十五秒間の死闘

 私の生家には、留守番電話は無かった。いまもない。ない理由ははっきりしている。父親が自分の家で働く職業なので、どんな時間でも必ず誰か家にいるからだ。留守番の必要がないのだから、留守電も要らないわけである。
 私は今ひとり暮らしだが、この「いつも誰かいる」ということがどんなに素晴らしいことかということは大いに力説しておきたいところである。なんて書くと陳腐なプロポーズの言葉のようだが、家にいつも誰かいるということは、大変便利なことなのだ。
 まず、戸締まりの必要がない。夜中にふらふらになるまで飲んで帰ってきて、カギがなくって焦るというようなことは気にしなくていい。出かけた後で火の元やモデムの切り忘れが気になっても大丈夫である。留守中に宅急便が届いても受け取ってもらえるし、それどころか代金引き換えを頼んでおくことも可能である。もう一つ言えば犬猫が飼える。というより、誰かいつも家にいる、という環境で育ったので、それ以外の状態でペットを飼うという行為が考えられないのだ。家に誰もいないときに犬が大小便を催したらどうするのだ。かわいそうではないか。

 なぜか話がずれたが、とにかくそんなわけで私は長い間留守番電話というものを使ったことがなかった。大学生になって下宿をはじめてからも、下宿先が大家さんの電話での呼び出しになっていたので、個人で電話を持てなかったのである。
 そんな私にとって留守番電話のシステムは憧れのマトだった。電話をかけてきてくれた友達に贈る一時のうるおい。ごめんね、留守なんだよ。でも芸をするから楽しんでね。私は、ボケられる場面ではボケずにいられない性格なのである。もし将来電話を持てる身分になったら、留守番電話を使ってあれもやろう、これもやろうと考えていた。たとえば、当時のアイデアメモから抜粋すると、こんな風である。

「(BGM:スターウォーズのテーマ)はい、大西です。ただいま帝国軍と最後の決戦の途中です。デススターを破壊するまで帰れません。ご用の方は発信音の後にメッセージを入れて下さい。フォースがともにあらんことを」
「(BGM:サイフォンがコポコポいう音)はい、大西です。ただいまとても難しい研究をしています。気が散ると爆発する恐れもあります。そうっとメッセージを残して……うわ。しまったあっ(SE:爆発音)……ピー」
「(BGM:昭和枯れすすき)…はい、大西です。ゴホゴホ。すいません。私がこんな体じゃなかったら電話に出られるのですが。ゴホゴホ。生きて聞けるかどうかわかりませんが、メッセージをお残し下さい。ゴホガホゲホゴホ」

 何を考えているのだ。大学生の私は。

 ところが、いざ自分が留守番電話を購入すると、ちょっとこんなことはできないということがわかった。それというのも、椎名高志氏の四コマ漫画で次のような作品を読んだからだ。

 男がはじめて留守番電話を買う。彼は、とっておきのネタを吹き込んだ面白いメッセージを作って、誰か掛けてこないかとわくわくしながら出かける。やがて無人の部屋でふざけたメッセージが流れ、伝言が入る。「父さんだ。母さんが危篤だ。すぐ帰れ」。

 ああ、これは私のことではないか。すべてお見通しか椎名高志。そうなのだ。私は電話を職場や家族との通信にも使うつもりなので、めったな留守メッセージは入れられないのである。断腸の思いで私はデフォルトのメッセージを使うことにした。

 しかし、それでくじけないのが私のいいところであり、ダメなところでもある。なんとか普通のメッセージの範囲内で面白いことができないかと考えたのだ。
 たとえば「はい、大西です。……………」と返事の後に空白を開け、相手が出たと思ってしゃべりだすのを録音する、というのはどうだろうか。ダメだ。これはちょっとオリジナリティに欠けるし(なんと、電話機の説明書にメッセージ例として載っているのだ)、なにより私がやられたと考えると全然面白くない。相手に不快感を与えるのは本意ではないのだ。
 そうだ。内容はそのままに、留守録メッセージを極限まで切り詰める、というのはいいかもしれない。普通、電話を掛けた人は、留守録のメッセージを聞きながら、ああ、留守だな、メッセージを入れなくちゃな、と考える。では、そんな暇を与えることなく「ピー」と発信音を入れればどうだろうか。
「大西は留守です。メッセージを入れて下さい」
 こうして考えたメッセージがこれである。短くするなら「大西です。ピー」までやればいいようなものだが、首尾結構が整っていて、ふざけてなんかいないと言い張れるのはここまでが限界だろう。短いと言っても書くとそれほどでもなく思えるかもしれないが、普通のメッセージは「はい。ただいま留守にしております。ピーっという発信音の後に、メッセージを入れて下さい」ぐらいの長さがある。これと比べれば私のメッセージの短さがわかろうかというものだ。かけてきた相手はさぞや慌てるに違いない。
 私はほくそ笑みながら原稿を吹き込み、「留守」のスイッチをいれると、職場に出かけた。

 さて、帰ってきたところである。お、メッセージが入っているぞ。
「ヨウケン、サンケンデス。メッセージヲ、サイセイシマス」
 しめしめ。
「大西は留守です。メッセージを入れて下さい。ピー」
「……」
 ひひひ、困っている困っている。電話の向こうで息を飲む気配がするのである。
「ガチャ。プーッ、プーッ、プーッ。ジュウガツジュウヨンニチ、ゴゴ、サンジ、ジュウニフンデス」
 うあ、切りやがった。やり過ぎたかな。ごめん。
「大西は留守です。メッセージを入れて下さい。ピー」
 次のメッセージである。
「……」
 間があるなあ。
「えと、○○運送です。宅配便お届けにあがりました。大家さんに預けていますのでよろしくお願いします…。ガチャ」
「プーッ、プーッ、プーッ。ジュウガツジュウヨンニチ、ゴゴ、ヨジ、ニジュウナナフンデス」
 むむ、今度は宅配便か。いかん、今日はもう遅すぎる。明日、ってことか。とほほ。荷物、何だろ。生ものじゃないだろうな。
「大西は留守です。メッセージを入れて下さい。ピー」
 三回も同じネタを聞くとさすがに嫌になるなあ。
「……」
 ……。
「♪ハラヘリヘリハラッ♪飯食ったかーっ。ガチャ」
「ジュウガツジュウヨンニチ、ゴゴ、ハチジ、ハチフンデス」
 おいっ。どういうことだよっ。ああ、もう。変な電話入れるのやめてくれよ、母さん。


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