子供というのは妙なもので、ごくつまらない物に価値を見いだして、宝物のようにコレクションすることがある。トレーディングカードと名前のついたコレクション用カードや、ある種のシール、バックアップメモリ上のフラグのビットに過ぎないゲーム中の獲得品などは、今の私から見ると多少不健康な気がしないではないが、私の小学校で昔流行っていた「ベッタン」と比較して、どれほどの差異があるわけでもない。違っているとすれば、「ベッタン」の場合、その本質が戦闘を行うべき一種の「兵器」であり、負けたものは自分の「ベッタン」を取られる、つまり勝敗が確実に戦力の多寡に結びつくという、賭事の性質を帯びていたことだろう。この性質ばかりは、いかにも二十年前にふさわしく、今の風潮ではとうて許容されそうにないダークなルールであり、教師がそれを知っていながら止めなかったというのも、無分別というか、称賛されるべき勇気というか難しいところがある。
「ベッタン」というのは、私たちの地方で使われていた言葉で、メンコのことである。他の地方ではまた別の呼び方をしていたことだろう。なんといっても、同じ町の、別の小学校に行った人間はもう別の言い方をしている(という情報を以前ある方からいただいた。ある方ってことはないですね。キースさんです)。ややこしいことにその地区での呼び名は「ペッタン」である。あなたの環境で、この違いが、わかるだろうか。ベッタン、ペッタン。bettanとpettanである。
ルールを記しておこう。ベッタンは、各自数枚の厚紙のカードを持ち寄った状態から始まる。勝負を行う盤面は均した土の上か、床の上であるが、全く凹凸がないという状態よりも、すこしでこぼこを残してあるほうが戦略に幅が出る。何らかの方法で順番を決めたのち、一人が地面に自分の「ベッタン」を置く。次の順番の人間は、そのベッタンに対して自分のベッタンを用いて攻撃を行う。勝利条件は二つ。一つは相手のベッタンを、自分のベッタンをたたきつけた勢いで半回転させること、もう一つは、相手のベッタンと地面の間に自分のベッタンをもぐり込ませることである。このようにして敗北したベッタンは、攻撃者の所有物として奪い去られることになる。攻撃が失敗すると攻守交代、自分のベッタンを地面から回収した相手によって、自分のベッタンを取られる危機になる。こうして、どちらか一方のベッタンがなくなるか、どちらかが音をあげるまで勝負は続くことになる。
誰がこの基本ルールを制定したのかわからないが、よく出来ている。負けたものは自分の手駒を失うというハードボイルドさだけでなく、二通りの勝利条件があることによって、必ずしも大きな風圧を発生でき、また重量がある大型のベッタンに極端に有利ということはなくなっているのである。大きいと、それだけ地面に密着することが難しくなり、ベッタンと地面の間に隙ができる。小兵でも巨象を倒すことができるのだ。
その小学校の一時期、ベッタンに関して、私たち兄弟は、ある種の帝国を築き上げていた。私たち兄弟、と書いたが、実のところ、私はこの流行に関して完全な傍観者であった。どうにもコツがつかめず、他人に取り上げられる一方になった戦いになんの興味も見いだせなくなってしまったからである。しかし、だからこそ、局外者としてこの戦いの行方、この流行の一部始終を利害なしに見つめ、記すことができたと言ってもいいだろう。
私の二人の弟は、ハンターだった。圧倒的な戦力を誇る帝国の使徒だった。刈るべき草狩り場である彼らのクラスメートから、容赦なく戦利品を巻き上げる蛮族の戦士達だった。おそらく弟達は自分の小遣いを、商店で販売しているベッタンに費やしたことはほとんどない。彼らの帝国、それはみかん箱に数杯にものぼるベッタンの山であったが、それらは全て善良な一般市民から巻き上げた富だった。
むろん、他のクラスメート達とて、狩られる草食動物のようにただ自分の小遣いの化身が消えてゆくのを見守っていたわけではない。私の弟達に対抗するために可能なかぎりの手を用いていた。訓練による技術の向上、数枚のベッタンを接着剤で貼りあわせ、重量を増した新兵器。さらには仲間と徒党を組んでの帝国への総攻撃。しかし、それらも圧倒的な弟達のスキルの前にあっけなく敗れ去っていたようだ。訓練による技術の向上ということで言えば、同じ努力を弟達も行うことができた。新兵器は、局所的には勝利を治める役に立ったが、ちょっとしたミスで取り上げられてしまえば、二度と手元には戻ってこず、のみならず戦利品に数倍する損害を自らにもたらすこととなった。最後の作戦に関してはなにをか言わんであった。彼らの結びつきは、どう見ても取りにくい位置に打ち込まれる弟達のベッタンに比べて、はるかに取りやすく見える仲間のベッタンを取り合うことによって、彼ら自身の内から崩壊してゆくことになったからだった。
「最近、戦利品の量が減っているな」
帝国の中心地、帝都の帝国軍司令部では、近隣に武名とどろく二人の将軍による作戦が練られていた。
「はい。戦績においてはなんら陰りは見られません。依然としてわが軍は、不敗を誇っております」
「うむ。にもかかわらず、わが帝国の資産の増加量は鈍る一方だ。なぜだ」
手をさっと上げ、かかとを鳴らして敬礼した将軍は、言った。
「はっ、それは、彼らが我々との戦闘を忌避し始めたからではないかと愚考いたします」
年長の将軍はそれをきいて、深く頷く。
「よろしい。私も同意見だ。まことに笑止なことに、彼ら、羊どもは、我が軍が接近すると互いの戦闘をやめ、撤退をするそうではないか。いや、まことに愚劣なことに『ウソ気』でやろうなどと持ちかけてくるものさえある。まったく、敗北を恐れ、勝負の醍醐味を自ら捨て去るとは、戦士の風上にも置けぬやつらよ」
「しかし、このままでは我が帝国の財政は年々悪化するばかりであります」
将軍は、にやりと笑った。
「案ずるな。私には策がある。策があるのだよ…。耳を貸したまえ」
「はっ。はい。えっ、いやしかしそれは。…わかりました」
「この作戦を、以後『トロイ作戦』と呼称する。発動は明日午後三時」
「おい、おまえら、あんまりやり過ぎるなよ」
と、寝ころんで弟達の会話を聞いていた私は、言った。
次の晩、帝都は新たな戦利品に沸き返っていた。「トロイ作戦」は予定通り進捗し、大きな勝利に結びついたらしい。
「勝利、大勝利、まさに大勝利であります」
「うむ。まさに我らの英知がもたらした勝利だと言えよう。中でも見よ、これなど実に美しい」
「はっ。良いものなのでありますか」
戦利品を並び替えたり、別の方法で分類したりして楽しんでいる。それを見ていた私は言った。
「何をしたんだ」
「えっ、何って」
素に戻った将軍、私の弟が言う。
「何をやった」
「いや、別に」
「誤魔化すな。なにかひどいことをしたのではないだろうな」
怖い顔でにらんでやる。私と年長の弟は二つしか違わないのだが、この年ごろの二歳の差というのは決定的だった。
「ええと、その…」
弟達から聞きだした話を総合するとこういうことになる。弟達は、まず開かれている賭場に接近する方法を考えた。普通に近づいていったのでは彼らを仲間に入れるグループはない。そこで、まず年下の弟、やや組みやすいとされている弟を先兵として向かわせ、グループに侵入した。何度か戦いを繰り返し、勝敗が拮抗してきたところで、影に隠れていた年長の弟が現れ、その場を掌握、場に出ているベッタンを巻き上げた。既に年下の弟から何枚か奪うことに成功している彼らは、年長の弟の参加を拒めなかった。
「全く、ろくでもないことを考えるものだ」
弟達は半泣きになりながら私を見ている。取り上げられるのではないかと思っているらしい。私は、ふっと、気を抜くと、言った。
「ま、それもよし。でも、今度はそんな手、使えないぞ。ま、間を置いてやるんだな。ぼちぼちと」
彼ら二人が第二次トロイ作戦を実行したかどうか、私は知らない。そもそも、ベッタンの夏は終わりに近づこうとしていた。次なる流行、ビー玉がすぐそこまで迫っていたからだ。熱が冷めてしまえば、ベッタンなど、わけのわからない絵が書いてある厚紙でしかない。
しかし、それでもなお、幾人もの血と汗と涙の上に築かれた彼らの帝国は、まだ私の生家のどこかに眠っているはずである。その箱は、近所の少年たちの怨念で、赤く染まっているかも知れない。