第八話『通天閣のスピードマン』

「各務さんですか。ポレポレです。次の指令ですよ」
「あ、えー。今日はなんとなく頭が痛いので休みたいんですけど。腹も痛いんです」
「仮病を使っても、ダメです。私はごまかされませんよ。あなたはナノマシンでモニターされているのですから」
「気分が乗らないんですよ」
「そんなことでどうします。大阪の平和を守れるのは、あなただけなんですよ」
「警察に任せておいたらいいんじゃないですか。もう切りますよ」
「あ、待ってくだ」
 各務は黙ってPHSを耳から離し、電源を切った。小さくため息をついたのは、いったいなんに対してだったろうか。

 各務はそのまま、夕刻まで黙々と会社の業務をこなし、残業を二時間して仕事の遅れを少しだけ取り戻してから、マンションの部屋に帰った。もう空は暗い。恵子は先に帰っていて、各務の為に夕食を作っていた。
「お帰り。お父さん、ニュース、見た」
「え、何のだ」
 恵子は、だまって付けっぱなしになっているテレビを指さす。そこには、臨時ニュースらしい映像が映っていた。どこか、路上から中継しているらしい。アナウンサーの興奮した声が響く。
「臨時ニュースをお伝えしております。こちら、大阪は通天閣前です。何と申し上げてよいのか分かりません。未曾有の事態が生じていることは間違いありません。とにかく、ご覧下さい」
 なにか白いものにがんじがらめにされた通天閣。その中腹辺りに糸にぶら下がるようにして結びつけられた、いっそう白く、太い、糸巻きのようなものは。
「繭のようにも見えます、この物体は、通天閣をすっぽりと覆い尽くしております。目撃証言によれば、全長百メートルにも及ぶ巨大な芋虫様の怪物が、今日昼過ぎに大阪ドーム周辺に出現、周辺の民家をなぎ倒しつつ通天閣に移動し、警察消防の懸命の妨害活動にも関わらず、ご覧いただいているように通天閣を謎の白い物質で包み込みました。中には逃げ遅れた売店販売員七名と人数不明ながら十人程度の観光客が取り残されているとの情報もあり、事態は混迷の度合いを深めております……大阪府の……山知事はさきほど議会を……自衛隊の出動要請を……しかし……容易ではなく……」
「ね、凄いでしょ。あ、お父さん、ご飯まだだよね」
 各務は、燃える町並みを映したテレビの画面をじっと見つめていた。ただ、じっと。
「…恵子」
「なに、お父さん」
「お父さん、ちょっと仕事が残っていたのを思い出した。もう一度、出かけなきゃならない」
 各務のためにご飯を暖め直そうとしていた恵子は、手を停めると、小さく声を上げた。
「えっ」
「すまんが、先に晩ご飯、食べておいてくれないか。帰りは遅くなる、と思うんだ」
「明日じゃ、だめなの」
 各務は、そう言った恵子を、ますます量子に似てきたな、と意識下で少しだけ思うと、彼にしては珍しい、断固とした口調で、告げた。
「ああ。私にしか、できない仕事なんだ」

 緩めていたネクタイを再び締め直して、身支度をはじめた各務。玄関までそれを見送る恵子。
「お父さん」
 革靴の紐を結びながら、怪訝そうな顔を上げた各務に、恵子は。
「あ、あの、じゃあ、友達を、呼んでもいい」
「ああ、好きにしなさい。すまん」
「いってらっしゃい」
 そして、玄関からエレベーターまでの短い道のりをも、各務は走ってゆく。戦場に向かって。

 各務が、疲れ切って再び帰ってきたのは、その晩、もう十二時に数分を残すのみとなったころだった。
「あ、お父さん、お帰りなさい。ご飯、冷蔵庫にあるよ」
「ああ。ありがとう。まだ起きてたのか。待ってなくて良かったのに」
「ん、でも、ほら、なんだか気になって。あ、そうそう、あの蛾の怪物、スピードマンが倒したんだよ。話してなかったっけ、このまえ、海遊館で見た」
「そうか。でも、明日も学校だろ、早く寝なさい」
「うん、お父さんも。お休み」

<次回予告>
「やあ、みんな、スピードマンだ。どんなバグノイドが出てこようとも、スピードマンは負けないぞ。ちなみに、東京タワーでいうとのろう人形館みたいなものかな。通天閣にはビリケンさんという正体不明の神様がいる。みんなも機会があったらぜひ見に行こう。通天閣は僕が倒しちゃってもうないけどね。さて次回は『松竹演芸場のスピードマン』。なんで吉本じゃないのかよく分からないけど、とにかく、スピードマンは戦い続ける、と言っても過言ではない。じゃっ」


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