説明しよう。パクちゃんというのは、私の右手に宿っているキャラクターの名前である。右手を使って、手を「パクパク」の形にする。親指と、その他全部の指でぱくぱくである。「生茶パンダ」みたいな、動物の顔のパペットを手に付けるとこれで口の動きを表わすことになるが、今回はそれはない。手でもって、しかも手だけでもって、口の動きを表わそうというものである。その動きからパクちゃんの機能が「食べる」だけに限定されたとしても、誰を責めることができるだろうか。
少し先走りすぎた。最初から話をすると、そもそも、小さな子供というものは何か。一定時間お布団でおとなしくしていれば、ただそれだけで、うとうとと眠り込んでしまうものではないか。そうではない、という人はいると思うが、少なくともうちの子はそうであって、だから仮にうちの子を寝かしつけたい、と思った場合、問題は「いかにしておとなしくしていただくか」ということにかかっていると言える。布団をかぶせる。絵本を読む。お話もする。とんとんと背中を叩く。子守唄を歌う。それでもなお布団の中でもぞもぞと動き回って眠気を寄せ付けない。そんな子供をどうすればいいかというと、そうだつまりパクちゃんの出番なのである。パクちゃんが布団の山の向こうから現われて、うちの子めがけて鎌首をもたげるのだ。
「やあ、パクちゃんだよ」
とパクちゃんは、まずは明るく挨拶をする。
「こんばんは」
と子供に頭を下げる。さあどうしたここで、子供がパクちゃんに「こんばんは」と挨拶をしないと、パクちゃんはてきめんに機嫌が悪くなる。どうしたって「こんばんは」には「こんばんは」であり「これあげるね」には「ありがとう」である。それは人生の基本であり、パクちゃんは厳しくそれを子供に教えるのである。
「ねえねえ◯◯ちゃん、今晩もう、ご飯食べた?」
とパクちゃんは質問する。
「え? たべたよ」
「何食べた?」
これに答えるべきか。だいたいにおいて、過去の事を思い出すのは、ましてやそれが食事の内容などというはっきり言えばどうでもいいことについてとなると、私も苦手だし子供も苦手だ。しかし、答えないとどうなるかというと、パクちゃんが怒って大変なことになるので、子供は答えねばならない。
「えっと、かれーと、さらだと」
「うんうん」
パクちゃんはうなずく。
「さらだと」
「それさっき言ったね」
パクちゃんは、他の観客に向けてタイミングよく突っ込みを入れる。他の観客なんかいないのに。
「よーぐると」
「いーなーあっ!」
パクちゃんは身をよじってうらやましがるのである。それはもう、ごはんの内容がなんであれ、まあそんなことはないが例えば仮に「ごはんとふりかけとお茶」であっても、パクちゃんは必ず、決まったように、全身全霊を込めてうらやましがるのである。なぜならば、
「パクちゃん、今晩まだ何も食べてないんだ」
こういうことだからである。食べてないのである。
「へえ」
と冷たい、空気を読まない、子供にパクちゃんはこう、おねだりをする。
「パクちゃん、もうおなかペコペコー。何か食べたいなあ」
「いやだあ」
と、ここで初めて、過去、何百回とこれをされている子供は「ハメられた」ということに気づく。もうちょっと学習してもいいのだが、ここではじめていやがるのである。
「食べていい? ◯◯ちゃんの、ほっぺが食べたいなあ」
そう、つまりこういうことだからだ。
「たべないでー」
当たり前だが、子供は断る。普通そうである。食べられると無くなるからで、無くなると困るからである。
「そうだ。『食べないで』って言った子を食べよう」
と、パクちゃんは食い下がる。タフ・ネゴシエイター。それがパクちゃんである。パクちゃんは、ぱくぱくしながら妥協策を提案する。
「たべてー」
と、ある種の論理的なパズルを解き、真剣な顔でこう言った子供に対して、
「はーい。むしゃむしゃむしゃー」
「いやあああん」
容赦なしである。
「まだおなかがすいてるなー。今度はおなかが食べたいなー」
しかも底なしである。
「たべないでー」
「あっ『食べないで』って言った。むしゃむしゃむしゃー」
理不尽なのある。理不尽なのだが、パクちゃんがそれだけおなかがすいているのだから、しかたがないと言えよう。昔、偉い人は言った。どうしても必要なものはどんな汚い手段で手に入れても罪にはならないのだと。嘘をついてもごまかしても、パクちゃんは常におなかがすいているのだからしてしかたがないのである。
「まだおなかがすいてるなあ。じゃあ、そうだ」
しかも、ひとしきり食べたあと、ふと思いついたように、こんなことを言う。
「なに、パクちゃん」
「パクちゃん、寝ない子を食べよう」
「きゃああ」
つまり、まずこれで寝るのである。少なくとも三歳児は寝る。お試しください。
とはいえ、そのようにして子供とうひゃうひゃ言いながら暮らしていても日々は過ぎて行く。こういうのがあと十年くらい続いても私はまったくなんということはないし、むしろそうでなければ何のための人生なのかちっともわからなくなるのだが、とにかく子供はいつか、大きくなるのである。
「やあ、こんばんは」
「こんばんはパクちゃん」
「◯◯ちゃん、何読んでるの?」
「『ケロロ軍曹』」
子供は大きくなって行って、いつか父親の本棚から勝手にまんがを取り出して読むようになるのである。父親のぱくぱくが怖くはなくなる、そんな日はやってくる。あとはそれが、遅いか早いかの違いだけだ。
「……そうだ、あのね」
「何?」
遅いか早いかである。パクちゃんはこれを機会に、思い切って、子供に打ち明けることにする。
「あのね。パクちゃん、そろそろいなくなろうと思うんだ」
「え」
と子供は思わず、持っていたまんが単行本を取り落とす。落として、やや真剣な目になって、パクちゃんのことを見つめる。
「どうして?」
パクちゃんは、口を閉じたまま、軽く首を傾げる。
「ほら、◯◯ちゃんなかなか食べさせてくれないでしょ。パクちゃん、旅に出ようと思うんだな」
「え……」
と言った顔は、幼いながらに、どこか、事態を悟ったような真剣さがあったりするのである。ふう、と息をついて、パクちゃんは口を開く。
「あ、でも、◯◯ちゃんがもし困ったときは、いつでもパクちゃんを呼んでね。どこにいても駆けつけるからね」
「……」
「どうしたの?」
「いやだああああああああっ、パクちゃん、いなくならないでえええええ! 絶対、いなくならないでえええっ!」
「あ、あの、◯◯ちゃん?」
「いくらでも、食べていいからあああああっ」
と、小学三年生に右手にすがりつかれて泣かれて、つまりそういうわけで、パクちゃんはまだ、私の中にいるのだった。