第一五話『ゴミ収集日のスピードマン』

「ありゃ、もう行っちまったか」
 と、スピードマン各務剛志は路傍で途方に暮れていた。両手に半透明の袋を下げて、腕に書類鞄を一つ、挟んでいる。マンションのゴミ集積所には、いつもうずたかく積み上げられているはずの燃えるゴミが、どこにもなかった。既に回収車がやってきて持っていってしまったことは明白だった。
「あちゃあ」
 誰にともなくそう言った各務は、辺りを見回すと、両手のゴミをそっと集積所に置いた。なにしろ、これを部屋まで持って帰るとなるとなかなか億劫である。フレックスタイムとはいえそろそろ出勤しなければ危ないところでもあり、各務としては誰も見ていなければ次の収集日(明後日だった)までここにこうして置いておくというのもまた良しかと判断したのであった。
「うむ、それに私は正義の味方なのだ。さんざん大阪を救っているのだ。したがって、このくらいのことはしてもいいのだ」
 という気持ちもなしとはいえない自分勝手な各務である。

 満足そうにうなずくと、ゴミ袋に背を向けて歩み去ろうとした各務を呼び止める者があった。
「各務剛志、いやさ、スピードマン、ちょっとそりゃないんじゃないバグかぁ?」
 ハッと振り向く各務。苦手な自治会長に見られていたとなるとこれは。
「どっちを見ているバグかぁ。こっちバグっ」
 上だ。ゴミ集積所の上空、電柱の上に、黒く巨大な影がうずくまっていた。
「じ、自治会長。すいません。つい出来心で。もうしませんから許して下さい」
「なんでそうなるバグかぁっ。オレのどこが『フレグランス北見』自治会長木村富美子五八歳バグかぁっ」
 と、激昂したバグノイドは翼を大きく広げて叫んだ。巨大な黒い翼を持つ鳥のバグノイド。カラスバグだ。
「軽い冗談だっ」
 と言い捨てると、各務は駅の方へ向かって駆け出した。なにしろさっき起きたばかりで変身万歩計はほとんどカウント数がない。カラスバグに太刀打ちできるはずもなかった。
「あ、こらっ。待てっ、待たないバグかぁっ。スピードマンっ」
 翼を大きくはためかせて飛び立ち、各務を追うカラスバグ。ふたつのゴミ袋を残して、各務とカラスバグの姿が小さくなってゆく。
「七階の各務さんね。まったく、いつも言っているのに」
 と、物陰から一部始終を見ていた「フレグランス北見」自治会長木村富美子五八歳は、手元のクリップボードにチェックを入れるのであった。危うしスピードマン。

「いいかげんにっ、観念しないバグかぁっ」
 と、カラスバグは、逃げる各務の上空を飛びながら、懐から小さな爆弾を取りだすと、足を使って放り投げた。ぼむ。地上に落ちた爆弾は小さな音を立てて炸裂し、ポリバケツや立て看板、通りすがりの野良犬などを吹き飛ばす。
「はっ、はっ、はっ」
 ひたすら逃げ続ける各務は、かろうじて爆弾をかわすと、後ろも見ずにそのまま走り続ける。既に完全に息があがっている。なにしろ、万歩計を回すために走っていると、歩幅が八〇センチとして、八キロも走らねばならないのだ。
「そろそろ年貢の納め時ってやつバグかぁ、スピードマンっ。行くバグっ」
 その鋭いくちばしで生身の各務の首すじをとらえるべく急降下するカラスバグ。と。
「かわしたバグっ?」
 各務は、九十度方向転換をすると、そこにあった地下鉄の駅の入り口へと駆け込んだ。そう、各務は無目的に走っていたわけではない。この地下鉄の入り口を目指して走っていたのである。凄いぞ各務。

「待てバグっ。戻ってきて戦わないバグかぁっ。それでもヒーローバグかぁっ?」
 慌てて翼を畳んで地上に降り、階段をぴょんぴょんと跳んで一歩一歩降りながら各務を追いかけるカラスバグ。いかんせん、地上に降りたカラスバグが以前のような機動性を発揮できないことは一目瞭然であった。地下鉄の利用者達が仰天して道をあける間を、巨大なカラスであるカラスバグはぴょんぴょんと各務を追う。
「ぐうっ、じれったいバグ。やるせないバグ。やってられないバグ」
 そう言いながら、それでもぴょんぴょんと地下道を奥に進んで改札までやって来たカラスバグ。既に、各務の姿は見えない。
「おいお前っ」
 カラスバグの黒い両目に見据えられた駅員が、恐怖の面持ちで後じさりする。巨大なカラスに駅が襲われた場合には、どうすればいいのか見当もつかないようだ。
「こっちに会社員が来なかったバグか。四〇代くらいで身長は一七〇センチ、グレーのスーツで茶色い書類鞄を抱えているバグ。息を切らして、みるからに怪しい感じだから来ればすぐわかるはずバグ。どうバグか。隠しだてをするとためにならないバグよ」
 じれったさに任せて一気にそこまで言い募るカラスバグ。駅員はただ、おろおろするばかりだ。
「あ、あ、そ、あ」
「言わないつもりバグかぁっ」
「そ、そ、あ、う」
「そのつもりなら考えがあるバグ」
 かちかちと爪で床を踏みならすカラスバグ。
「よ、な、ま、え」
 駅員が、震える指先で指した先には。
「そこまでだっ、カラスバグ。スッピードっ・マァァン!私が来たからにはもう安心だっ」
 変身を終えたスピードマンがそこに立っていた。説明しよう。地下道で小走りに走って歩数を稼ぐことで、スピードマンの万歩計は短時間で一万歩を達成したのである。
「よくもいたぶってくれたな、カラスバグ。SSSブレードっ」

「ふん、飛んで火に入る夏の虫バグ。かかってくるバグ、スピードマン。ぐはっ」
 翼を広げて垂直上昇に入ったカラスバグが、しこたま天井で頭を打った。
「いたたたたバグ」
「お前、馬鹿だろう。トリ頭ってやつか」
 さすがに哀れになって、のたうち回るカラスバグを冷然と見下ろすスピードマン。
「ぐぐぐぐ。これからバグ。まだこれからバグ」
 両の翼で抱えこんでいた頭をふりふり、ふたたび空中に飛び上がるカラスバグ。今度は駅の天井の高度を保って、スピードマンの上空を飛び回る。
「飛び道具のないお前には手も足もでないだろうバグ。これでも喰らえバグ」
 ふたたび取りだした爆弾を眼下のスピードマンに向かって投げつける。たちまち爆風に包まれるスピードマン。確かにSSSブレードを伸ばしても、ぎりぎり届かない程度の高さだ。ピンチだ。スピードマン。
「おまえ、やっぱり」
 爆風の中から現れたスピードマンが、そう言いながら、手に持ったSSSブレードを、ふりかぶり、カラスバグに投げつけた。あやまたず脳天に命中したSSSブレードを喰らって、へんな声を上げて墜落するカラスバグ。
「馬鹿だろう」
 そう言い捨てて、落ちてきたSSSブレードを拾ったスピードマンは、倒れているカラスバグにつかつかと歩み寄っていった。

「今回なんだか戦闘シーンが長かったが、これで大阪市営地下鉄の平和は守られたと言っても過言ではない。じゃっ」
 あっけにとられたままの駅員と、周囲を遠巻きにした利用客を背に、地下鉄に乗るスピードマン。カラスバグのなごりの炎が、たちまち遠くなってゆく。こうして、フレグランス北見を急襲したバグノイド、カラスバグは倒された。しかし、それにしても、社会のルールは守れ、各務。共同生活のなんたるかが分かっているのか、スピードマン。明後日はちゃんと早起きせよ、超光速流スピードマン。

<次回予告>
「やあ、みんな、スピードマンだ。あとで自治会長にこっぴどく叱られちゃったよ。あの手のおばさんって怒ると手が付けられないよね。ちなみにペットボトルは燃えるゴミじゃないぞ。キャップをとって洗って潰して捨てるんだ。本当はね。さて次回は『ビッグマン前のスピードマン』。大阪梅田で一番人気のある待ち合わせ場所に、ええと、携帯電話バグだって。何考えてるんだろう。まいいや。じゃっ」


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