火星の気球船

 SFマガジンという雑誌があるのだが、今年の2月号は「39周年記念特大号」と題して、普段の2倍くらいの厚みがあった。値段も一九五〇円と普段に比べて高めになっている。39周年を記念してしまうと、もう40周年にはどうなってしまうかと思うが、ここ何年かのSFマガジンは2月号のたびにこうして「〜周年記念特大号」を発行しているので、いっそ2月号記念特大号とした方がいいような気がする。
 とはいえ、記念日を祝おうという気分は理解できないものではない。年に一度、昔の事を思い出すのは決して無駄なことではないと思う。あちこちのページで一周年記念企画がある心情も分かる。ただ困ったことに、「大西科学」については開設日がはっきりしない。'98年の5月くらいだと思うのだが、確かな日付がわからないのである。当時のファイルはすべて上書きによって更新日時のデータが消失しており、取り戻すすべはない。私の一周年記念企画は早くも不発に終わってしまった。ああ。

 ええい、まあ、一周年などいつでもよい。だいたい過去にこだわっていてはいかん。未来を見つめよう。未来だ未来。過去を振り返ってはならない。次の目標にむけて進まねばならないからだと、「逆境ナイン」で島本和彦も言っている。

 悔しいので、どんと景気よく百周年という話をしよう。NASAが面白い企画を立てている。2003年、ライト兄弟による航空機初飛行百年に、火星を飛ぶ航空機を送り込み、航空機からの火星表面の観測を行うというのである。火星には薄いながら大気があり、実のところ空力的な力(揚力)を利用した航空機を飛行させることは容易ではないが可能である。ただ、最終的な目的、空中からの地上探査というミッションを達成するには、飛行機自体の自動コントロールもさることながら、着陸船からの、なにか非常にうまい射出方法を考えなければならないだろう。なにしろ火星には飛行場などないのである。ラジコンも、自動車のそれにくらべて、飛行機は非常に熟練を要して、慣れないとすぐ地上に墜落してバラバラになってしまう。NASAには悪いのだが、火星への行程で探査機との通信が途絶したり、地上をゆっくり移動する探査車両が岩にぶつかって動かなくなったりしているようではダメである。そこで考えたのだが、あるいは、気球を持ち込むというのが現実的アイデアではないだろうか。

 この「大西科学」の一コーナー、「取り扱い商品の案内」に、ジェットエンジンの噴射を利用したノートパソコンの重量軽減機能付きバッグというのがある。バッグをホバリングさせて、重いノートパソコンを楽々運ぼうというのである。もちろんこれは冗談であって、本当にこんなものができると思っているわけではないが、実はこれは原案ではノートパソコンの重量を気球によって軽減するシステムだった。中に入れるガスは、ガスボンベを持ち運んでもいいし、小型バーナーを使ってもいい。あとは折り畳み式の気嚢を加えれば、実現の可能性は十分である(そして、それが「商品」としては没にした理由でもある)。いったいどのくらいの大きさの気球が必要になるのか、ちょっと計算してみよう。

 まず、気球には軽気球と熱気球の二種類がある。余談だが、気球という言葉は、もともと軽気・球と熱気・球という言葉があったのを、間違って軽・気球だととられて、それが定着してしまった言葉なのだそうである。気球という言葉はなく、「軽気」や「熱気」が詰まった球だったのだ。さて、軽気球は軽気、つまり空気より軽い気体である水素かヘリウムが使われ、熱気球は、空気をバーナーの炎で熱して膨張させたものが中に詰まっている。この中では、水素が詰まっている気球が一番効率がよく、同じ大きさの気球で重いものを持ち上げることが可能である。しかし、ヒンデンブルク号がどうなったかを見ればこの方式になにか信用できないところがあるのは明らかだし、水素にせよ、ヘリウムにせよ、一度気嚢から漏れ出してしまうと補給が難しいので、現在の気球はほとんど熱気球か、ヘリウムと熱気球を組み合わせたものになっているらしい。しかし、どうせ空想なので、ここでは安全性など度外視して、とりあえず水素気球について考えることにしよう。水素ならそのへんの水を電気分解すれば手に入るので、電源以外の補給品がいらないという利点もある。

 軽気球が押しのける空気の重さは、一気圧、摂氏零度のとき、窒素八十パーセント、酸素二十パーセントの混合気体だから、22.4リットルにつき、窒素0.8モル、酸素0.2モルで、25.6グラム。つまり、一リットルあたり1.1グラム。同様に一気圧の水素は22.4リットルにつき2グラムだから、一リットルで0.089グラム。結局、一リットルの容量を持つ水素軽気球は、約1グラムの浮力を持つことになる。意外に浮力があるものである。ノートパソコンや気球自体の重量を五キロ打ち消すためには、五千リットルの気球を作ればよいのだ。五千リットルというと、直径約二メートルの気球になる。これを電車に持ち込むと大人一人分の割り増し料金を取られてしまうが、なに、電車に乗る時は畳めばよいのであって、これで町を闊歩するのには何の不都合もない。なお、これだけの水素を作り出すには、7.5リットルの水を電気分解する必要がある。気球展開時は装置を水道管に直結する必要がありそうである。

 では火星ではどうか。火星の大気圧は火星表面で6ヘクトパスカル。地球の0.6パーセントである。気温は摂氏マイナス二〇度くらい。95パーセントが二酸化炭素で、残りを窒素とアルゴンが占めている。計算を省略するが、火星の大気の質量は、1リットル当たり13ミリグラムということになる。ただし、火星の重力は地球の38パーセントしかないので、重量では5.2ミリグラムになる。地球の二百分の一。なんか無理そうな気がする。
 めげずに計算を続けよう。同じ水素の気球でもこの気圧では大きく膨らむので、一リットルあたり0.5ミリグラムで済む(重量だと0.2ミリグラム)。だから、火星の気球は、一リットルあたり12ミリグラム(質量)の浮力を持つ。地球上で五キログラムの気球を組み立てたとして、その自重を支える気球は、420立方メートルの容量がなければならないということである。球にすると直径十メートルくらいになる。

 どうだろうか。可能性があるような気がしないだろうか。火星の表面には風も吹いているし、十分な強度を持った直径十メートルの気球を5キログラム以内で作るのは難しいだろうが、ここはひとつ気前良く直径二十メートルにすれば四〇キログラムを支持できる。もちろん、計画を気球にしてしまうと、航空機百周年というカッコいい企画はパアになるわけであるが、操縦を誤っても墜落しないという利点はそれを補ってあまりあると思う。ちなみに、1783年のモンゴルフィエの気球初飛行から数えると、ええと、220年目である。かなり中途半端だが、ええい、だからそんなことどうでもよいのだ。ガタガタ言うようであれば、NASAに「逆境ナイン」を送り付けてやるのがよかろう。君も読め。


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