月と十ドル三十八セント

 前回、単位について書いたが、せっかく外国にいながら一日十八時間もゴリゴリ機械工作をする私のような境遇以外の人にとっては、外国旅行で唯一痛感する単位系の違いは、貨幣の違いだろう。ドルで書かれている値札の数字に幻惑されて思わぬ高い買い物をしてしまったという失敗は、昔から旅行記には必ず登場するポピュラーな話題となっている。一ドル札はモミ海苔のようにボロボロで、百ドル札なんて使っているひとはおらず、十セント貨よりも五セント貨の方が大きくて堂々としているとかの話題も、よく見かける。

 ここで私が話したいのは、外国にいるとやけに硬貨が財布にたまってゆくことである。外国のコインは、最近はそうでもないがお札と違ってあとで銀行で円に替えてはもらえないので、滞在中に使ってしまわなければならないのだが、使うチャンスを失ったままつい大量のコインを死蔵してしまうことが多い。特に厄介なのは1セント貨だ。アメリカの1セント貨は銅でできた一円玉程のサイズの貨幣で、見た目はなかなか立派な硬貨である。ところが、アメリカで一週間も暮らすと、これが溜まってゆくだけで全く使い道がないことに気がついて慄然とする。

 皆さんは、財布の中の一円玉や五円玉をどういうふうに処理されているだろうか。ほとんど外では使わず、家に持ち帰ってただ瓶にため込んでゆくだけの人もいるだろう。たちの悪い私の友人に一人、普段から財布に一円玉をためておいて、他人から百円借りてすぐこの一円で返すという凄い技を使う男がいた。しかし、そんなことをしているとやがて誰も金を貸してくれなくなるので、普通は買い物をしたときの端数を払うことで消費していると思う。

 たとえば1038円という買い物をしたとする。手もとにちょうど38円あればいいが、そうでなくても、たとえば千円札を一枚と、五三円を払う。すると十円玉が一枚、五円玉が一枚返ってくる。実に合理的である。この、手持ちの硬貨からどのような組み合わせで出せば最も手持ちのコイン数を減らすことができるか、という思考は、いつもレジの前で瞬時に行っているわけだが、簡単なようでいてなかなか難しい問題である。アルゴリズムとして書いてみよという問題がどこかのコンピュータープログラム教本にでもありそうだ。

 日本ではこうして小銭をため込むこともなく生活していた私だが、アメリカでは勝手が違った。アメリカでは1ドルは札で、それ以下が硬貨であるが、その組み合わせがトリッキーなのだ。25セント、10セント、5セント、1セントとなっているのである。10セント以下はまあいい。問題なのは25セントだ。分数好きのアメリカ人によって四分の一ドルということで選ばれたに違いないこの25セント貨の存在が問題を複雑にしているのである。

 数字としてはいかにも厄介な25セント貨であるが、持っていると実に役に立つ。というより、他のコインが役に立たなさすぎるのだが、たとえば自動販売機や公衆電話で使えるのは25セントと10セントだけなのである(ちなみに、ビデオゲームは大体25セント貨一枚で遊べる)。したがって、買い物の時の最重要事項は、いかに手もとの5セント/1セント貨を減らして、25セント貨を多数手に入れるかであった。
 ところが、25などという単位を使ったことが無いため、日本で無意識にしていたような計算が全く成り立たない。たとえば、10ドル38セントの買い物をしたとき、どうしたらいいだろうか。日本と同じ思考で10ドル53セント(10ドル札1、25セント貨2、1セント貨3)は愚策である。もちろん10セント貨と5セント貨が帰ってくるが、この5セント貨は、役に立たないということで言えば1セント貨と同じなのだ。ぴったり10ドル38セントなければ、ここは11ドルと13セントを出して、25セント貨を3枚もらうのが正解なのである。しかし、こんな計算、暗算でやれといったって無理である。計算としては決して難しくはないのだが、普段使ってない筋肉を使わなければできない運動のようなものである。私は、たいていこういうときは11ドル出してざらざら小銭をもらっていた。こうして使えない1セント貨がたまってゆくのである。たまったものではない。どっちだ。

 私がアメリカに行ったのはもう三年も前のことである。最近はこうなっているという情報があれば是非教えていただきたいのだが、当時、確か缶コーラは日本で110円、アメリカで65セント前後(なんか場所によって違う、日本もだけど)だった。これで換算すると大体1ドル=170円くらいだろうか。したがってその百分の一の価値である1セント貨は、1.7円玉ということになる。この1セント貨は、1円より1.7倍偉いはずだが、実にないがしろにされている。ある店では、レジの前にハコが置いてあって1セント貨が入れてあった。足りない1セントはここから取って使って下さい。余った1セントはここに放り込んでいって下さいなどと書かれていて、なるほど1セントはアメリカ人も面倒だと思っているのだ、と納得する場面である。万事大ざっぱというだけのことはある。

 その日、穴蔵のような実験施設を抜け出した私たちは観光に来ていた。どこをどうしてそこにたどり着いたのか全然思い出せないのだが、やがてある地域にたどり着いた。サンフランシスコのピア39という海べりの観光地である。フィッシャーマンズワーフなどとも書いてあったような気がする。漁港から水揚げされた捕れたての魚を食べさせるというコンセプトなのだろうが、要するに日本のウォーターフロントによくある観光地と同工異曲であって、土産屋やロウ人形館などの見せ物屋が並んでいたりする。

 私は、そうした土産物屋の店先にあった妙な機械に興味を引かれた。日本ならジュースの自動販売機、最近ならプリクラが置いてあるような位置に置いてある。背の高さほどの大きさで、透明ガラスケースの中にギアやバネを組み合わせた複雑ななにかの機械が入っていた。コイン投入口があり、「51セント!」と値段が大書されている。何を売るものだろう。私は、同行していた先輩に尋ねてみた。
「コレ、何ですか?」
「ああ、それなあ。51セント持ってるか」
「持ってますけど」
「じゃあ、そこから入れてみ」
「はい」
 私は、小銭入れから25セント貨二枚と1セント貨を取りだし、投入口から入れた。機械の中へ転がり落ちていったコインは、ころころとレールを転がって、機械に挟まった。
「あっ」
 と思うまもなく、動き始めた機械は25セント貨をしまい込むと、1セント貨をローラーに挟み込んで、轢き潰し始めた。たちまち大げさな動きをしながら回転を始めた機械に、1セント貨が飲み込まれてゆく。
「そんな、無茶な」
 先輩が取り出し口を指さしている。返却口から出てきたのは、倍ぐらいに引き伸ばされ、サンフランシスコ名物ケーブルカーの刻印を入れられたメダル、というか1セント貨のなれの果てだった。手持ちの1セントを材料にした「メダル製造機」だったのである。

 1セント貨は、このようにないがしろにされている。それにしてもこれ、犯罪じゃないのか。


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