冷蔵庫の中にあった麦茶を飲んだら蕎麦つゆだった、という失敗は誰もが経験するところだと思うが、私の生家では、はちみつレモンだと思ったら「トマトトーン」というトマト用肥料だったということがあった。これは原液を希釈して使うタイプの液肥で、父が「はちみつレモン」の空いたペットボトルに入れておいたものらしい。私はかろうじて直前に飲むのをやめたのだが、この「トマトトーン」、無色透明で、ペットボトルをよく洗わなかったのか、はちみつレモンそのものの香りがするのだった。農家の子はこれだから油断がならない。
私の父親の、トマト作りに関する情熱は想像を絶するもので、夏ともなれば庭の前の一反ほどの畑が身の丈を越すトマトの木で埋め尽くされるのであるが、父はトマトの生産装置としてよりも、ガーデニングの一種としてそのトマト畑を可愛がっている節があった。というのも、家族で旅行に出かけたとすると、道路沿いのトマト畑を見ては、必ずなんらかの批評を下すのが私の父の習い性であったからだ。トマトの固定が甘いとか、肥料のやり方が足りない、あるいは多すぎる、というようなことを看破しては、引き比べての我が家の出来具合に満足するのであった。
このトマト作りが父の趣味であることを示すもうひとつの逸話に、作る品目について明らかに彼の中で「はやりすたり」がある、ということが挙げられる。私が小学生くらいのときはスイカが父の情熱の対象であった。畑じゅうが厳重な対カラス防御網で覆われ、採れたスイカは夏中ごろごろと家の中に転がっていたのである。続いてはイチゴであった。私の幸せな少年時代を象徴するかのように、毎朝イチゴが山のように食卓に配されたものであった。そういった幸せな時代は残念ながら長くは続かず、食卓に大量のナンキンが毎日のように出されたり、家の軒に十年分くらいのタマネギが冬中つるされていたり、さらにはモロヘイヤやオクラのような、ああ、これ以上書きたくないが、こういう不幸せな時代にとってかわられたわけだが、これも、マイブームというか、「アレの作り方はマスターしたからもういいや」という趣味的な動機から来ていることは想像に難くない。
さて、かくのごとく我が子よりもどちらかといえばトマトの方を大事にしている我が家であったが、その季節の終わりには、こうした採れたトマトを煮込んで盛大にケチャップを作るのが我が家の年中行事のようになった。トマトは自家の食用にするほか、親戚中に配り歩いたり、道端の百円市で販売したりするのだが、季節の終わりにはやはり大量の余剰を生じるのである。これらは、まとめて鍋に放り込まれる。この用途の他には使い道がないのではと思われる巨大な鍋がどこからか持ち出され、そこにバケツ二杯はあるトマトが放り込まれて何日も煮られるのである。
そうしてできたケチャップは、煮沸され、滅菌されたいくつもの大きな瓶に分けて密閉され、保存される。我が家の特徴なのか、市販のものとは違い、妙にどろりとして、固形分の多いものになる。容れ物である広口瓶の口から、スプーンを入れてすくい出さなければならないほどである。私のイメージとしては、この自家製ケチャップは、市販の、たとえばカゴメトマトケチャップの、粗末な代用品、というものであった。これが大変ぜいたくな認識であり、私が何もわかっていなかったことに気がついたのは、かなり最近のことである。
ある日、私の家を訪れた友人と、夕食を共にすることになった。その時のおかずは豚カツだった。そこにかかっているソースが、この自家製のケチャップと、カゴメ豚カツソースを半々に混ぜたものだった。この夕食に、友人は感動を表明した。実に美味である。なにか秘伝があるに違いない。私は、これはケチャップと豚カツソースを混ぜたものである、と説明したのだが、その友人は、いや、レシピを秘密にしたい気持ちはわかるが、これはそんなものではない、と言いつのるのだった。
この自家製ケチャップが非常においしいものであるのかどうか、私はどうも味にあまり鋭くない質らしく、判断できない。それに、本当のところ、その友人は少し大げさに言っていたのだろうとは思う。しかし、このメニューになにか特殊なものがあるとしたら、それは自家製のケチャップであったのだから、きっとそういうことだったのだろう、と思う。
というわけで、実家から送ってもらったこのケチャップを何に使おうか、今、考えているところである。何にするにしても、かなり多量にある。