宴にありて

「さて、宴たけなわというところ、ここで各自、自分の怖いものを発表しよう」
「どうして」
「急に、なんですか」
「え、なぜ、ということはないのだけど。いいじゃないか。聞きたいんだ」
「変わったことを言いますね」
「まあいいだろ。しかも、ただの『怖いもの』では面白くない。他人に、なぜそんなものが怖いんだ、と思われるようなものでないといけないことにしよう」
「ははあ。もちろん、『まんじゅう怖い』の類いは禁止な。『嫁が怖い』というのもとりあえず禁止」
「難しいですね」
「難しい。まあ、時々は頭脳を使わなくてはだな」
「使ってないか。普段」
「使ってませんね」
「良くないねえ」
「ん。では俺から行こう。俺はだな、夜の雲が怖い」
「くも。スパイダーですか」
「いや、クラウドのほうだ。俺は田舎の出身でな。周りは田畑に囲まれているんだ」
「ふむ」
「だから夜になると真っ暗でな、それはそれは。曇っていようと晴れていようと、なにも変わらないんだ」
「え、星は見えるでしょう。月も」
「まあな。でも、雲があると背景の星が見えないからわかる、っていうだけなんだ。ところが大学生になって、都会にやってきて、驚いたよ。夜でも雲が見えるんだな」
「ああ、街の明かりで。見えますね、確かに」
「なんて言うか、ひどく禍々しいものを感じたね。俺は」
「それが怖いと」
「そう。何となく偽物みたいに見えるんだ。うろこ雲みたいになっているともうダメだ。怖い」
「なるほどなあ」
「それだけじゃないぞ。夜に水撒きをしたときのことだ」
「どうしてそんなことするんですか」
「いや、諸事情あって」
「農家だから。おまえのウチは」
「そうそう。でな、強力なライトで畑を照らしてそこにシャワーで水を撒くのだけど、これが光を反射すると虹が見えるんだな。うわあ、怖い。な」
「わからないな」
「なんか、奇麗ですけど。イメージ的には」
「わからんか。人工的な虹なんだぞ。自然を欺いているような、そんな気がしないか」
「うーん」

「もういい。次はおまえだ」
「さあて。そういうもので、なあ」
「なにかありますか」
「そうだな。ちょっと待てよ」
「制限時間は一分だ。罰ゲームは焼酎一気」
「ばか」
「死にますよ」
「もう四五秒しかないぞ」
「ああ、思いついた。心理学だ、心理学」
「ちぇ」
「サイコロジーですか」
「そうそう」
「怖いってなにがだよ」
「いや、本を読んでいると。心理学の」
「ええ」
「例えば、『無意識の働きが行動を支配している』とか、『こういう時に心には隙ができる』とか書いてあるな。そうすると、自分はどうなのかな、俺だったらどうかな、とおもうわけ」
「ははあ」
「で、そういうときは心のプロテクトが外れているというか、なんというか」
「プロテクト」
「そういうときに電話が掛かってきたりするともう。恐っろしくドキッとするわけだ」
「わかりませんねえ」
「わからんねえ」
「心理学というか、心が怖いんだな。得体がしれなくて。記憶なんかとてつもなくいいかげんなんだぞ」
「それはあるな」
「そうそう。たとえば、昔、な。俺がある飲み会に行ったんだよ。で、そこで飲みつぶれた友達を介抱したわけ」
「はい」
「で、そのことを思い出話として、その飲み会に行った別の友達に話したんだ、すると」
「すると、なんだよ」
「その友達がきょとんとしてこう言うわけ。『それはなんかの間違いだろう。おまえはその飲み会には来ていないはずだ』って」
「ああ、それは怖いかもしれない」
「待て待て、俺にはわからんぞ。どういうことだ。記憶違いか。だいたい、どこが怖いんだ」
「しょうがないだろ。本当にぞくっとしたんだよ」
「むむむ。まあ、良しとするか」
「良しとしてくれ」

「次は僕ですね」
「やる気満々だね」
「僕は、日本地図が怖いですね」
「え」
「ニホンチズ。マップオブジャパンか」
「英語で言わなくてもいいでしょう」
「いや、なんとなく、バランス的にな」
「ばか」
「日本地図のどこが怖いかというとですね。おーい。聞いてますか」
「すまん。聞く」
「どこが怖いかというと、地図を見てますね。自分の住んでいる県を見るわけですよ」
「見る」
「その県は、日本の一部なわけです。小さい一部分だと思うと」
「思う」
「でも、その中にはさらに郡があって、町があって、で隣保があるわけです」
「ちょっと待て。隣保ってなんだ」
「そういうのがあったんです。回覧板が回るんですよ。や、そんなことはいいです。とにかく」
「うむ」
「すごい数の隣保があるんですよ」
「隣保はないと思うな。そんなには」
「まぜっかえさないでください。ちょっと隣の駅で降りただけで、行ったことの無い通りが、町が、市が、県があるんです。ましてや日本中となると」
「ははあ。そんな中の一人だと思うわけだな」
「自分が、というか、自分の知っている範囲がですね。もうちっぽけでちっぽけで、哀れで哀れで。怖くなってくるんですよ」
「なるほど」
「インターネットも怖いですねえ。読んだことがない文章がどれくらいあるのかと思うと」
「それは、な」
「RPGなんかで、全部の家を回ったりできると、本当に安心するんですよ。だから」
「何となく、病んでるなあ」
「病んでるねえ」
「そうですか」

「最後は私だね」
「ん」
「私は自分が怖いね」
「こうして夜中に一人でぶつぶつつぶやいている、自分がさ。たった一人なのに。いろんな人格を作ったりして」
「ねえ。怖いと思わないかい。君は」


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