この「大西科学」には一応英語版のトップページが存在する。これをごらんの方で、そちらを訪れたことのある人がどれだけいるかわからないが、とにかくそもそもの初めから、トップページには「English Version is Here.」の文字が麗々しく掲げられ、非日本語環境の方への案内を行っていた。ただ、その内容はといえば、開設以来ほとんど変化無く、トップページの言葉(大正八年設立云々)のあやしげな英訳と、英語版は作成中であって文句があれば電子メールを書くがよい、という逃げ口上があるだけである。はなはだ情けない状態で、これなら初めから作らないほうが良かったような気もする。
このあいだも、私が自分のページを見ているところを横から眺めていた外国の方に、「オーニシサイエンス。これ、あなたのページですか。ほほう。おやぁ。英語はこっちとあるではないですか、どれどれ…」とせっかく興味を持って戴いたのだが、現物を見るや「…これだけですか。ユーアーソーレィジィ」と言われてしまった。左様。拙者怠け者にてござる。
実のところ、このような日本語で書かれた文章そのものが主コンテンツとなっているページで、わざわざ英語ページなど作る意味は全然ない。そもそも、この「大西科学」に来るためには、リンクをしていただいている他の日本語のページからリンクをたどるか、サーチエンジンで検索をかける、というようなことをしなければならないわけであり、日本語の読めない環境の方がたまたま「大西科学」ページを開いてしまう可能性はほぼ零である。もちろん、ある日突然に英語のページからリンクを受けるという可能性は無いではないが、はっきり言って無駄な心遣いなのである。作って害のあるものではないが、英語の案内があるべきである、という硬直した常識に従いすぎているのかもしれない。
ただ、この大西科学を作る前に私の作ったページ、というものがあって、実はまだウェブのどこかに残っているのだが、大学のサーバに置いてある関係から、こちらでは英語版を作ることは実に理にかなっていることであった。大学のトップページからそこまで、英語ページだけをたどって来ることができたからである。実際、外国の関係者が研究室への連絡法を知る有力な手段になっていたらしい。ある程度英語のコンテンツを整備したりもした。もっとも、何人の役に立ったかはいまもってわからない。
大学のページでは、このように外国の方の役に立つ、ということが割と重視されている。なにしろ世界は広い。自分の体験に置き換えて考えてみると、たとえば外国の方に手紙を書かなくてはならないことになったとする。見れば、もうこれが読めもしない名前である。日本にさえ難読苗字を持つ人が結構いらっしゃるのだから、世界には、もう世界ランキングの難読さん、想像を絶する名前の持ち主がいるものなのだ。手紙を書くだけだから読めなくっても別にいいわけだが、男の人なのか女の人なのかがわからないとちょっと困ったことになる。手紙を書く場合、敬称をつけるにあたって「Mr.」とすればいいか「Ms.」とすればいいかという問題があるからだ。間違えたら失礼にあたるだけに、必死で調べないといけない。「ぺと」さんって、男性だか女性だか、わかりますか。
思うに、「Miss」と「Mrs.」をまとめて「Ms.」にしたのだから、それならいっそ「Mr.」と「Ms.」もまとめて「M.」とでもしてしまえばどうか。そこまで行ってようやく男女平等であろう。それとも何か。英語圏では男女の区別がつかないと何か困ることがあるのか。われわれはそんな敬称の違いがないけど、平和にやっていっているぞ。
余談さておき、こういうことを調べるために、その方のページがあったりすると本当にありがたいわけである。大学なんかだとその職員の名簿を検索できるようになっていることがあって、これは嬉しい。反対に途方に暮れてしまうのが、現地語版だけで英語版が用意されていない場合である。なんとか意味がわからないかと思ってページを未練がましく眺めるのだが、ウムラウトとかアクサンとかが付いた文字が必ず文字化けを起こしているのには参る。
たとえば「R嗜tgen」などとあると、これは嗜好の嗜だが、これはウムラウトのついたoとnがくっついて漢字になってしまっているのである。レントゲンの名前の表示もできないOSを使っているのかと思うと情けない気もする。他には、シュレーディンガーやメスバウアーなどがこのウムラウトつきのoが入る名前だが、「oの上に点々」を「oe」として書いてあることがある。これはレントゲンにとって屈辱的な事ではないのか。ドイツ人にとってこの辺の感覚がどうなっているのか良くわからないが、日本語で言うと「わたしわうたおうたいます」のようなことになっているのではないか。名前に「を」や「は」が入ることはあまりないか、いやあるぞ。いをりさんとか。
なにもヘブライ語やキリル文字が読みたいと言っているわけではないのである。ヨーロッパ言語くらいはサポートしていて欲しいと思うのだ。と、言っていたら、今度私のマックに入った「MacOS8.5」では、一応世界中どこの言語でも見ることだけならできる、という機能がついた。専用のフォントが付属していて、中国語はじめ、ヘブライ語やアラビア語など、どこの国のページを見てもちゃんと表示できるようになっているそうである(私にしてみれば、どちらにしても読めないので本当にちゃんとしているかどうかはわからない)。ただし、標準ではインストールされなくて、わざわざ後で別に機能を追加してやる必要はあるので、これはちょっと期待外れかもしれない。メモリやハードディスクの容量などいろいろと問題があることは想像に難くないが、ユーザーのマシンに強制的にインストールしてしまって、どの国のページでも、その国の人が読んでいるのと同じ文字が表示されるようになるべきではないだろうか。
小学生の頃、ローマ字を習いたてのときに、英語というのはローマ字で書いた日本語のことだと錯覚した人は少なくないと思うが、英語圏の子供はこのようにして他言語に触れる機会を作っておかないと、世界に言語は英語しか存在しないと思う可能性がもっと高いのではないか、と思うのである。しかし、考えてみればそれはそれで構わないような気もするので、世の中はまことに不公平にできている。
なにしろ、英語のページには、英語版を作る必要はないのだ。これって、不公平だと思わないか。