歳末大売り出し

 ♪かっぱだな かっぱだな きゅうりのおすしは かっぱだな まぐろのおすしは てっかだな

 ドラッグ&ドロップって薬物で人生棒にふるみたいなことばだよね。

 仮に「猫インフルエンザ」というものがネコ科の動物の間で大流行して、渡り猫によって飼い猫にも広まり、ヒトとの濃厚接触により突然変異し、パンデミックのおそれがあるとなったら世の愛猫家は自分の家の猫を殺処分できるだろうか。とてもそうは思えない。まず100%は無理。だから、そうなったら人類の築いてきた文明ごとおしまいだという気がする。
 つまりこの、我々のかけがえのない世界は、ネコデミックが流行するまでの、ほんのわずかな時間だけ存在を許されているにすぎないのだ。

「水からの伝言」というのは、そもそも言葉としておかしくて、たとえば雪の結晶は比喩的に「空からの手紙」かもしれない。これはつまり「空」が「雪という媒体」を通じて私たちに送った情報という意味で、雪は手紙、空からの手紙である。うなずける話だけれども、一方「水からの伝言」は氷(水の結晶)になんらかの情報がある、という主張なのだから、もしもこれが「何か超自然的な存在が水を通じて私たちにメッセージをよこしている」だったら「誰かからの、水を通じた伝言」だし、一方「水そのものが結晶で私たちに何かを伝えようとしている」だったら「水が直接に私たちに言っている」であって、どちらにしても「水からの伝言」ではないのだ。それともあれか。氷は水と違うからいいのか。

 言葉狩りのことばかり。

 太陽電池をいっぱい乗せた「発電衛星」を作って衛星軌道に打ち上げ、宇宙で発電してそれを電波などで地上に送電する、というのはロスが大きいし、太陽電池の打ち上げコストが高くなりすぎて到底引き合わないのだと思いますが、では鏡の役割を果たす薄いアルミホイルみたいなのを打ち上げ、角度を微調整して、地上のある地点を「めっちゃ日当りがよい場所」にする、というのはどうだろうか。太陽光発電なり太陽熱発電をそこでやる。食のとき以外は夜でも発電できる。新しい技術はあんまりいらない。伝送ロスも少ない。
 でも、そういえば、そんな大掛かりなものではなくて、いまやそこいらじゅうにあるメガソーラーやら家庭用の太陽光発電システムに鏡を併用したソリューションが見当たらないのはなぜだろうか。これは、たとえば発電パネルの北側に鏡を設けるというもので、単純に日当りが二倍になる。あるいは朝夕など太陽の角度が悪いときにも発電できるようになる。パネルの発熱の問題とか、風を受けて破損したりなどの問題はあるだろうけど、解決不能には思えない。
 単純な話、北側に垂直に看板みたいな「ペンキで白く塗った板」を突っ立てておくだけだとして、これで少なくとも悪いことは起きないし、照り返しがあるぶん日当りがよくなることはあっても悪くなることはないので、得をするだけに思える。ではなぜそうなっていないのか。
(1)「北側に鏡」には私が気づいていない難点がある。
(2)既にそうした工夫はあるが、私が知らないだけ。
(3)既にあるが特許でがんじがらめに押さえられていて商品化されない。
(4)まったくの新発明であり、今公知になった。

 人間たちは他の動物たちが絶対にしないことをします。他のさまざまな生き物を、自分で食べるわけでもないのに、つまり自分たちの楽しみのためだけに、守り増やして絶滅しないよう保護するのです。

 やっている本人たち以外は、もともとほとんどそうかもしれないが、私もまた最近の若者の、ズボンを下げた格好を苦々しく思っていた。いわゆる「腰パン」のことだが、ところがあるとき気づいたのは「もしここに餓えたライオンが躍り込んできたら、死ぬのが誰かというと、この腰パン野郎だ」ということである。彼らはズボンが邪魔で、速く走れないのだ。
 一度その事に気づくと、彼らへの感情は尊敬に変わった。猛獣が街中に現れることはそうないとしても、刃物を振り回す通り魔など、市民が走って逃れるべき危険は常に存在している。彼らは我々「普通パン市民」を守る盾として、冒さぬでもよい危険を日々冒し生活し続けているのだ。彼らに祝福を。そしてライオンあらぬことを。

 テレビなんかで「バレル」や「カラット」なら説明抜きなのに、「マイクロメートル」や「ナノセカンド」にはいちいち「1万分の1センチメートル」等の説明がつくのは不思議だなと思います。
 だいたい、SI単位系にするべし、しないと法律違反になるぞとさんざか脅されて、ミリバールを言い換え、トールを捨て、キログラム重をニュートンに換算したのに、いつまで経ってもけっきょく「インチ」は野放しじゃん。ふざけんな。

 一輪車、二輪車、三輪車、普通の四輪の自動車と見ていくと、タイヤの数はいろいろあるが、それぞれ一輪でも欠けたら走れなくなるのは変わらない。そこに冗長性という設計思想はなかったのだろうか。

「もしもし、おれおれ。えっ?違うよおれ羊じゃねえよ。毛とか刈れねえよミルクは出るけどよ。ほら『アルプスの少女ハイジ』とか知らね? ユキちゃんとかああいうんだよ」(おれおれヤギ)

 ライトノベルとかでよくある、いろんな人がそれぞれ固有の特殊な能力を持っているような設定、たとえば「おれの能力《浮遊層》は周囲百メートルの重力を中和する能力だ!」みたいな世界だと、何をするにもどんな問題を解決するにもまず「ぴったりの能力者はいないか」という、人を探すところから始めるのが一番早いということにならないだろうか。どんな事件や事故、環境的あるいは社会的な問題にも、努力してなんとかするよりもいるかもしれないぴったりのチート能力者を探したい気になるもので。《個人情報消去》とか《年金確保》とか《二酸化炭素除去》みたいなのが、もしいたらその人の能力でなんとかなる。企業幹部や為政者にとってすごい誘惑じゃないだろうか。《支持率向上》とか《経常黒字》とか。

「素晴らしい論文でしたね」
「いえ、気持ちで書いた論文です」
「書くしかない、という気持ちがあったんじゃないですか」
「いえ、後輩につなげればと思って書きました」
「次も期待しています。国民の皆さんにひとこと」
「賞を取れる論文をこれからも書いてゆきますので、応援よろしくお願いします!」

 電車で一緒になった高校生の女の子が「あっ、待って、座席に傘が引っ掛かった。妖怪『傘取れない』の仕業だっ」とか言っててたいへん可愛かったです(妖怪ウォッチとかよりずっと前の話)。

 懐かしのセカンドライフみたいな仮想世界の中で、さらにバーチャルな世界が構築されていて、プレイヤーはそこでいつものアバターを捨てて新たなメタアバターを作り、ゲームなどで交流する、というのが理論上考えられると思うのですが、このメタ仮想世界は「ひいバーチャル」と呼ばれるべきではないでしょうか。私が歳をとるまでに今のようなバーチャル世界だけでなく、男性向けのジーチャル世界もちゃんと作られているといいなあ。

「科学者の説明が分かりにくい」という場合、もともと説明しようとする概念が複雑で分かりにくい分を差し引いてあげないと不公平で、たとえば寿司屋に寿司の握りかたを説明させて、ちょっと何を言っているのかわからなかったり、あるいは聞いた人がその通りうまく寿司が握れなかったとしたら「寿司屋は説明が下手だ」と言うのか。そうではなくて、説明する対象の技術が難しいだけではないか。

 矛盾の故事「楚の国に矛と盾を売る者がいて……」の話で、おかしい気がするのは、RPGじゃあるまいし、市場を通りがかった普通の人に矛やら楯を売りつけるのは何の目的か。コレクション用か。いや、なんか質問からして質問者はこの矛なり盾なりをかなり実用するつもりである気がするのですが、盾と矛を店でそろえて、このあとどうするつもりなのか。個人用武装を店で買って、それで戦いに赴くみたいな世界観なのか楚の国。

「花咲か爺さん」って、タイトルでオチを割っているがそのへん大丈夫か。たとえば「桃太郎」のことを「三匹のお供をつれて鬼を退治したよ太郎」というタイトルにするとか、「浦島太郎」が「つづらをあけておじいさんになっちゃったよ太郎」なわけだが本当にいいのか。

「不法投棄の犯人が捕まらずに逃げ切った場合、ゴミの処理費用はあなたがたの税金から支払われます。一方、通報により逮捕できれば、犯人を懲役または最高一千万円の罰金刑に処することができ、また処理費用は犯人が支払うことになります。通報にご協力ください」と書いておいたら震え上がると思う。

 仲間うちでしゃべっているときはいかにも簡単に解けそうなのだが、いざノートに向かって手を動かし始めると予想外の問題があって解決しない。これを「お口で解けて、手で解けない」と言うね。

「秋なすは嫁に食わすな」というのは、意味がどうであれ「秋なすについてのことわざ」であって、寓意もなんにもない。たとえば「ドロナワ」は泥棒や縄についてのことわざじゃないわけだけど。応用範囲がめちゃくちゃ狭い、たいした諺じゃないのに、どうして残っているのか。パラドキシカルだからか。

 「私は他人の気持ちがわからない」と公言する人はあまりいないのに、一方で「私は数字に弱い」と、いや弱い人がいてもいいけど、それを平気でひとに言うのはどうしてなのか。数字に弱いということは世界の姿がとらえられない、われわれをとりまく自然界の気持ちがわからない、ということなわけで。人の気持ちがわからないアナウンサーにニュースを読んでもらいたくないのと同じように、世界の気持ちがわからないコメンテーターにコメントをされたくないと思うのが普通だと思うがどうなのか。

 血も涙もある科学のことを、捏造っていうんですよっ!

 過去にさかのぼれるタイムマシンが完成したとして、でもってそれに誰でも乗れるようになったとして「ちょうど一億年前」に行くひとがすっごくたくさんいると思う。一億十五年でも128,056,026年前でも見れるものはそんなに変わらないはずだけど、でもぴったり一億年前は大混雑すると思う。

 台風は小さくても弱くても被害が出ることがあるので「ああこれは大したことない」と誤って安心しないように、台風の強さが「強い」だったり大きさが「大型」じゃないときは「弱い」とか「小さい」とは言わないで単に「何も言わない」らしいのですが、この場合、テレビなどで台風情報を見たときに「強くはなく、ふつうの大きさの台風」なのか、それとも今その話をしてないだけなのかがわからない。自分が見ていないところで「強くて大型の台風」と言っていないことを確かめることができない。
 いや、テレビの場合「強さ:非常に強い」のかわりに「強さ:ー」などと画面に表示すればなんとか表現できないことはないのですが、これがラジオだとどうなるのか。「この台風の強さはフフフンで大きさはハハハハンです」とか言うのはどうだろう。どうでしょうか。フフフン。

 梅酒の広告に「カロリーキャット!」(カットの意)と書いてあるのを見たのですが、これで「コストキャッター・タマ」というのを思い付いた。雇われ猫社長タマが会社の古いしきたりや非効率を痛快に可愛くキャット(カットの意)していくお話にゃ。
「賃金キャット!ボーナスもキャット!ついでにキミのマイホームのユメもキャットにゃ!」

 こんな感じで、子供を叱るとき「くわらあっ、いつもいつもご飯そっちのけでテレビばっかし見やがって、好きなもんだけはちゃっかり食べて、いざ嫌いなものを食べるときになったらハラ痛いとか、おなかが一杯とか、ほんまなんでも食べないけまペン」と叱ると「ペン」のところでばあっと子供の表情が明るくなります。食べてくれないけど。

「やばい今わたし悪い意味で目立ってる」
「それ悪目立ちっていうね」
「だって昨日飲みすぎたっていうか、んもう悪い意味で酔っちゃってさ」
「悪酔いだね」
「悪い意味の友達?がさ、飲めのめもっと飲めってうるさくって」
「悪友ね」

 心外ですが、きっと今から五十年くらい経ったら「バブルのときはみんな尻を出して踊っていた」みたいなことを言われるようになります。私たちが「竹槍でB29を撃墜しようとしていた」と半世紀前の日本国をディスるのと同じ原理です。

 理想の女性型のロボットを作った男性技術者の話を聞くと、なんとなく「ロボとお付き合いするのは生身の女性に相手にされないから」と言われそうですが、もしも理想の恋人ロボット男性版ができて大人気になったりしたら「女性がロボに夢中になるのは日本の男性に魅力がないから」と言われそうな気がする。
「そんなことないですマスター。まずちゃんと身綺麗にして、さんぱつしてもらって、それからユニクロで洋服買って着たりなんかしたら、マスターだったらもてもてです!まちがいないです! あっ……でもマスターがもてたりしたらわたし……ごめんなさい。いまのはナシです。マスターはそのままでいてくださいそのままがいいんですーっ」
 と、ロボっ娘とはおおむねそういうことをやっている気がするので、なんと言われてもしかたがありません。

 おお勇者よ。死んでしまうとは何事じゃ。ただちに原因究明に取り組み、責任の所在を明確にするとともに抜本的な再発防止策を含む再建計画を策定し提出するのじゃ!よいな国民目線の観点を忘れるでないぞ!

「那須与一って可愛い名前だねー。まさか本名?」
「やだー。源氏名ですよーぅ」

 アウェーでアウェーの洗礼を受けたら異教徒になっちゃうんじゃないのか。

「すでにギリギリまで頑張っている人に『頑張れ』というのは逆効果」という注意をどこかで読むまでは「頑張れって言ってもらって嬉しい、少し元気がでた。もうすこし頑張るぞ」と思っていた人いっぱいいるんじゃないんだろうか。

 フロギストン説がそうであるように、かつて暮らしの贅沢さもある元素の量で量られ、必要性の薄いブランド品を手放すことなどは逆にその元素を取り込むと考えられていた。この元素の名前を「質素」という。来店者に質素を与える商売形式になるので、質店は今でも「質屋」というのである。

 駄洒落は何の役に立つのか、と誰かに訊かれたらこう答えよう。さあ、わかりません。しかし将来あなた方は駄洒落に税金をかけはじめるでしょうと。とくに駄洒落は煙草と一緒で増税しやすいからがんがん税率上げることでしょうと。
 どうやって駄洒落に税金をかけるかというと、音楽著作権みたいに権利を一括管理する組織ができて、まんがなどの作中や映像中に駄洒落を使いたい場合そこに許諾をとってもらうことになります。組織の名前は「ダジャラック」でどうでしょうか。

「逆玉の輿」という言葉があって、これは男性がお金持ちの女性と結婚することだけど、じゃあ「裏玉の輿」は女性がお金持ちじゃない男性と結婚することで、「対偶玉の輿」をとるとこれは男性がお金持ちじゃない女性と結婚することになります。「対偶玉の輿」、確かに「玉の輿」と同値になってる!


ツイート


トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧ヘ][△次を読む