魔術の夜科学の朝

 ある晩、夜中に目が覚めた。時計を見るとまだ午前2時。さっき眠ってからほんの1時間しかたっていない。いかんいかん、明日も早起きしなければならんのだ、八時までに起きてゴミを捨てに行かなければ、たまった生ゴミが台所でエライことになるのだ。おまえの早起きの動機にはそんなものしかないのかと読者であるあなたは思うだろうが、今日の場合はそうなのである。もう一度眠ろうと思うが、布団の中で展転反側していても一向に眠気が訪れない。しかたなく枕元の明かりを灯けると、かたわらに伏せられた本を持ち上げて読み始める。

 だめだ。いつまでたっても眠くならない。私の場合、寝入りばなを起こされると次にまた眠気が押し寄せてくるまでかなり時間がかかるのである。こうしていても眠れそうにないので、仕方なく私は布団から起き上がった。

 テレビをつけてみる。適当にチャンネルを回してみるが、面白そうな番組はやっていない。のそのそとテレビに近寄って、テレビ台の中、普通ならビデオが入っているところにあるゲーム機のスイッチを入れる。

 最近後継機が出てすっかり影の薄くなった「前世代ゲーム機」である。CD-ROMを入れるトレイには、もうかなりの間あるゲームがセットされている。少年が成長しつつ仲間とともに世界の危機を救うという、こんな書き方をすると身もフタも無くなってしまうのだが、そういうストーリーのロールプレイングゲームである。しかも二度目のチャレンジである。チャレンジなどと言ってみても要するにRPGなんぞは誰にでも最後まで進めるようになっているので、一度読んだ本を読み返すのと大差ない。

 しかし、それでも「戦闘」にはある種ミニゲームのような面白さはある。画面の中では、私の操作するパーティと、敵の遊撃隊との間で戦闘が始まっていた。キャラクターの一人が放った業火に包まれて、敵の一群が四散する。強力な炎の渦の、魔法による発現である。考えてみれば、もし、このような魔法が実際に存在していれば、治安も何もあったものではない。ゲームにおける都合の良い魔法が世界の構成要素としてありきたりに存在していたら、この世界はどうなっていただろうか。

 十分に発展した科学は魔法と区別がつかない、というのはクラークの第三法則として知られている。余談だが、これってどこが法則なのか。ただの現象であって、法則の名には値しないのではないか。なあアーサー。どうしてこれが法則なんだよアーサー。そういえば第一と第二法則はあまり聞かないが、そっちは法則になっているのだろうねアーサー。

 話がずれた。とにかく「クラークの第三法則」は、科学が発展すればまさに魔法のようなことができる、というような意味だと思う。ここで考察すべきはまず、魔術が科学の代りになりうるか、ということである。われわれは、魔術と科学を対置して考えることが多いが、もちろんこの二者は相いれないものではない。たとえば唱えれば確実に炎が沸き上がる呪文があったとする。これを研究する人が、魔法使いでも科学者でもいいが、この呪文を研究するとしたら、まず研究すべきは炎の性質である。何が燃えているのか、密閉された空間ではどうか。また、炎の呪文はいつも同じ威力なのか、何らかの触媒によって威力が上下するのか。人によって変わったりするか。術者と対象との間を壁などで隔てた場合はどうか。燃焼後の残存物はあるのかないのか、あるとすればどういう物質か。ちょっと考えただけで、これだけの実験を思いつく。こうした実験を繰り返せば、魔法の性質と応用法を見つけることもできるようになるだろう。というより、よく知られた呪文があれば、こういう実験が誰かによってなされることは必然といっていい。

 物理現象と違って魔法は最終的に根本原因がわからないのではないかと思うが、それを言えば物理現象の根本原因だってわかっているわけではないのである。物質は原子からできている。原子は原子核とそのまわりを回る電子である。原子核は陽子と中性子から出来ていて、これらはクォークからできている。さよう、しかしそれは何故じゃね。われわれは実験によってこういう構造を発見し、それを説明できる理論を求めている。しかし、なぜこういう構造でなければならなかったのか、といえば、そういうものだからとしか答えようがないのである。物理学ではそうした疑問は、いつか答えられることがあるかもしれないが、今は手の付けようのない疑問として置いてあって、現象を研究することに力を注いでいる。たとえ、呪文と炎の間にどうにも説明できないブラックボックスがあったとしても、この呪文を唱えればこの効果がある、という基本的な因果関係がはっきりしているかぎり、研究者は原理の仮説と、応用方法を見つけだすだろう。

 ひとつ、伝統的な魔術と科学との間に違いがあるとすれば、それは知識の分配という理念である。科学者は、基本的に得た知識を無料で全世界に公開している。その知識をもって、さらに深い考察をする人間が出るかもしれないし、多くの人のテストを受けて最終的に間違っていたことがわかればそれはそれで科学を前進させることになるのである。先輩から後輩への、あるいは同時代の科学者同士での知識の分配が無ければここまで科学が発展しえたかどうかは疑問である。
 一方、魔法の世界を描く作品の中には、作中に「魔法大学」のようなものが設定されている世界もあるにはあるが、魔法は一般に限られた大魔法使いの専売特許であり、誰でも望みさえすれば伝授されるものではないようである。注意深く伝授するべき人間を選び、彼が新しい魔法を研究することのないように監視すれば、もしかしたら魔法の発展を押さえることは可能かもしれない。ちょうど全体主義国家の、軍事のみに用いられる科学のように。ゲーム中でキャラクター達が使う呪文の強力さに比して、一般民衆の生活がちっとも楽でなさそうなのは、多分そういうことなのだろう。ともあれ、魔法が多数の人によって研究され、知識が分配され、多くの人々の生活を豊かにするために役立っている世界を考えることはできる。
 結論を言おう。魔術は科学の代りになる。しかし、魔術の研究の手法では、科学の研究の手法の代りにならない。

 幾度もの戦闘の末、気がつけばすでに周辺の敵は一掃されていた。私はパーティを回復ポイントまで連れ帰るとデータセーブを行った。今夜も少しだけ強くなった。わずかな達成感と、やっと訪れた眠気を抱いて、私は眠りについた。

 生ゴミはもちろん、エライことになった。睡眠が四時間で済む魔法が欲しい。


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