大学生だったころ、私はよく仲間と一緒に大学の食堂で飯を食べていた。その食堂はいくつかある大学の食堂の中でも特異な、新入生は怖がって近づかないような食堂であった。それというのも、大学の敷地の不足から構内のはずれの崖っぷちに乗りだすようにして建てられており、なんだか一年中暗くて汚いうえに、カフェテリア形式の癖にシステムが理不尽なため特に初心者はレジのおばちゃんに必ず一度は叱られるなどということがあったからだ。食事の内容も内容で、ダマ入りカレー、ヒトカタマリになったザルソバなど、いまにして思えばよくあんなものを、と思うようなメニューではあったが、そこはそれ、我々は青春の気概というやつでどうにかしていたのである。大震災で破壊され、いまはもうない。
あるときのこと。我々はいつものようにこの食堂で飯を食べていたのだが、どういうわけか私はそのとき食欲がなく、茶碗に盛られたご飯を半分くらい残して食べ終わった。大食漢の知人がそれを見ていて一言、こういった。
「そんなに残してはもったいないではないか。その白飯を作るには大変な手間がかかっているのだ。お百姓さんに失礼ではないか」
他愛もない冗談であるが、「そうだね、じゃあ食べてしまうか」とはいかない。そのときは本当に食欲が無かったのだ。そこで私はこう言い返した。
「百姓、百姓というが、私の実家は食用米も作っている農家である。私は学生の身分であり米作を本業としているわけではないが、帰郷の際には農作業の補助をして汗を流すことも多い。私の労働量を総計すれば自分の食い扶持分の米ぐらいは生産している自信がある。したがってこの米は自家生産分を自分で浪費しているのであり、あなたにとやかく言われる筋合いの無いことである」
「なるほど、貴殿の言われる通りである。前言を撤回し、その残飯の放棄に倫理的問題はないことを認める」
こんな言葉遣いで会話したわけではないが、こういうやりとりがあったのである。本当に私の実家ではある程度の米作を営んでおり、田植えや稲刈りなどの節目節目には手伝いをすることも確かに多かった。しかし私が自分の口にするものと同等の食物を生産していたかというと決してそれほどではなかったので(そもそも私の実家の持つ狭い農地全体を合わせたところで、家族の消費する全カロリーを賄えるほどあるかどうか)、これはすこし偉そうに言いすぎている。
現在の米作の現場は、有史以来、つい百数十年前までの日本という国家が寄って立っていた米作とはかなり趣を異にしている。空中から種を散布するようなアメリカ式農業にはとても及ばないが、機械化はほぼ極限まで進み、かつてかかっていた膨大な手間も筋力もさほど必要ない状態になっている。「ほ場整備」と呼ばれる農地整理も済み、広くなった水田を、要塞のような自走刈り取り機が一通り旋回するだけでたちまち黄金の穂波が十数袋の「もみ」とまき散らされた藁へと変わってゆく。稲刈りの光景は今ではこうである。もちろんこれは一種の科学の勝利であり、農家を激しい労働から解放した偉大な進歩であろう。しかし、そうして生産された食料としての米に、もはや「一粒一粒に神が宿る」とまで言われたほどの神聖性を見いだすことができないのは私だけではないはずだ。
農業用機械といえば、これはご存じない方にはぜひ一度見ていただきたいのだが、田植機、稲刈り機といった農機は、現代ロボット工学の粋がここに、というような実に複雑な動きを行って苗を植え、稲を刈ってゆく。身の回りの家電製品、たとえば洗濯機は洗濯板に洗濯物をこすりつけるという動作ではなく、回転の水流によって洗濯を行うようになっている。人間本来の洗濯法が「機械で実現しやすい動き」に置き換えられているのだ。ところが、農機は一般にそうではない。田植え機は正直にもまるで人間の手のような動きをしながら苗を苗床から受け取り、水田に突き刺して行く。他に方法がないからとはいえ、実現には大変な技術を要したであろうその機械らしくないスムーズな動きには一見の価値がある。しかし、その精緻な動きは、一歩食い違いが生じるとたちまち融通の利かない機械としての一面を露にしてしまう。昔ながらの純粋な肉体労働によらなければどうしようもない部分もまだ存在しているのだ。
「見よ、わが子よ。ひどいことになっているものだ」
と私の父が言う。目の前には台風でめちゃくちゃに倒れた稲田があった。収穫を前にして時ならぬ強風で稲がぐちゃぐちゃに倒れてしまったのである。もはやこれでは稲刈りに機械をつかうことはできない。最低限、倒れてしまった稲を、櫛でなでつけるように一方向に倒し直してからでないと、スムーズに刈り取りができないのだ。稲を起こして並べ直すのは、かなりの重労働である。
「肥をいれすぎると、こうなる。欲張った報いといえなくもない」
当然だが、施肥を行うと、米の収穫量が増す。同じ面積からたくさんの収穫を得ようと思えば施肥を十分にするほうがよい。ところが、肥は稲の茎の成長にも使われることになり、非常に背の高い稲へと成長する。実った米の重みと相まって強風には弱くなってしまうのである。
「覚えておくがいい。ここまで倒れてしまっては起こすのにかなりの手間を要する。米が根を張るのだ」
幼い私に父が見せたのは、恐るべき光景だった。収穫を目前にして稲が倒れると、実った米が大地に接触することになる。このまま放っておくとどうなるか。
我々は普段忘れ去っているが、米は稲の「種子」である。毎日炊いた形で大量に食用にしているあの白飯一粒一粒は、すべて発芽と成長の可能性を持つ稲の卵なのだ。それらは、精米されればもはや発揮されることのない特質ではあるが、稲に実った状態の米はいまだその凶暴な力を保持している。
そう、稲に実った米は、地面に着くやいなや発芽を始めるのである。黄金色に染まった秋の田から、緑の若葉が生じ、天空に向けて光を要求する。一方で地面に向けては、その水分を吸収すべく、根が差し伸ばされるのである。
むろんこうなった米は食えはしない。しかしながら、その稲穂には普通いまだ多数の発芽しない米が残っており、それらは回収して食用、あるいは商品とすべきものだ。だからこそ、稲刈りを行おうとすればそれらの若い稲が伸ばした根を力を込めて引きちぎりつつ、稲を起こさなければならない。機械による収穫に捧げるために。
「戦後間もない頃の米の値段を知っているか。一升につき五百円だ。いまと同じだな」
米の持つ隠された生命力にショックを受けている私に、父は続けて言った。
「物価が何百倍にもなったのに、米の値段はそのままなのだ。これはすべて農政がしっかりしていないからだ」
台風にかき回された稲田を見つつ、それは違う、と思う私であった。いつものように、なんか間違っているよ。父上。