八十九はアクチニウム

 水兵、というのは海軍の兵隊のことである。通常海軍の船舶に勤務し、操艦や各種兵器の運用の任務につく。ところで、日本で一番有名な水兵といえば、杉野孫七上等兵曹(杉野よいずこ)でもポパイでもなく、リーベではないだろうか。

 というわけで、元素に関する話題である。「水兵リーベ」から始まる元素の周期律表を、もはやどうでもいいのに覚えている人は多いことだろう。平家物語の書き出しや、10までの整数の平方根と同様、どうも高校で暗記しなければならないことになっているようなので、原子番号20番くらいまではだれでも覚えていることと思う。ここに書いてもしようがないが、水素ヘリウムリチウムベリリウムホウ素炭素窒素画素酸素フッ素ネオンナトリウムシンジビウムマグネシウムアルミニウムパンデモニウムケイ素リン塩素アルゴンドゴンサイゴンカリウムカルシウムタイガーバウム、である。タイガーバウムは目元に塗ると後悔する。
 私に関して言えば、専門職についていながら情けないことだが、五四番のキセノンまではやっとこさ覚えたもののあと一列というところで挫折してしまった。これは法学部出身だと日本国憲法を暗唱できないとか、生物学専攻ならアミノ酸の遺伝コドン表を覚えていないくらい恥ずかしいことである。つまり、まあ、実のところそんなに恥ではなくて、重要なところだけをちょこちょこ覚えておいて、必要なときは教科書を参照すればいいのである。であるったら。

 さて、表を参照すればいいといっても、一番下、アクチノイド(89番から103番の元素)が表から取り出されて並んでいるところから先は、大抵の周期律表で空白になっている。あなたの教科書の周期律表も、103番、ローレンシウム(Lr)でおしまいということになっているのではないだろうか。もちろん、この先にはもう元素がないなどということはなく、不安定とはいえ、ちゃんと存在しているのだが、省略されていることが多い。どうも、表のアクチノイドのところまで埋めて、それ以降を切り開く意欲を失ってしまったように見える。

 とはいえ、もちろん新しい元素を発見すれば名前が残るので、そうした新元素発見への努力はやや過剰なまでに精力的に行われている。こういう元素は、現在はなにか重い元素同士をぶっつけて作る。加速器で加速した原子核を他の原子核に当てて、偶然重い元素ができたらそれをより分けて観測する。自然界に存在しない元素はだいたいそうして作られたものである。こうして作られた元素は、元素の発見が他の元素から単体をより分けることを意味した過去の「新元素発見」とは明らかに違う過程なのだが、それでも発見として扱われている。ただ、面白い規定があって、こうして加速器でできるのは原子の中心部、原子核だけなのだが、その周囲に電子が規定数くっついて、ちゃんと原子の形をとって初めて新元素を発見した、という扱いになるのだそうである。ちょうどいいたとえを思いつかないが、CDだけでは商品でなく、ケースやライナーノーツが入って初めて完全なコレクションと見なされる、というようなことだろうか。本質的にはCDさえあればいいのだが。

 では、104番以降の元素の名前を見てゆこう。まず、104番元素だ。ラザフォルジウム(Rf)、クルチャトビウムという名前が、それぞれの国の物理学者を記念して、アメリカとロシアから提唱されていた。今はラザフォルジウムということで落ち着いている、と思う。少し前までは、間をとったわけではないが、過渡的にウンニルクアジウム(Unq)という名前が一応決められていた。ウンニルクアディ、とはまた何とも言えない名前だが、104ということである。104ウムという名前を付けておけば間違いない、ということらしい。

 105番は、デュブニウム(Db)という名前になっている。ハーンニウム(Ha)という案もあったが、こちらは却下されたようだ。または、ウンニルペンチウム(Unp)だ。

 106番は、シーボーギウム(Sg)。これはアメリカの物理学者の名前である。シーボーグはある研究所の所長で、そこでシーボーギウムTシャツをもらってきて着ている友人を見たことがある。この名前を認めさせようとする運動をやっていたとのこと。しかし「まだ生きている人の名前はダメ」と言われたと聞いたのだが、結局正式に認められたのだろうか。106と読むと、ウンニルヘキシウム(Unh)。

 107番は、ボーアニウム(Bh)。ボーアは、量子力学をつくった有名な物理学者だ。名前が短くて座りがわるいとして、ニールスボーアニウムと書いてある文献もあった。107ウムは、ウンニルセプチウム(Uns)。

 108番は、ハッシウム(Hs)という名前である。これは109番と110番元素を作った研究所があるドイツの州の名前である。サイタミウムみたいなものだろうか。Hsと聞いてすぐヘンシェルと読んでしまう私は、いらない知識がありすぎる。しかし、ウンニルオクチウム(Uno)と書くとウノと読んでしまう私は、普通の人である。

 109番はマイトナリウム(Mt)。マイトナーさんを記念して、である。109を訳すと、ウンニルエンニウム(Une)になる。

 さてここからは、特に名前が提唱されていない元素になる。110番はウンウンニリウム(Uun)。つまりイチイチゼロということなのだろう。だから、111番になると、なんとウンウンウンニウム(Uuu)というとてつもない名前になる。カタカナで書くとクラクラしそうな名前である。112番のウンウンビウム(Uub)もそうだが、なんだか唸っているようでもある。はやく名前を決めて欲しい。

 最近、114番元素が発見された、という報が入ってきた。113番元素はまだ見つかっていないから、112から一つ飛ばしての発見ということになる。名前は、ウンウンクアジウム(Uuq)ということになるのだろう。ただ、聞くところによれば、まだ検出器にたった一個入ってきただけとのことで、客観的に見てそれは発見したことになるのかどうかわからない。一個でも発見は発見じゃないか、と思われるかも知れないが、だれも直接見たわけではなく、その114番元素が崩壊してゆく過程を追跡した、もとは114番だったはずだ、というような根拠であるから、あやふやなのである。ちょっとフライングぎみの発表であるという気はする。

 さて、以前ちょっと書いたことがあるが、いよいよここから先は、準安定の元素が存在するのではないかという領域に入る。「安定性の島」と呼ばれる、今まで知られている領域からは外れたところに、中性子数、陽子数の安定条件があって、そこではかなり長い寿命を持つ元素が存在する可能性があるというのである。よくわからないが、以前牛丼の時に書いた「アイランドマテリアル」というやつだ(この名前は私がでっち上げたものだが)。
 ある程度(数万年から、ひょっとしたら数百万年の半減期で)安定で、金属を作れるくらいに量産できれば、これは実際いろいろと有用な性質を持っているはずである。たとえば、大砲の砲弾は、密度が高ければ高いほど運動量による破壊力は増すので、鉛の代りに劣化ウラン(ウラン238)を使った砲弾があったりする。これが湾岸戦争の時に使われたという話を聞いたことのあるかたがあると思う。安価にアイランドマテリアルが生産できるようになれば、これがアイランドマテリアル砲弾にとって代わられるのは確実である。もちろん、鉄ゲタならぬ鉛ゲタならぬ劣化ウランゲタならぬアイランドマテリアルゲタを作って体を鍛えるのもいいだろう。

 将来ジャパニウムないしニッポニウムが登場する可能性はあるだろうか。この「安定性の島」内部の元素に名前がつけば、100年後かひょっとして50年後に、工業的に利用されるメジャーな元素になる可能性が残っているわけであって、ほとんどただのペナントとしての意味しかない104から109番元素よりもよほど嬉しいことになる。最近の命名方法は特に発見者の名前をつけるということになっていないので、全くの運でしかないが、期待は持てる。21世紀は明るい。


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