第二二話『恐怖!宇宙人バグ登場』

 各務が職を失って、最初の日曜がやってきた。無職になると、日曜日というのは感慨がないもんだなあ、と、早起きなどしてみた各務は「フレグランス北見」の自分の家の居間でお茶など飲んでいた。恵子も、今日は特に約束がないようだ。日ごろの睡眠不足を解消するべく、自分の部屋でまだ眠っているらしい。
(こういう日々が、いつまで続くのだろう)
 と、ふと思って各務剛志は一人、苦笑いした。こういう日々もなにもない。獣人帝國バグーからは定期的に倒すべきバグノイドが送り込まれ、自分は職を失い、恵子の進学もどうなるかわからない。思い出してみれば、いつの頃からか、未来に希望を持ったことなどなかったような気がする。五年、いやもう六年前になったあの事件。神戸の家がプロト・バグノイドに襲われ、脆くも、愛する家族を失った。そして、全焼したマイホームから、ただ一つ彼が救い出すことができた、量子が生きた唯一の証、恵子と共に暮らした五年間。
(いつの間にか、いつまでも続くと思っていた、この暮らし、…か)
 そんなはずはなかった。獣人帝國は依然としてこの大阪のどこかに存在し続けている。それを探しだしてたたきつぶさないかぎり、いくらバグノイドを倒しても、各務に加えられた圧力は止むことはない。恵子が生きるべき未来は存在しない。
 と、各務の胸ポケットで、電子音が鳴った。各務は冷えた茶をぐっと飲み干すと、部屋着の胸ポケットからPHSを取りだし、耳に当てた。

 しばらくして。恵子が、寝間着のまま、目をこすりながら居間に出てきた。テーブルの上に置かれた一枚の書き置きを見つける。
「ちょっと出かけてくる。すぐ戻る」
 恵子は、この日曜日を、なにに使おうかと考えながら、ふと胸に兆した恐ろしいほどの不安感の正体がわからないまま、書き置きの文鎮代わりに置かれていた各務の湯飲みを流しに持ってゆき、じゃぶじゃぶと洗った。時計を見る。まだ九時を、すこし回ったところだ。なぜか胸に浮かんだのは、銀色のヒーローのことだった。

「スピードマン、参っ上っ。そこまでだっ、カタツムリバグっ」
 一時間ほどのち。道頓堀、戎橋にできたまばらな人垣の中で、人間大のカタツムリと二メートルほどの間合いを置いて向き合った銀色の戦士がいた。時刻はまだ早く、この界隈は妙に寝ぼけたような、雰囲気の中にある。朝日を反射して輝くスピードマンの肉体。
「あーらーわーれーたーバーグーねーっ。すーうーぴーいーどーまーんー」
「やかましいっ。のろいのかっ。カタツムリだからのろいのかっ。またこんな奴かっ」
 スピードマンは、怒りに任せてカタツムリバグの柔らかい本体に向けてSSSブレードを降り下ろす。ぐにゃ、と妙な手ごたえに、ちょっと怖じ気づくスピードマン。
「ふーはーはーはーはー。効ーかーなーいーバーグー」
 そう言いながら、ゆっくりと、背中に背負った殻の中に入ってゆくカタツムリバグ。ひっこみつつある、柔らかいカタツムリバグ本体に慌てたスピードマンからSSSブレードの雨が降り下ろされるが、ぐにゃぐにゃとするばかりでまったく手ごたえがない。
「こら、待て、それお前、意味があるのか、殻に引っ込む意味が。こら」
 今度は殻をがんがん叩くスピードマンだが、こちらも効果がない。効かない、確かに効かないが、この場合どういう攻撃をするつもりなのだろう、と、攻め疲れたスピードマンは呆然として地面に転がったカタツムリバグを見つめた。人影まばらな橋の上にも、徐々に見物人があつまりつつある。

「くそ、どうしてくれようかこの」
 SSSブレードを、カタツムリバグのフタのすき間にぐりぐりと差し入れようとするスピードマンの背後で、突然、不敵な笑い声が聞こえた。
「ふは、ふはは。お困りのようだね、スピードマン」
 ぱっと振り向くスピードマン。ひとごみから、コートとつばの広い帽子ですっぽりと体を覆った異様な人影が一歩、人垣から抜け出してそこにいる。
「なんだ貴様っ、…バグメイトか?」
「ち、ち。バグノイドが一度に一体ずつ出てくると、誰が決めたのかね」
「りゃっ」
 ぶん、と、いきなりSSSブレードを薙いだスピードマンの一撃を、しかし男はひらりとかわし、身軽に橋の欄干の上に降り立った。見ている人々の間にどよめきが広がる。つるりとした灰色の禿頭に、巨大な目玉、低い鼻に大きな口、いわゆる「グレイ型宇宙人」の素顔をさらした男の横を、吹き飛んだ帽子が道頓堀に向けて落ちてゆく。
「お初にお目にかかる。スピードマン。私の名は、獣人博士。あるいは、グレイバグと呼んでもらってもいいがね」
 男、いや、グレイバグは重力など作用していないかのように、欄干の上に、不自然に安定して立ち、そう言った。

「牛若丸のつもりかっ。降りてこい、このっ」
 ジャンプで一気に間合いを詰め、SSSブレードをグレイバグに叩き込もうとしたスピードマンの動作は、再び舞い上がったグレイバグの動きに軽くかわされる。勢い余って川に落ちそうになったスピードマンの体が一瞬、まばゆい煌めきに包まれたかと思うと、スピードマンの体は虚空を飛び越し、空中へ舞うように飛び上がったグレイバグの動きに完璧に追従し、射程内にとらえる。SSジャンプ。だが。
「がっ」
 苦痛に顔を歪めたのはグレイバグではなく、スピードマンだった。SSジャンプの瞬間移動から抜けたスピードマンの足を、いつの間にか殻から出たカタツムリバグの口が、がっちりととらえている。勢いを奪われ、地面にたたきつけられるスピードマン。
「が、ぐ、この」
「つーかーまーえーたーバーグー」
 スピードマンは手から辛うじて離さなかったSSSブレードを、足をくわえ込んで離さない口に差し込み、めちゃくちゃに突き入れる。さすがに組織を破壊され、体液をまき散らすカタツムリバグ、だが。
「ぐ、うわあああああっ」
 スピードマンの肉体の、滑らかな銀色が、輝きを失い、溶けるようにその表層から地肌をあらわにしつつあった。SSSブレードに体内を破壊され、カタツムリバグもまた死につつあったが、スピードマンの変身が自ら解けようとしている。

「ナノマシン毒、というのを知っているかね、スピードマン」
 ようやく足をカタツムリバグから抜いたスピードマンの背後に立った、グレイバグがそう言った。はっとしてSSSブレードを構え直そうとしたスピードマンの目の前で、SSSブレードが最後の輝きを失って、消滅する。スピードマンの肉体も、ほとんど各務のそれと置き変わりつつある。銀色の戦士がさえない中年のドテラなんかを着込んだオッサンに変化しつつある場面に、見物人たちがどよめく。
「『広東住血線虫バグ』だ、スピードマン。モスキートバグが採取したナノマシンを分析し、カタツムリバグが備えたオプション生物兵器『広東住血線虫バグ』によってお前の体の中のナノマシンは、破壊されつつあるのだ。もはや、お前は無敵の戦士ではないぞ」
「くっ」
 そう言った声はもはや普段の各務のそれである。普通の人間に戻った各務に、必殺の一撃を見舞おうともせず、グレイバグは続ける。各務は、衝撃に、へたり込んだ地面から動けない。
「ここでお前を殺してもよいが、それではつまらん。決戦の地を用意してやろう。新空港だ。ここにいてゆっくりと死んでゆくも良し、空港に来てわしからナノマシン毒の解毒剤の在り処を聞きだすも良し。関西国際空港だ。待っているぞ、スピードマン」
 再びどこからか取りだした帽子を、頭にかぶると、そういって、グレイバグは人波を分けて、歩み去っていった。

「えらい日曜になったな」
 と、各務はゆっくりと、体を起こした。カタツムリバグはすでに絶命している。もはや証拠隠滅の必要も感じていないらしい。カタツムリバグの死体は、自爆しないまま、そこにあった。人垣が、血とカタツムリバグの体液にまみれた各務を避けて、再び分かれる。
「道頓堀の平和は、守られた、といっても過言ではない、が」
 小声でそう言った各務は、街角の時計をぐっと睨むと、南海電車の駅に向け、よたよたと、普段の運動が足りない中年らしい足取りで、歩き始めた。目指すは、グレイバグが待つ、関西新空港。

<次回予告>
「最大のピンチを迎えたスピードマン。スピードマンの体を支える異星科学の結晶が、徐々に『ナノマシン毒』に破壊されてゆく。決戦の地、関西新空港で迎え撃つ三体のバグノイドを、そして恐るべき獣人博士・グレイバグを、スピードマンは倒すことができるのだろうか。生きて娘、恵子の元に帰ることはできるのだろうか。次回『決戦!関西国際空港』。正義のありかを、今スピードマンが示す…と言っても過言ではない」


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