または如何にして私はナイフを愛するのをやめたか

 私が小学校5年生の時、ある大きな事件があった。どこかの小学生が、友人をナイフで傷つけたのである。地域こそ遠く離れてはいるが、確か同学年の小学生の少年が、同じ小学校の女子を殺害したとか、大怪我を負わしたとかいう事件だったらしい。凶器に使われたのは鉛筆削りに使う非常に小さいナイフであった。このようなカッターナイフでも「刃渡り」というのかどうか知らないが、刃の長さは一センチくらい。本来鉛筆削りか封筒の封を切るくらいしか使いみちのない道具である。なぜ年代など細かいことまでしっかりと覚えているのかというと、当時、班の仲間と書いて交換する交換日記なるものが教育の一環として存在したのだが、その日記にこの事件について印象のようなことを書いた記憶があるからだ。その中で、なによりも強く印象に残ったこととして私が記しているのは、同じカッターを私も実際に鉛筆を削るために使っていたことだった。

 その日記の内容はよく覚えている。この刃物を持って友人を傷つけた者がいるというのに、私ときたらこの手元にあるこのカッターの写生などをやっていた。やけに精密な実物大のナイフの絵(その姿かたちは、もはや「ナイフ」という言葉に値しないほど、のほほんとしたデザインではあったが)と、コメントが添えられていた。「ニュースによると、このナイフで同級生を傷つけた子がいたという。こんなナイフでどうやったのだろうか。気になる」これでは全くの雑文的視点であって、しかも真剣さに欠ける。私の自我が救われているのは、これに先生がつけたコメントがどんなだったか思い出せないということだろう。

 もちろん、長さ一センチの刃物でも、人を傷つけることはできるのだ。それどころか、刃物なんていらない。金属や石の小片があれば、訓練さえすれば簡単に人を殺すことのできる凶器となる。言い換えれば、人間に与えられた知恵と力は、他を傷つけることに使われた場合、決して防ぐことが容易ではない純粋な力となりうるのだ。私が知っている周りの人、親でも友人でも先生でもいいが、彼/彼女らが自分の肉体と精神をそのように使おうと夢にも思わない、それだけの危ういバランスでもって小学生の私(そして他の全ての人々)は存在を続けられていたと、考えることも出来るのだった。もちろん、このような視点を持たなかったからと言って、小学生の私を責めることはできないが。

 しかし、私はこのナイフになにかしら心引かれるものがあったようだ。最近の、バタフライナイフを持ち歩いていたというある種の少年たちを本質的に異質なものとして排除できない、または共感を示してしまうその意識の萌芽を、確かにその頃の私は持っていた。確かに、その小さなカッターナイフは身を守るための武器ではなかった。なにしろ筆圧が高くて粗忽な質なものだからしょっちゅう訪れる、手持ちの削った鉛筆が無くなるという事態に備えるという意味しかなかった、と思う。喧嘩の時などに、筆箱の中にはいつもそのナイフが存在しているということを意識したことはなかったし、実際に鉛筆や封筒以外のものにむけてその刃が使用されたこともなかったからだ。しかし、カッターナイフの持つ潜在的な凶器としての可能性に、私が気づいていなかったわけでもない。

 中学生になって、しかしまだシャープペンシルでなく鉛筆を使っていた私は、必要からナイフをいつも携帯していたのだが、その種類が刃が短く薄いカッターナイフではなく、肥後守になっていた。ご存知だろうか、肥後守。刃渡り5センチほどになるのだろうか。鉄製の折畳みナイフである。私くらいか、それよりも上の年代の人のエッセイに、学校の机に彫刻をする道具としてよく登場する。実のところ、鉛筆を削る用途には、カッターナイフでも十分なのだが、このナイフの頼もしさと言ったらなかった。私は、肥後守と小さいのこぎりがあれば竹から竹とんぼを作ることができて、実際勝手に竹を切りだしてきては竹とんぼ作りに熱中したことがあった。そういう工具としての頼もしさが、カッターとは大違いなのである。

 だものでナイフを頼もしい相棒として携帯していた私だが、あるとき、またも日本のどこかの中学校で、隠し持っていたナイフで友人を刺殺したという事件が発生した。私の通っていた中学校は、熟考の上か、それとも短絡的な思考でか、とにかく持ち物検査に踏み切った。

「あー。みなさんも知っていると思うが、群馬の中学校で、中学生が友人をナイフで刺すという事件が、あー、あった」
 なんというか、ある種の動物を思わせる、ゆったりとした口調で、担任の先生が言った。ホームルームの時間である。
「みなさんの中にも、あー、その、ポケットの中などに、刃物を持ち歩いているようなことはないと思うが、あー、その、職員会議で決まったので、持ち物検査を、あー、する」
 ええー、やめてくれよ、という叫び声は、上がらなかったように思う。この「持ち物検査」は深く考えると人権の観点から見てかなりの問題があるのではないかと思うのだが、絶対反対の態度を貫くような生徒はいなかったのだろうか。私たちは、言うなれば何にも慣れていない純朴な田舎の生徒であり、また、担任に見られると困るようなものを持ち歩く習慣を、結局我々は持っていなかったのだろう。
「それでは、あー、ポケットの中のものを机の上に、出してください」
 だいたい、この時には、鞄の中を開けて見せろとか、机の中のものを出してきて並べろとか、そこまでは言われなかったように思う。つまり、あくまで形式的なものであって、ポケットの中にナイフなど入れている生徒がいないように、というお達しが来たのでやっているのです、ということなのだ。

 私は学生服のポケットを探った。実はその頃、私の上着の中には、実にいろいろな物が入っていた。「へへん。ハサミがご入り用かね。私が持っているよ」とか「ほほう、ボタンが取れたかね。ところで私はソーイングセットを持っているが、必要かね」といったシチュエーションに憧れている私は、そういうメンタリティを反映して常にポケットや鞄を雑多な道具で膨らませていたのだった。要するに、宇宙戦艦ヤマトの「真田さん」の、「こういうこともあろうかと開発していた」新兵器というのにひどく憧れていたのである。

 ポケット判国語辞典。ボールペン。シャープペンシルの芯。砂消しゴム。小さなハサミ。コンパス(方位磁針のほう)、タッピングビス数本。プラスのドライバー。肥後守。十二面体さいころ。セロハンテープ巻。救急絆創膏。
 担任が、生徒の持ち物をひとりひとり確認しながら私のところにやってきた。そして、私の机の上に並べられたこれらの品物を見た先生は、明らかに嫌な顔をした。
「きみなあ」
 私の顔をじっとみる、担任の先生。
「…あのその」
「…」
「これはその、鉛筆削り用でして」
「…あー、まあ、よろしい」
 きっとなにか文句を言われる、もしかして一つ二つ取り上げられるものがある、と思っていた私は、拍子抜けをした。もちろん私が凶器として使おうなどと夢にも思っていないことを承知しているということなのであろうが、生徒がポケットに入れて持ち歩いているナイフを取り上げないで、持ち物検査の意味なんかどこにあるのだろうか。

 つまり、まったくおとがめは無く終わったわけだが、それでも、その後私は刃物を持ち歩く癖だけはやめた。依然ナイフは筆箱の中に入れて持ってはいたが、ポケットに入れて持ち歩かなくなったのである。問題にならなかったことで、生徒のほうがかえって心配になってしまうくらい、おおらかな態度の担任の先生だったということなのだろう。しかし、今になってみると、私の性癖を容認した担任の先生に、感謝すべきかどうかわからないところがある。それから十五年あまり、私は今もなお、刃物こそ入っていないが、雑多な品物でポケットを膨らませつつ、街を歩いているのだった。


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