどんでん返しのようにぐるっと回って、息をのんだ春香の目に「床の裏側」の奇妙な風景を一瞬だけ見せつけて、それから、もう一度回る。見慣れた講堂の床に、紙の山はそこにはもう、存在していなかった。メモ用紙一枚、残さずに。
なるほど、と春香はそこではじめて思った。なるほど。こういうのを見せられると、確かに宇宙人に征服されたというのは、本当のことなのかもしれないと思う。
だって、講堂は一階で、下にあの紙の山が収まる部分など、どこにもなかったからだ。
征服された人類の歴史は、こうしてなんとなく始まった。
「はい、はいそうです。ああ、そっちにも話が。だったら話が早いス」
と、俊が学校の電話を使って話をしているのを、春香は横で聞いている。伸ばしてもいいことはないし、『あいつら』に逆らってもしかたがないので、今日のうちに連絡を済ませてしまうことにしたのだ。春香は生徒会室で、ほかにやることもなく外の風景を見る。あれから、日数にしたらほんの百日たらずの日々が過ぎて行っただけなのに、グラウンドの端の桜並木はすっかり秋の装いになっている。
「では来週。はい、こっちの学校で。えー。適当なのを見繕って十人くらい寄越したらいいんじゃないでしょうか。とにかくこっちではそういう話になってます」
と、俊はまたいい加減なことを言った。別になにも決まってなんかはいないのに。こんないい加減な男なのに、なぜこの男は生徒会長なんかをやっているのか、あるいはいい加減だからこそ人類が宇宙人に征服されても生徒会長なんかをやっていられるのかもしれないが、とにかく話はまとまったらしい。
「はい、あ、じゃあケータイのメアドか番号ください。あ、メモします」
と言った俊が、そこで春香のほうを見たので、春香は慌てて自分の鞄を探す。探してから、しまった、と思った。
(ごめん。メモがない)
という手振りをすると、あちゃあ、という顔になった俊が、すぐポケットに手を入れて、
「はい、090の。はい」
と自分のケータイにかちゃかちゃと数字を入れ始めて、春香はほっと胸をなでおろす。ああよかった。
まったく、いつかは慣れるだろう、とは思うのだが、それは百日ではとても足りそうにない。
つまり、紙のある生活はもう二度とやって来ないのだ、ということにである。
『あいつら』は、紙に対して、異常な興味を示した。実は紙だけではなく、木材や、木綿の服や、つまり植物由来のものすべてを蒐集し、床を割ってはどこかに消し去る、そういう活動を主にやっているようだった。占領対象である人類の統治に、ほとんど情熱を示さないのと、これは奇妙な対照だと言えた。命令をし、奴隷化し、熱心に収奪をしているとも言えるのだが、それはほとんどの場合「紙を集める」とか「床をはがす」とか、そういった活動に当てられているのだ。なぜだかはわからない。
「『あいつら』って本当は木なんじゃね? だから木を使った製品が許せない、ってことじゃないか」
とは俊のいいかげんな分析だが、そうだとしたら、桜並木に対してもなんらかの手を打ってしかるべきではないか、と春香は思うのだ。人類の食糧は元をたどればほとんど植物に由来しているが、そっちもわりとどうでもいいらしい。「米を食べるな」と言われなくてよかったというべきだが、だからといって隣の高校との合コンに、どういう脈絡があるのかわからない。俊の言い草ではないが、まったく、なんにもわかっていないのかもしれない、とも思えてくる。
「まあいいや、おれは帰る。また来週な、春香」
知らない相手との無意味な電話で、それなりに疲れたのかもしれない。そう言い残して席を立った俊に、その「合コン」には私も出るのかどうか聞き忘れたな、と思いながら、春香も軽い鞄を肩にかけて、高校を出る。高校からは少し距離があるのだが、俊は自転車、春香はバスで通学しているので、どうしても帰りは別々になる。雨が降ってたら一緒に帰れたのにな、と春香は早々と日暮れてしまった星空をうらめしく見上げた。
「ただいま」
と、自分の家の、いまだに慣れない外観が、暗闇の中でほとんど見えないことにかすかな安堵を感じながら、春香は家のドアをあけた。とたんに、目の前になにか柔らかいものが、ばす、と音をたててぶつかって、春香は小さく悲鳴を上げる。
「な、なに?」
「挨拶です。枕投げです。楽しいですね?」
「ああ、『あいつら』」
そこに立って、春香を出迎えたのは『あいつら』だった。高校にいるやつと同じなのか、それとも姿は似ているが別の個体なのか、誰にもわからない。ただ『あいつら』はあの夏の日以後、そうやってみんなの家にいて、その家を征服している。
「そうねっ」
と言いながら、少し腹を立てた春香は、ぶつかった枕を拾って『あいつら』に投げる。ぼす、と音をたててぶつかる枕から顔をかばうでもなく『あいつら』はにこにこして立っている。まったくわけがわからない。枕投げと挨拶がどう結びついたのか。あとで俊にでもメールして訊ねてみようと思う。
玄関に立ったまま、枕を脇にかかえて『あいつら』は春香に言った。
「ごはんはまだです。三十分あります」
「ありがと」
と春香は言って、キッチンに向かう。いつもの方向ではなく、いったん和室を経由して行かねばならないが、それというのも、そっち半分の家を『あいつら』が持って行ってしまったからだ。木造だったからだが、ひどい話ではないかと思う。
「ああ、春香、おかえり」
と、リビングのほうから帰って来た春香を認めた、母親が言った。持って行かれずに済んだキッチンの、段ボール箱の前で、疲れ切ったように床に座り込んでいる。
「パパは遅いんでしょ? 晩ご飯はあと三十分、と言ってたけど、『あいつら』」
「ああ、そうね。そろそろ支度をしないと」
と言いながら、母親は立ち上がって、そうしながらも、まだ段ボール箱を見ている。箱と、それからその横に積まれた、アルバムやノート、手紙や写真の束。
「整理してたの?」
「ええ」
「『あいつら』うるさいでしょ。早くやっちゃえばいいのに」
と言った春香に、母親は途方に暮れたように首を振って、
「でも、箱一つよ? 結婚式の写真も、春香が小さいときの日記帳も……とても選べない」
それが『あいつら』が出した命令だった。「紙は箱一つだけ持てます。それ以外は集めます。二五日あります」とかなんとか言っていた。──要するに、箱一つ分だけの紙を残して、あとはすべて『あいつら』が接収するということだ。
「あっ、そうだ。買ってきたんだ」
と春香は鞄を開ける。軽くて頼りない鞄が自分で不安なのか、最近よくこういう買い物をしてしまう。それとも、紙幣が消滅してすっかり扱いにくくなった「お金」というものが、今ひとつ信用できなくて、こうして品物に換えてしまうのだろうか。
「あら、なに?」
「チョコレート」
紙の包装はもちろんない。ただの銀紙が巻いてある、そのお菓子を、春香は大事そうに取り出して、ひとかけら割ると、母親に渡す。母親は初めてすこし微笑んで、それを受け取ると、口に入れた。
「いつまで続くんだろうね」
そう言った母に、軽く肩をすくめて、春香は自分でもチョコレートを口にする。鞄の中のチョコレートのように、春香が答えを持ち合わせていると思ったら大間違いだ。鞄の中にあるものと言えば──。そうだ、携帯電話を取り出したくて、でも、母親の顔を見ているとそんなこともできなくて、春香は鞄をかかえて、母親としばらくそのままでいる。
紙のない世界。
まあ、どうにかなるんじゃないのか、といいかげんなことを言った俊の言葉を、こんな夜は聞きたくてしようがなかった。