第二五話『スピードマン最後の突撃』

 大阪は、破滅の縁にあった。各地に突如出現した量産型バグノイドや、数個師団ものバグメイトたちによって、次々と放送局、警察、駅などが占拠されたのである。新幹線をはじめとする鉄道、高速道路、港湾機能も次々とその機能を破壊され、警察および自衛隊は、関西国際空港への対応から受けたダメージも回復しないまま、やがて命令系統そのものへの攻撃によって、迎撃態勢を整える前に各個撃破の憂き目に遭っていた。
 東京にあって、この騒動から一定の距離を置くことができた日本政府は、しかし、情報の不足から、一種の「内乱状態」にあるという認識も乏しいまま、三自衛隊を即応態勢には切り替えたものの、結果として手をこまねくかたちになっていた。この空白の日曜日、たった一日の間に、大阪を中心とした京阪神都市群は、日本という国家から切り離されようとしていたのである。

 恵子は、美奈子の部屋で二人、砂の嵐のような画面を映しているテレビを付けっぱなしにしたまま、不安げな言葉を交わしあっていた。何が起こっているのかわからない。テレビもラジオも、混乱しきった現場の様子を最後に、何も映さなくなってしまった。BS放送ですら見えなくなったのは、どういう理由だろう。電車も止まり、携帯電話も通じない。恵子は美奈子の家まで、自転車でやってきたのだった。美奈子は、すぐにでもまた飛び出してゆきそうな恵子を押しとどめて、言った。
「とにかく、下手に動かないほうがいいと思う。これって、絶対やつらの仕業よ」
 改造人間をどこからか送り込んでいる、悪の組織(らしきもの)。スピードマンと敵対しているらしき、あの組織。
「覚えてるでしょ、東郷先生の件。あいつら、どうしてだか分からないけど、ケーコの事、狙ってるのよ」
 美奈子は、喋っているうちに自分の推理に興奮してきたらしく、熱っぽく言葉を継ぐ。
「佐脇と神戸に行ったときだってそうだ。なにかがあるんだよ。ケーコに。そうだ。ここも危ないわ。せめて佐脇の家に」
 恵子は、首を振って、弱々しく微笑んだ。
「……。うん、なんとなく、分かってきた気がする。あの、スピードマンって、たぶん」
と、そこで口ごもった恵子と、それを見つめる美奈子のそばで、突然テレビが息を吹き返した。どこともしれない、荘厳な王宮の一室。玉座に着座した堂々たる人物と、その傍らに立ちカメラをねめ付ける、司祭とも、女王とも取れる美しい女性の姿。一瞬の間の後、女性が口を開いた。
『控えよ、総ての民よ。獣人皇帝、バグエンペラー様が謁見の栄を遣わす』
 恵子は、息が止まりそうになった。あの女の人は。そんな。

 画面に、大写しになった獣人皇帝が、全ての京阪神の一般市民に向けて静かに、力強く語りかけていた。
「……余は、ここに『獣人帝國』の建国を宣言し、領土とする大阪圏の日本からの、実力を持っての独立を宣言するものである。この獣人帝國の理念は、優れた技術、優れた科学、優れた種による優れた管理であり……」
と、そこに。
「待てっ」
 画面の中に躍り込んできた者こそ。銀色に輝く超ひも場伝導装甲に身を包んだヒーロー、スピードマンだった。
「スっピーぃードっ、マぁぁンっ。参上っ。そこまでだっ。バグエンペラー」
 手に提げたままのSSSブレードが、照明の光を反射して光る。放送機材を操作していたバグメイトが、動揺を見せる。皇帝の傍らに控えた獣人皇后が、一歩、獣人皇帝を守るように歩き、スピードマンをにらみながら言った。
「おのれ、スピードマン。どうやってここまで入り込んだ。バグエンペラー様に無礼を働くならば、私が許さぬぞ」
「許せなければどうするっ」
と言ったスピードマンは、銀色の仮面の奥で一瞬、ひるんだ。あの顔は。いや、似ている、しかし。
「私が相手だっ」
 そう言うと、獣人皇后は、凝った意匠の施された盛装の襞に手を入れると、武器を取りだす。鈍い輝きを放つ、金属製の鞭。一動作で繰り出されたその武器を、驚きの中にあったスピードマンは、一瞬対応が遅れたものの、SSジャンプで2メートルほど飛び下がることで、辛くもかわす。
「そうか、クローンか。くそっ」
 獣人皇后、バグノイド改造を受け、人間形態を保ったまま通常のバグノイド以上の力と、武器を操る能力を手に入れた「ヒューマンバグ」の顔は、亡くなった各務の妻、若き日の量子の姿そのものであった。正確に言えば、もしも量子が生きていたらという姿より、いや、あの火事に巻き込まれた時点の量子に比べても、さらに若い。おそらく、遺伝情報だけを手に入れ、ゼロからクローン体として「製造」したものなのだろう。恐るべき速度と正確さで次々に繰り出される鞭を避けながら、スピードマンは、誰に言うともなく、血を吐くような勢いで、叫んだ。
「許さんっ」
「許さなければどうするっ」
 さきほどと立場が逆転したセリフを改良型生体強化ケラチン製の鞭の次の一撃とともにスピードマンにたたきつけるヒューマンバグ。すかさず空いた左手で服からサブマシンガンを取りだし、転がってかわしたスピードマンに一連射を叩き込む。衝撃と、改良型生体強化ケラチン弾特有の「超ひも場中和作用」によって、さしものスピードマンの肉体にも、着弾部分に大きなへこみが生じている。と。

「もう、その声で喋るな」
 残像を残して姿を消し、突然背後に回ったスピードマンの声に、服から短剣を取りだそうとした動きも終えられないまま、ヒューマンバグの表情が凍りついた。SSジャンプ。速すぎる。そして、衝撃。

 ぽたぽたと、SSSブレードから返り血を滴らせながら、一撃で、それなりの強化が施されているはずのヒューマンバグの中枢神経を破壊したスピードマンは、ヒューマンバグにそれ以上一顧だに与えず、残る唯一の敵、バグエンペラーに向き直り、SSSブレードの切っ先を突きつけて、言った。
「覚悟しろ、バグエンペラー。これで終りだ」
 スピードマンの声に応え、玉座からゆっくりと立ち上がり、厚手のマントを脱ぎ捨てたバグエンペラーの姿を見て、しかし、スピードマンは、今度こそ驚きに立ちすくんだ。

<次回予告>
「今、物語が終わる。獣人皇帝バグエンペラーの真の力とは。スピードマンは、大阪はどうなるのか。次回、最終話『さよなら、スピードマン』。スピードマンよ、永遠に」


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