ドラゴンをクエストする

ドラクエ1

 冒険のスタート地点である、ドラクエ1のラダトーム城と、2のローレシアと、3のアリアハン城は構造が互いになんかよく似ていて、まず入ってまっすぐ奥、突き当たりに二階の王の間への階段があり、マップの向かって左手前に水場があり、右側に地下室への入り口があるところも共通している。なんでこんなにお互い似てるんだろう。なんらかの風水的なこだわりがあるのだろうか。

 プレイヤーから見てドラクエの世界のシンボルがスライムであってもおかしいことはないのだけど、作品内世界からの視点ではスライムが好かれているとしたらちょっとおかしなことだ。相手は仮にも敵でありモンスターであり、それにしてはちょっと君たちはスライムのことが好きすぎないかとおもうのだけど、この好かれようをみると、お祭りの縁日で「スライムのヒナ」が売ってたりするのではないか。青いのを銀色に塗っただけのなんちゃってメタルスライムが売ってたりするのだ。外にいるモンスターとは別に、人々には子供の頃の苦い思い出として家の物置で増えちゃったスライムの記憶があるのだ。
 しかしこのスライムの目や口は、あれは本当に目や口なのだろうか。常識的に考えてそんなはずはなく、いわば蝶の羽の上の模様のように、そんなふうに見えるだけではないか。笑顔のように見える何かで人間を安心させ、襲い掛かるためにあのような模様に進化しただけで、実は視覚はなく熱を感知して動くだけだったり、摂食用の口が底面にあったりするのではないだろうか。

 全滅すると所持金が半分になって王様のところで復活するけど、なんだろう。これはやっぱり神に選ばれた勇者だけの特権なのだろうか。もしそうでないとしたら、モンスターだって倒されて所持金の半分を勇者たちに奪われたあと、残りの半分を持って魔王のところで復活するのではないだろうか。気がつくと魔王にひとしきり叱られて情けないとか言われて、またがんばって勇者のところまで移動して持ち場に着くのかもだ。
 そして「キメラのつばさ」は、使うとなくなるアイテムだけど、便利なのでみんなめっちゃ使うに決まっていて、乱獲でキメラが絶滅しないのか、とずっと思っていたけど、もしかしたらキメラのつばさを投げ上げると、勇者はふるさとの街に帰れるし、キメラは生まれ故郷の道具屋に帰るのかもしれない。

 ゲームに「コミュニケーションスキル」の概念を導入すると、これが低いキャラクターは初めての街で買い物できない。宿の前を素通りして野宿する。村人に話を聞くなんてとんでもない。酒場で仲間を誘えなくて一人で冒険する。助け出した姫をその場に置いてくる。王に問い詰められたら「気付かなかった」と言う。死んだ仲間の棺の中に復活料金を入れて教会の前に置いてくる。女性型モンスターの前だと焦って魔法をしくじる。自宅以外でセーブできない。いらなくなった武器は売らずに全部捨てる。それも人が見ていると捨てられない。武器屋が女性だと欲しい武器が買えない。本当に欲しい武器と一緒に余計な毒消し草を買ってくる。やっと買った鎧のサイズが合わなくても我慢して使う。でも後でアマゾンに星ひとつの評価を書き込む。魔王が「余の部下にならぬか」と言い始めたのを最後まで聞かずにいきなり攻撃する。倒しても王様のところに帰ってこない。王国の人々は平和が戻ったことをブログで知る。そのブログも去年から更新がない。

ドラクエ2

 ドラクエ1でキャラクターは常にこちらを向いて、後ろ歩き、カニ歩きをする。でも実際プレイするとそんなふうに見た目通りには受け取らなくて「ここにかっこいい勇者がいるというしるし」と感じる。地図上でビルのイラストが書いてあっても、ビルの姿そのものを忠実に写したものではなく「ここに大きな建物があるしるし」と見るように。逆に2でキャラクターが横や後ろを向くようになって「ではこの画面上の人形がローレシアの王子そのものなのか?かっこいい戦士の所在を表すアイコンではなく実体なのか?」とかすかに思った。ような気がする。不気味の谷に似た概念で、リアルの谷みたいなものは存在するように思う。

 AIにドラクエとかをやらせて攻略を書かせたら「まずローレシアの城の周りで大なめくじを50万回倒します。以後戦闘の不確実性に悩まされることがなくなります」みたいなのが上がってくるのではないか。

「塔から飛び降りると脱出ができて、その際にノーダメージである」というのはドラクエのシリーズとしての一種の約束事であり、非自明なルールである。普通は塔から飛び降りる(誤って落ちる)となんらかのペナルティが課せられると思うところだ。あれは実際には飛び降りているのではなく、外側にロープを張る、魔法を使うなどしてゆっくり降下しているのだという解釈はあると思うが、それならそうで、そういうものだと本来はゲーム中で明示されなければ ならないだろう。ドラクエにおいてはこの「2」で短距離を飛行するアイテムが手に入り、これを使って海峡を渡る。そのために以降のシリーズでは塔は「外壁の穴からいつでも脱出できるタイプのダンジョン」として使われている。驚く人は驚くと思う。

 そもそも「アバカム」なんていう呪文はないならないで別にいい。ドラクエ2で鍵が見つからないからと言ってアバカムが使えるようになるまでレベルを上げるのもそれはそれで並大抵のことではなく、ほぼ実用的ではないし、重要なイベントをパスできてしまう、クリアに至る道筋がふた通りある必要はまったくない。アバカムでしか開かない扉はないのだ。しかしあれがあるおかげでダイの大冒険であのシーンができた。世界に奥行きを与えているのだと思う。無駄があることで「そこで生きる」という想像ができる。だからアバカムは必要だ。

 いろんなドラクエにおいて、敵がザオリクを使うとき、一度倒した敵を戦闘中に復活させられてしまって再び倒すとして、このときに2匹分、新たな経験値が入るバージョンと、1回分しか入らないのとがあるらしい。これは「モンスターを倒したこと」によって経験値が入るのか「モンスターを復活できない状態としたこと」によって経験値が入るのかというわりと深遠な問題で、これは世界をどう捉えるか(どうゲームに落とし込むか)という本質的な問題を孕んでいると思う。私は途中で逃げてもそこまでの経験値をもらえるべきだと思うが、現実としてそういうシステムにはなっていない。
 ここでもし「戦闘終了」ではなく「モンスターの最終的な生死」によって経験値が定まるシステムをとるとして、ゲーム内で時間がある程度経過してから、倒されたモンスターを敵が回収してそれにザオリクが使われたとしたらどうか。ザオリクで復活したモンスターの経験値は入らないのだから、このときになって突然勇者の経験値が減少し、場合によってはレベルダウンが生じうる、ということになる。この設定であれば、魔王軍はがんがんモンスターを回収してつぎつぎ復活させるべきだ。そうすることで手駒が増えて軍隊も増強されるし、勇者はレベルアップしなくなる。あるいは魔王のもとを訪れた勇者を考える。魔王の周囲にはいままで倒したモンスターたちの死体の山が。そこにザオリクをかけて一気に復活させる魔王。得たはずの経験値が失われるや勇者の体がするするとしぼみ始め、信じられない低レベルとなってしまう、みたいな展開が考えられる。

ドラクエ3

 RPGで「運の良さ」パラメータがあることがあり、これが本当に「運の良さ」であるなら、あらゆるゲーム内の乱数が都合よく変わる効果があってほしいと思う。会心の一撃が出やすくなる。敵の攻撃は空を切るか、他のメンバーに当たる。仮に自分が食らうことになってもダメージの数値のぶれが小さい方に集中したりする。カジノで当たる確率が上がる。レベルアップ時やタネを使ったときのパラメータがよく上がる。そういう「運の良さによって起こること」がすべて都合のいい方に転んではじめて「運の良さ」ではないだろうか。補助呪文の効き目に影響するだけだったりしたら、そんなものは運の良さでもなんでもなく「補助呪文耐性」だろう。

 回復系呪文が僧侶の能力で、その僧侶が神に仕えることの代償として一部神の力を得て奇跡をおこなっている設定だとしたら、モンスターがホイミやザオリクを使えるのはおかしい。人間にもモンスターにも平等に力を与える神様がいたらいくらなんでもちょっとひどい気がするからだ。正しい神は正しい者の味方ではなかったのか。いや、もちろん魔物には魔物の神様がいてモンスターに力を与えているのかもしれないが、実は回復呪文は神の力でもなんでもなくただの魔法の一種であることもありえる。みんな勘違いして神の力だと思っているのだ。

 ドラクエ世界はスクルトやルカナンみたいな戦闘補助呪文がものっすごく効果が大きいので、苦労して伝説の武器や防具を集めるよりも、いつでもスカラやルカニをかけてくれる従者を一人連れているほうが強いみたいなことにならないだろうかと心配する。たとえば今、勇者や王様のような地位のあるキャラクターが、伝説の鎧を着て伝説の盾を持って伝説の兜をかぶって戦場に現れる。立派な防具であり強力な防御力がある。ところが敵の誰かが「あっ、王様だ」と気がつき、防御力が高そうなのでまずルカニをかける。そしたらいきなり防御力ゼロになるわけである。なんぼすごい防具着ててもゼロ。逆に布の服で出てきてもゼロ。王様は常に実質裸。そんな盛り上がらない展開があるだろうか。それなら伝説の防具なんか何にもいらないということになるではないか。

 スマホのドラクエ3を長いこと遊んで、「しあわせのくつ」が99個袋に入っている状態になってしまった。袋というのはリメイク版のドラクエにおいてアイテムをいくらでも保有できる四次元ポケットだが、さすがに限界はあり、99個となるとこれ以上入らなくなっている。しかしはぐれメタルから盗んで手に入れることは今も多く、捨てようとすると「二度と手に入らないかもしれないが捨てるのか」みたいなことを言われて落ち着かない。しあわせを捨てるのか。二度と手に入らないかもしれないぞ。本当にいいのか。だめですごめんなさい私には捨てられない。

 しょうもない部分に引っかかることはあるもので、初めてドラクエ3をやったとき「ダーマの神殿」と聞いて「転職を司る施設は他にあり、これはプレイヤーをひっかけるためのフェイクなのではないか」と直感した。名前が「ダーマのしんでん」である。「ダマし」である。すなわち罠だ。こんなところでうっかり転職しようものなら何をされるかわかったものではない。立派な魔法使いが小説家とかに転職させられてしまい、明日からは勇者パーティで売れない小説を書く生活が始まってしまう。

 そういえば「ラナルータ」というのは、昼夜を逆転させるというとんでもない大呪文のわりにイベントも何もなく、レベルアップに従って自然に簡単に使えるようになるし、仮に使ったとして、すぐそばでいきなり昼夜逆転呪文を使われた街の人が驚きも迷惑がりもしない。「夜の方が強い敵が出現する」という設定のフィールドで夜にされてしまったら勇者はそこそこ困ると思うが、敵も使わない。そこで私は思うのだが、これはもしかして単なる「半日ひまをつぶす」という呪文なんじゃないか。すっごい面白い動画とかが次々流れて気がついたら夜になっているのだ。

 ドラクエ3(スマホ版)で町をつくった商人がふたたび仲間に戻ったのち、ダーマの神殿で名前を変えると、瞬時に作った町の名前も変わるので、これを利用して超光速通信が実現するのではないかと思う。商売上の重要情報、たとえば今年は小麦が不作という情報を得たら、ダーマの神殿に待機している商人が自分の名前を「小麦が不作」に変更する。はるか地球の裏側の商人の街に住む仲間が、自分たちの街の名前が「小麦が不作バーグ」に変化したことを確認して、すかさず小麦を買い占める。他の手段で伝わってくる情報よりも速いので、儲けることができる。少なくともここで不気味な遠隔作用が起きているのはたしかだ。

ドラクエ4

 ドラクエ4にもモンスター格闘場があって、捕まえてきたモンスターを戦わせてどれが勝つかコインを賭けていたりとかして、そんなことをする人間は客観的に見てめっちゃ邪悪なんだけど、それでもホイミンは人間になりたいし、そのことに疑問を抱いたりしない。ふしぎなことだ。ホイミンは人間になりたくて、一心に人間になりたくて、そこに「人間だって悪い奴もいる」とかそういう要素がない。この世界では人間は無条件で信頼されていて、ライアンや勇者はだからそれに一生懸命応えないといけないのだ。

 味方パーティが全滅したらお金が減って王様の前からやり直し、というやつ。ただし銀行に預けていたらそのぶんのお金は無事、というのがまったく納得がいかない。つまりゲーム進行上のプレイヤーに対してゲームの外からゲームデザイナーが課したペナルティなのではなく、お金が減るのは物語中の現象、ということになるのだと思うのだけど、どういう仕組みでお金が半分失われるのか。ドラクエ4では「てつのきんこ」という全滅してもお金が失われないアイテムがあり、そういうアイテムでなんとかなるのだとすれば余計におかしい。つまり全滅時に誰かにお金を盗まれているのだ。しかも常にちょうど半分。実に妙なことが起きている。

 いま気づいたけど、考えてみたらファミコンのときの宣伝文句として「ドラクエ4では仲間の行動はAIが決めます」というのは大変よくなかったのでは。メーカーとしては嘘でも「それぞれの仲間が考えて決める」とかいうべきで、作り手側が率先して「キャラクターはコンピューターの上で動くプログラムで作り物です」とバラすのはひどい話ではないのか。

 いや、子供でも「カセットの中に人が住んでる」とは思わないけど、建前は大事で、私たちは本来なら「クリフトはボスにもザラキを使うわかってない奴だった」と思い出すべきなのでは。「ドラクエ4のAIはひどかった」と制作者をうらむのではなくて。

ドラクエ5

 私がもしもドラクエ5を作ったら、つい、フローラのほうにも子供の頃のエピソードをいくつか用意して、結婚相手の選択の前に両方の相手とある程度の関係性を構築していて、主人公がストーリーというか心情的にどっちを選んでも不思議はない、プレイヤーがめっちゃ迷うようにしようと考えてしまうと思う。リメイクするたびによりバランスを取ろうとすると思う。でもたぶんこれは素人考えで、いまの感じがいいのだろうな。なんかドラクエ的だという感じはする。

 ドラクエで、正義の人という主人公のキャラクターを犠牲にせず、でもプレイヤーにはメダル探しやカジノを楽しんでもらう方法はいくらでもあって、たとえばパーティに一人トリックスターを登場させ、そいつが勝手にやる、止めようとした主人公を巻き込んでめちゃくちゃやる、という形にしたらいいのだけど、どうしてそうしなかったのか。

 そういえば、ドラクエの1から3だとスライムは青いのに、ドラクエ5ではむらさき色をしている。ドラクエ5ではモンスターが仲間になるから、もしかしてこれは「プレイヤーが仲間になったスライムが男の子か女の子か自由に想像できるように」なのではないか、と思ったんだけど、4も紫だったわ。あらら。


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