第一八話『恵子の恋(後篇)』

 恵子と美奈子、それにクラスメートの佐脇源太郎を加えた三人は、その日、阪急電車神戸線に揺られていた。事の起こりは、昨晩、恵子が美奈子にかけた一本の電話だった。

 五年前、恵子が母を失う以前、各務一家は神戸に住んでいた。恵子の母、量子が亡くなってから、剛志と恵子は広いだけとなったこの家を引き払って、各務の会社に近い大阪に越してきたわけなのだが、美奈子との電話の中で、恵子は、引っ越して以来一度もこの古い家を訪れたことがないことに、ふと気がついたのである。

 病弱で寝込みがちではあったが、優しかった母の思い出が詰まった旧家を再訪しようと今まで思わなかったのは、やはり目的もなく訪れるにはやや遠い場所だから、であったが、先週の事件、そして銀色の戦士を見て思い出しそうになっているなにかが、恵子に古い家を訪れよと言っているように思われてならなかったのだ。はっきりした理由はわからない。わからないなりに恵子は美奈子に声をかけ、ボディガードという名目で誘われた佐脇が加わった三人が、日曜日の今日、電車に乗っている。美奈子の冗談を真に受けて素直に竹刀を携えてきた佐脇は、袋に包まれたそれを早くも持て余していた。

「次よね、ケーコ」
 と、扉が閉まり、また動き出した電車の中で、駅名表示を見送った美奈子が言った。それまで快活に二人と雑談をしていた恵子の表情が、心なしか、ふと曇る。
「うん、次…つくも台」
「あれ、どうしたの」
 と、その声のあまりの暗さに、美奈子は恵子の顔をのぞき込む。
「ん、なんでもない」
 あわてて首を振る恵子。今、一瞬、なにか大切なことを思い出しそうになった。昔の家に、なにがあるというのだろう。

 三人は、恵子の案内で、各務家が昔あったという住宅地の中を歩いていた。
「うん、覚えてる。この角を曲がって、ちょっと行ったところなのよ。でも、こんな遠かったかなあ」
「それは、自分が小さかったからじゃないかなあ」
 と佐脇が応ずる。そう言ってから、ひそかに美奈子と顔を見合わせる。電車を降りて以来、明るさを取り戻した恵子に、美奈子も少し安心した様子だ。
「あ、あれ」
 二人を残し、小走りに角を曲がった恵子が、立ち止まる。二人が追いつく。
「ここ、なの?ケーコ」
 そこには、二〇メートル四方ほどの、空き地があった。有刺鉄線で囲まれ、雑草が茂り放題になっているそこは、長い間、なにごとにも使われた様子はなかった。
「う…うん。確か、ここに、私の家が」
「…なあ、各務さん、俺、思うんだけど」
 と、佐脇が言った。
「震災って、この辺ではどうだったんだろ。燃えてしまったとか、倒れてしまったとか」
 阪神大震災のことである。恵子が大阪に越してきたのは、この未曾有の災害が神戸を襲った、ほんの半年ほど前のことだったのだ。
「ううん、そんなことないと思う。このへんの町並みは、全部そのままだもの」
 首を振る恵子。三人は、所在なげにあたりを見回した。七〇年代から、八〇年代のはじめにかけて開けたこのあたりの新興住宅地からは、かつての夢の結晶がややすすけたような町並みを形作っていたが、わずかな邸宅をのぞき、新しく建て直された様子は無かった。
「引っ越した後って、ケーコの家、どうなったの。売ったり、貸したりとか」
 と美奈子が尋ねる。
「うん、確か、もともと新しい家だったから、不動産屋さんに売ったと、思うんだけど」
 新しい持ち主が、別の目的で家を建て直しつつあるのだろうか。それにしては、ここに今からなにかが建設されるとは、どうしても思えない土地なのではあった。その風景を見ながら、恵子はまたも軽い頭痛を覚える。どうして、どうしてこんな。

「来たバグね、各務恵子」
 という声に、辺りを見回していた三人ははっと振り返った。空き地の草むらの中に、なにかがいる。
「どこを見ているバグ、こっちバグ」
 全長三十センチの、ぬいぐるみのような姿が、そこにあった。このような住宅地にふさわしい犬でも猫でもない、あの姿は。
「俺様の名前はプレイリードッグバグ。各務恵子、一緒に来てもらうバグ」
「お、おまえこそ、どっちを向いているんだ」
 と、思わずツッコミを入れてしまう佐脇。プレイリードッグバグは、恵子たちに背を向け、二本足で空き地の向こうのどこかを、のぞき込むように眺めていた。
「おっとっと、いけないバグ。つい習性が出てしまったバグ」
 ゆっくりと振り返ると、鋭い前歯をむき出しにして笑うプレイリードッグバグ。佐脇は、持っていた竹刀を片手で構えると、恵子と美奈子の二人に、手で合図をした。
「逃げるんだ、二人ともっ」
 目配せしあい、一瞬躊躇した後、恵子と美奈子は逃げ出す。佐脇はだっとプレイリードッグバグに向けて駆け寄った。
「ふん、こしゃくなヤツバグっ」
 プレイリードッグバグはまず佐脇を片づけるべく、いきなり地面を蹴る。2メートル以上の跳躍。
「ぐっ」
 ようよう剣をその飛跡に重ねることができた佐脇は、重い衝撃を、竹刀を握った両腕に感じた。頑丈な竹刀が、プレイリードッグバグの牙によって、両断されている。そのささくれ立った切り口に、初めて恐怖を感じる佐脇。地面に再び降り立ったプレイリードッグバグが、今や守るもののなくなった佐脇の喉を狙って跳躍しようとしたそのとき。
「げふ」
 そこにSSジャンプを終えたスピードマンが立っていた。無言でSSSブレードを振り下ろし、プレイリードッグバグをたたきつぶすスピードマン。はた目には小動物を虐待しているようにしか見えない。一〇回ほど殴ったスピードマンは、最後にぐったりしたバグノイドの体をけり飛ばすと、その場に立ち尽くして声もない佐脇にうなずいて見せて、どこへともなく走り去っていった。わずか一分たらず。佐脇は、痺れたようになっていた手をようやく開いて竹刀を落とし、ポケットから携帯電話を取りだすと、美奈子の番号にかけた。
「美奈子。今、スピードマンが、出た」
 さほどの運動をしたわけでもないのに、息が荒い。命のやり取りのプレッシャーは、いまさらながらに大きなものだった。
「それから、消防車を呼ばないといけない。プレイリードッグバグが、隣の家を巻き添えにして、燃えている」

「そうだ、そうよ」
 十分後、ようやく現場に戻ってきた恵子は、音を立てて燃える家を見ながら、全てを思い出しつつあった。美奈子と、佐脇が、心配そうに恵子の顔をのぞき込む。恵子は、二人の顔を見比べて、言った。
「どうして、忘れたりしてたんだろう。あの時、私の家が火事になって、お母さんは…それで」
 激しい頭痛に、顔をゆがめる恵子。だめだ、思い出さなくては、駄目だ。
「それで、あの時…火事の中から…私を助けてくれたのが……ス…」
 と、そこで、恵子は、あまりの頭痛に、意識を失い、二人の腕の中に倒れ込んだ。見上げれば炎はますます高く天を焦がし、遠くから、消防車のサイレンの音が、近づきつつあった。

<次回予告>
「やあ、スピードマンだ。さあ、最終回に向けて、いよいよ大西が風呂敷をたたみはじめた、って感じかな。遅すぎたんじゃないといいんだけどね。ちなみに『つくも台』という地名は架空のものだ。阪急電車の路線図で探したりしないようにね。さて次回は『ピンチ!奪われた万歩計』。卑劣なカワウソバグに、怒りのSSSブレードが唸る、と言っても過言ではない。じゃっ」


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