第一二話『二千年問題のスピードマン』

「ええっ、じゃあ、大晦日、仕事なの」
 と、恵子は驚いて聞き返した。
「ああ、そうなんだ。すまん。…それに、元旦の朝までかかると思う」
「えー。それじゃ、えーと。美奈子ちゃんの所に遊びに行っててもいい」
「香西さんか。ご迷惑じゃなければ、だなあ」
「大丈夫よ。きっと。シンユウだし」
「うーん、じゃ、これでなにかお土産を買ってゆきなさい。香西さんのご両親によろしくな」
 各務は、そう言って財布から札を取りだした。そう。各務の会社では、今年に限り、年末年始を会社に詰める、全社挙げての警戒体制をとることになったのだ。

 時は西暦一九九九年の大晦日。新たなミレニアムを迎えるとはいえ、人類は大筋においてはいつも通りの歳の暮れを迎えようとしていた。各務はその、数少なくはない例外に属していたと言えるだろう。各務の勤めるソフトウェア会社「ワタナベクリエイト」では、二千年問題に備えた出社待機が行われている。ワタナベクリエイト社がコンピューター関係の管理を委託されているいくつかの企業で発生するかもしれない、予期しなかった二千年問題に備えた待機だった。もちろん、やれることは既にやったという自信はある。しかし、こればかりは二千年が来てみないと大丈夫だとは言いきれないのだった。

「各務課長、まあ、飲んで下さいよ」
 と、そのワタナベクリエイト、開発室で、各務達は、酒盛りを始めていた。各務のほかに待機を命じられた社員は一〇名あまり。他に、自宅待機になった技術者が一五人ほどいる。みな、若い技術者ばかりで、各務は彼らのまとめ役といったところだった。社長の渡辺も、万が一に備えて社長室で仮眠をとっているはずである。
「ああ、すまんな。でも、いいのかなあ」
「いいでしょう。まあ、待機には違いないんだし、それにどうせ、大したことは起きませんよきっと」
 と言ったのは、近ごろ各務と一緒に仕事をしている都築だった。各務よりも若いが、死んだ三人ほどではない。彼も妻と子供を家において、この大晦日勤務に臨んでいるはずだった。四国のどこかだったはずの故郷への里帰りは、今年はあきらめたらしい。飲まなければやってられない、というところなのだろう。
「そ、そうだな」
 本当のところ、ワタナベクリエイトが、復帰が人命に関わるようなシステムの管理を行っているわけでもない。各務の脳裏に、ちらりと「二千年問題」以外の脅威、バグノイドの襲撃のことが浮かぶ。しかし、目の前の杯に注がれた日本酒の誘惑には抗しきれず、各務はぐいと飲んだ。空腹の胃が、ぽっと熱くなる。
「いやあ、紅白もワンパターンっスねえ」
「あっ、懐かしいなあオイ、ダンゴ三兄弟だってよ」
 などと、誰かが持ち込んだ液晶テレビを見ながら、酒盛りは際限なく盛り上がってゆくのだった。

「スピードマンっ。スピードマンはここかバグっ」
 数時間後。開発室の扉を開けたのは、獣人帝國バグーの新たな刺客、ゲイツバグだった。午後六時ごろに始まった宴会は終末状態を迎えていた。開発室のカーペットの床のそこここで、潰れた社員が雑魚寝している。中には手回しよく寝袋を持ち込んで堂々と寝入っている者もいた。
「スピードマンっ。隠れても無駄バグよ。ゲイツバグがお前に挑戦するバグ。いざ尋常に、勝負バグっ」
 そういって辺りを見回すゲイツバグ。各務は、どこだ。
「なにっ」
 まだ何人か、車座になってちびちびと酒を飲んでいた社員達が、ゲイツバグに気付いてそちらをにらんだ。誰もかなり酔っているらしい。目がすわっている。
「ゲイツ、だとうっ」
「ち、違うバグよ。ゲイツバグだバグ」
「バグ、だとう」
「おっ、ゲイツだゲイツっ。しかもバグっだってよ」
 口々に言い立てる社員たち。
「お、落着くバグ。オレはただ、スピードマンを探しているだけバグ」
「なんのことだ」
「さあなあ」
 彼らの多くは例のソフトボールの時にスピードマンを見ているのだが、なにしろぐでんぐでんに酔っているのである。
「まったく酔っ払いはしょうがないバグね」
 ゲイツバグは、ここで致命的なミスを犯した。酔っているときに素面の奴からそういうことを言われるほど腹が立つことはないのである。
「なにいっ。誰が酔っ払いだっ」
「酔ってて悪かったな、オイ」
「酔わずにいられるかってんだ」
「お前に俺達の気持ちがわかるかこの、ゲイツ野郎め」
「いやその、そうバグが、ええとバグ」
「ゲイツ。そういやこいつ、ゲイツだったな」
「違うバグ。ゲイツバグだって言ってるバグよ」
 慌てるゲイツバグに、それまで黙ってウィスキーをラッパのみしていた都築が、冷え冷えした声で、こう言った。
「バグは潰さないとな」
 部下の一人が頷く。
「おまけにゲイツだしな」
 部下全員が、頷いた。
「やっちまえ」

 爆発音に驚いて開発室の床で目を覚ました各務剛志が見たのは、部屋の真ん中で自爆したゲイツバグのなごりの小さな炎だけだった。各務は、小声でつぶやいた。
「二千年問題って、怖いなあ」
 作動したスプリンクラーに追われるように、各務たちは開発室を出た。時計を見るとまだ一一時。待機任務は、まだ始まったばかりだ。

 こうして、ゲイツバグは勇敢なワタナベクリエイトのソフトウェア技術者たちの奮戦で倒された。よく考えたら二千年問題とは何の関係もないが、とりあえず獣人帝國バグー関連は再来週まで安心だ。働け、各務剛志。チェックせよ、スピードマン。出張だ、超光速流スピードマン。

<次回予告>
「やあ、みんな、スピードマンだ。実はこのシナリオが書かれたのは九九年中なので、二千年の元旦が本当にこんな呑気なものかどうかはなんとも言えないんだ。みんなも二千年問題には注意しよう。ちなみにビルゲイツは本名をちゃんと書くとウィリアム・H・ゲイツ三世というらしいぞ。三世なんてルパンみたいだよね。さて次回は『スピードマン、その戦いの軌跡』。要するに総集篇だと言っても過言ではない。じゃっ」


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