第九話『松竹演芸場のスピードマン』

 いきなりだが、説明しよう。ここでいう「松竹演芸場」とは、大阪にある中座のことである。大西が、この名前を「松竹演芸場」だとばっかり思っていたのでこういうタイトルなのだ。松竹演芸場は、どうも浅草にある施設の名前らしい。

 と、そんなことはともかく、その朝、各務は、地下鉄の中にいた。ポレポレからの指令によれば、中座に「レッドスネークバグ」が出現するとの報があったのだ。それにしても「レッドスネーク」はなかろう。
「もっと、こう、なんというか、大阪っぽい名前にならなかったのか」
 地下鉄の座席で一人いらいらする各務。責任者出てこい。

「いいバグか、お前とお前、それからお前は、正面の入り口を固めるバグ。そっちの三人は、裏の非常口。お前は、トイレの入り口で、窓から脱出するやつがいないか監視するバグ。それからお前ら二人で……」
 群衆に紛れ、中肉中背の目立たない格好をした男たちに細かく指示を出している、あの背が高く痩せた男は、もはや説明するのも愚かなことながら、レッドスネークバグである。今回の作戦はかなり微妙であり、かなりの頭脳を誇るレッドスネークバグも気は抜けないところである。観客を人質にとるという作戦は従前どおりながら、今回は、寸前までバグチェンジを控え、救助に来たスピードマンに、助けられた一般客の一人として接近し、必殺「ヴェノム・ファング」で刺し貫こうというのである。そのためには、作戦参加者全員の一糸乱れぬ行動が、そう、時にはわざとやられたふりをするというような高度な戦術が必要となるのである。どこかで手はずが狂えばスピードマンに気付かれ、逆襲の機会を与えてしまう。
「というわけで、オレは観客席に向かうバグ。決行は、他に指示がない場合は三〇分後バグ。いいバグか、時計を合わせるバグよ。三、二、一、バグ」
 こういうことを街角でやるとかなり目立ってしまっているのは確かだが、これでけっこう敵も訓練が行き届いているぞ。危うし、スピードマン。

 トイレ方面の守備を任されたバグメイトは、迷っていた。彼の名は、それが名前と呼べるものかどうか分からないが、バグメイト三八号。一ヶ月前に獣人帝國バグーのバグメイト工場で生産された戦闘員である。彼は、まったくの偶然から、画一的に生産され、使い潰される下級戦闘員としては、ほとんど天才と言っていい知能を持っていた。自分がなんのために生まれ、死んでいくのかについて、真剣に疑問を持っており、さらにそのことを(身の安全のために)隠すすべすらも、自分で発見していたからである。普段の彼は、まったく理想的なバグメイトだった。
 しかし、こうして一人、トイレの前で、用を足しに出入りする男女を見張っている今になって、またぞろ彼の頭にはいつもの疑問が沸き上がってくるのだった。生命とはなんだろうか。自分は果たして生き物と言えるのだろうか。スピードマンを倒すためとはいえ、このような、一般人を巻き込み、おそらくはけが人、悪くすると人死にが出る作戦をとってよいものだろうか。そして、ひととおりの一般常識を急速教育によって脳に叩き込まれているバグメイト三八号には、なにをすべきかは分かっていた。あの赤いボタンを押すと、事態は一転する。

 中座の前に着き、まだなにも起こっていないなそれにしても喉が渇いたな今のうちにコーヒーでも飲んどくかな、などとヒーローらしからぬことを考えている各務の耳に、突然警報が響き渡った。
「な、なんだ。もう始まったか」
 あわてて物陰に隠れ、変身する各務。
「スピーッド、アーップ」
 今まで恥ずかしかったので黙っていたが、スピードマンの変身プロセスを解説しよう。各務の「スピードアップ」の掛け声に反応した変身万歩計は、本日これまでの歩数が一万を越えていることを確認すると、各務の体内を常に流れるナノマシン群に変身の指令を出した。異星人ポレポレがかつて移植したナノマシン群は、超ひも場発生機構を駆動、超ひも場が作り出す仮想的マイクロブラックホールによって各務の肉体を虚数転換する。異次元空間に凍結された各務の肉体に代わって現実世界に生成されるのは、理想的な超人としての肉体である。そう、これがスピードマンだ。銀色の超ひも場転換装甲によって守られた表面の硬度は鋼鉄を上回り、その異星筋肉の生み出すパワーは格闘技のプロのそれを遥かに凌駕する。一瞬よりもさらに短い時間の後、狭い路地のポリバケツの陰に下り立った正義の戦士スピードマンは、中座へと向かった。

 中座は大騒ぎであった。とつぜん鳴り響いた火災警報に浮き足立った観客は、火災報知器の作動にともなって誘導をはじめた係員に導かれ、避難を開始していたのだ。
「な、なんだバグ。作戦はどうなったバグ。お前ら、そいつらを逃がすな、だバグっ」
 あわてて、作戦を即時実行に切り替えようとするレッドスネークバグだが、綿密な計画ほど崩れるときは無残なものである。分散し、作戦開始位置についていたバグメイトたちは、ほとんどの観客をすんなり通してしまったのだった。

「待てっ、レッドスネークバグっ」
 そして、避難する群衆をかき分けて、観客席の最上段に現れたのは、あれこそ。
「スッピードっ・マァァン!私が来たからにはもう安心だ」
「誰バグかっ。裏切ったのは誰バグかって、げっ」
 作戦の失敗に慌て、裏切り者を探していたレッドスネークバグは、スピードマンの声に驚愕した。
「バグチェンジもまだのようだが、好都合だ。カモン、SSSブレード」
「だ、だれがバグノイドバグか、ってあれ」
「おまえだろうが。蒲焼きにしてやる」
 しまった、言葉遣いがそのままだっ。輝くSSSブレードを構え、まっしぐらに向かってくるスピードマン。
「ば、バグー」
 一撃でレッドスネークバグ(変身前)はその中枢神経を破壊され、自爆した。
「火災報知器が作動していたのは、好都合だったな。うむ。これで中座の平和は守られた。といっても過言ではない。じゃっ」
 作動し始めたスプリンクラーの雨の中を、スピードマンは去ってゆく。

 決して敵情も一枚岩ではないことが分かったいま、強大な獣人帝國バグーとたった一人で戦うスピードマンにも勝利の糸口が見えてきた。それでも確かな明日はなにもない。頑張れ、スピードマン。次回はもうちょっと短くまとめろ、大西。負けるな、超光速流スピードマン。

<次回予告>
「やあ、みんな、スピードマンだ。レッドスネークカモンというネタが出てこなくて、本当に良かったよ。それだけがちょっと心配だったんだ。ちなみに、「レッドスネーク・カモン」は「東京コミックショー」の持ちネタだ。ゼンジー北京じゃないぞ。さて次回は『阪神パークのスピードマン』。平和な動物園はオレが守ると言っても過言ではない。じゃっ」


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