値段を上げたい

 世はまさに物価の上昇局面である。なんだかんだあって実にそういうことになっている。エネルギー価格、原材料費、輸送費、人件費などいろんな原因が重なり、おおよそすべてのものを値上げしなければならない時期であるとされているわけである。もちろん、夕方のニュースバラエティをテレビで見るにつけ、一般に世間において値上げはよくないこと、大罪人が行う悪の所業とされており、激安で大盛りで大行列が善であるのとするどい対比をなしている。この感覚には私もいち消費者として大いに納得することであるが、実はものの値段が下がってゆくデフレ、デフレーションは私たち一般消費者の日々の生活のスケールで見てさえ非常によくない状態であり、逆にゆるやかに貨幣の価値が下落してゆくインフレ、ものの値段としては上がってゆくのが正常な状態で、経済が良好であるらしい。そのへん、私も一度きちんとどこかで教わるべきだったと思うのだが、成人してから本で読んでほほうそういうものかと思ったに過ぎない。「値上げは悪ではない(場合もある)」というのは、かなり非直感的な、意外な話なので、広く教育されるべき事柄に思える。

 さて、メーカーの販売戦略を決める部署の立場でものごとを見た時に、自社の看板商品をこの値上げ局面でどうするべきか、長いことこの価格でやってきたがいよいよ据え置きではいかん、手をつけんといかんとなったときにどうするべきか、誰でも思いつくいくつかの方法があるだろう。このようなものである。

(1)商品の値段を上げる。
(2)値段はそのままにして、内容量を減らす。
(3)質を下げる。

 なにしろ看板商品なので、(3)は最悪であることはどうやらなんとなくわかる。たとえば商品が多くのファンに愛された美味しいおにぎりだったとして、具やらご飯やら海苔やらを安い別の種類のものに変える。なんか色とか形とかはそっくりだが食感は、あの、えっと、ご、ごめんなさいっ、そんなつもりじゃなかったの!みたいなものに変える。当然味は落ちるわけで、そんなことをすれば原価を下げたことで一瞬だけ儲かるのと引き換えに、騙された客が二度と戻ってこないだろうことはちょっと考えればわかるだろう。工場のラインも大幅変更になるだろうから、まあ普通はやらない。では残りの2つの方法、値上げと内容量減はどうか。自分の会社の商品の売り方として、果たしてどっちがいいか、これはにわかにはわからない。

 ふつうにこの国でこの時代を生きているとなんとなく実感できることかと思うが、こういうときに「量を減らす」によってある程度値上げの影響を受け流すことができる。そういう調査結果があるとのことである。確かにこういうのはきちんと設計した実験をやれば確かな結果を得ることができるはずである。日本も広いのだから、いくつかの販売地域に分けよう。そのうち地域Aでは値段を上げる。いままで100円だったが110円で売ってみよう。一方、地域Bでは量を減らす。重さ100グラムだったものを90グラムとして売りに出す(※)。どちらも消費者としてはびっくりして悲しい思いをして当然ながら売り上げは落ちると思われるが、A地域B地域の人には気の毒だが断じてこれをやり、どちらがどれだけ落ちたか売り上げ(というか利益か)を比較する。会社としてはダメージの少なかったほうの、有利な戦略にて全国展開すればよい。そしてそれがどうやら一般的には「量を減らす」のほうであるらしい。そういう実験結果があるとのことである。量だ。量を減らすに限る。どんどん減らせ。あげぞこじゃ。

 しかしそうだろうかとここで私は思う。本当にそうか。「値上げされるよりは量を減らされるほうがマシ」ということになるが、本当にみんなそう思っているのか。私はメーカーの人間でも調査会社の人間でもないので、その立場で何かはっきりしたことが言えるとしたらそれは傲慢だが、それにしても実感とは食い違う。だいたいのコンセンサスとしては量を減らしたり質を落としたりしてがっかりするよりはいっそ値上げをしてほしいという意見の「値上げの方がマシ」のほうが断然多い気がする。私なんかが観測する「街の声」は実は狭い範囲のSNSなり掲示板を観察した結果に過ぎないのだが、それでも調査ではそうではないらしいのだ。だいたいこういう場合間違っているのは真摯な調査ではなくなんとなくの肌感覚のほうだ、というのが私が長年の科学との付き合いで得た教訓だが、もしも。もしも私の感覚も、そして調査もどちらも間違っていないとしたら、ここで仮にそう考えるとしたら、どこでそういう矛盾が生じるのだろうか。

 私は思うのだが、これは「どちらのほうが消費者はより騙されるか」を測定していることにはならないか。考えてみよう。値上げした地域Aの人は、比較的その事実に気づきやすい。なぜかというと商品を買う時に人はふつう値段を中心に見るからで、先日まで100円だったのが110円の値段がついていると、そのことにあっというまに気づき、敬遠する人が多いと思われる。隣の別の商品と見比べて、安い方を買う人も多いかもしれない。一方、量を減らされた地域Bの人は、ぱっと見た目、何も変わっていないように見える。隣と比べても値段関係に変化はない。ここで量の変化に気づく鋭い消費者は比較的少ないと思われて、だから売り上げが下がりにくい。消費者の選好度がこのとおりのものであれば、これは別に「値段が上がることと量が減ることを比較して消費者は後者を選ぶ」などというものではない。単に後者の場合、だまされているだけのことである。そうかどうかはもちろんわからない、単なる私の想像だが、調査が比較的短時間で需要が一巡するまえに打ち切られていたとすれば、こんなことが実際起きているのではないか。

 そうであるかどうかは、実験を長いこと継続すればわかるだろう。同じ商品を店で売り続けて、二回目、三回目、四回目とやっぱり消費者が選んでくれるのであれば、これはもう、実際に量を減らす方が好まれるのだろう。しかしもし一回目だけは選ばれるが、そのあとは買われなくなるのだとしたら、これは相当怒っている。量を減らされて、しかもそのことに気が付かずにうかうかと買ってしまった愚かな自分への怒り、メーカーへの怒り、このようなことが起きるこの世界への怒りは商品の質を落とした場合と同じであり、ただその怒りは「食べたらなんか少なかった」という、若干後からやってくる怒りである。とはいえその怒りはおそろしい。そう、怒っているのだ。騙された怒りではちきれそうになっているのだ。この人はスーパーに乗り込んでくるやわけのわからない叫び声をあげて売り場を破壊する。メーカーの看板をもぎとってへし折る。ただ社会性があるから、その働きによりそういうことは実際にはしないだけだ。許されればやる。心の中ではやっている。恐ろしい。恐ろしいことなのだ。そうだ量を減らすことだけは絶対にしないほうがいい。こういう怒りは統計の数字には出ないので、軽々しく信用してはいけないのである。そうなのであると、そう今回私はそういうことが言いたかった。

 本当にそうかどうかわからないことで思わず盛り上がってしまったが、要するに食べ物の恨みは怖い。メーカーの方々は、日々たいへんな舵取りをされているとは思いますが、くれぐれも、消費者をだますことだけはしないようにされたい。売り上げよりも利益よりも、目に見えない信頼のほうが大切なのだと、そのことをいま一度考えてほしい。「健康に配慮した食べきりサイズ!」とか言っているうちに自分まで騙してしまうなんてことがないようにしてほしい。私が好きだった味よ、サイズよ、永遠なれ。私は本当にそう思っています。

 

※値上げ率が微妙に違うが目をつぶられたい。おそらくパッケージの変更コストや輸送コストなど複雑で、利益率の変化は重量価格比率だけでは決まらないと思われる。


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