(前回までのあらすじ)
大西は、高校二年生の化学部員。秋の文化祭の出展へ向けて準備を行っていた彼ら化学部は、ひょんなことから話題の高温超伝導物質の制作に手を染めることになる。細かいところはともかく、それらしい黒い円盤ができ上がるが、超伝導になっているかどうかをどうやって確かめたらいいのかに悩む彼らであった。
結局、途方に暮れるうちに日も暮れたその日だったが、その日に関して言うと、実は液体窒素が用意されていなかったので、超伝導になっているかどうかを確かめようにもどうにもならなかったのである。私たちは簡単な打ち合わせの後、解散した。さて、次の日。先生から大げさな魔法瓶に入った液体窒素を受け取った我々は、またも部室に集合した。部外者、文字通り部外者の数は、昨日よりもさらに多い。
「ともかく冷やしてみよう」
我々は、その超伝導体をプラスチックのトレイ(確か、刺し身が盛られていたスーパーのトレイではなかったかと思う)に置くと、液体窒素を注いだ。もうもうと上がる白煙に、ひとしきり「近づくな、近づくと爺さんになってしまうぞ」だの「私は、いま、零下三十度の巨大冷蔵庫の中にいます」だのといったネタの披露が行われたのち、やっと液体窒素の中であぶくを出し続けている超伝導体そのものへと話がたどり着いた。
「さあ、超伝導だ。いまや超伝導中。だよな、部長」
だから、それを確かめるのである。
「あー、諸君、それなんだが、諸君の知恵を拝借したい。これが抵抗率ゼロになっていることを、どうやって確認したらいいと思う」
と、私はみなに問い掛けた。返事はない。やがて、観衆の一人が、言った。
「テスターで測る」
「それは昨日オレが言ったギャグだ」
「それは悪かった」
「いや、まあ、測ってみるか」
と、私が言う。
「え、そうなのか」
「ま、ゼロであるかどうかの確認に、な」
後で知ったのだが、本当はちょっと複雑にブリッジした電子回路を作ることで、抵抗がゼロかどうかは確認することができるのである。しかし、テスターで見て抵抗値が0になっていないようではともかくも話にならない。私は、いつも使っている古ぼけたテスターを取り出すと、液体窒素の中で揺れている超伝導体の両端に測定子の先を当ててみた。
「何オームだ、見てくれ、副部長」
「あいよ」
トレイに注がれた液体窒素は、とにかく常時沸騰している状態にある。そのあぶくにあおられる超伝導体を押さえつけるのはなかなか難しい。副部長は、しばらくかちかちとテスターをいじっていたかと思うと、言った。
「ええと、3.5メガオームだな」
「3.5メガ、だって」
「超伝導になってはいないではないか」
「ざわざわ」
「失敗、失敗ですかな」
「ざわざわ」
「やはり大西には無理だったんじゃないのか」
「ざわざわ」
私は、周りで見ながら、アニメのその他大勢風の細切れな感想というか、あからさまに「ざわざわ」と言っている野次馬をにらんでうなずき、
「やはり、この方法では、超伝導を確かめるのは無理なのかもしれん」
と、言った。
本当のところ「この方法では無理」というのは、ただの苦し紛れでもなかった。たとえば、表面が通常物質で、内部だけが超伝導という状態を考えてみよう。ドラ焼きのアンコのところだけが超伝導状態である。その場合は、外からいくらテスターで計っても、外側の皮のところの抵抗だけが測定されることになる。薄皮一枚残して超伝導になっていても、外からはわからないのだ。
液体窒素を使ったテストの日は、用意が整っていなくてできなかったのだが、超伝導になっているかどうかには、他の調べ方があるのだった。「マイスナー効果」である。
説明しよう。超伝導になっている物質に磁場をかけると、物質中に、かけられた磁場を打ち消す向きの磁場を作るような電流が流れる。これは「エディ・カレント(渦電流)」と言って、普通の金属でも起こる。ただ、超伝導物質の場合は流れはじめたこのエディカレントを止めるはずの電気抵抗がないため、中の電流は流れっぱなしになるのである。するとどうなるかというと、超伝導物質に磁場をかけるとその反対向きで同じ強さの磁石になり、磁場が超伝導物質内に入れないのである。
……とまあ、そういうことだと理解しているのだが、違っていたら申し訳ない。現象的には「磁石を持ってきて、その上に超伝導物質を置く。超伝導になっていたら、それは浮く」ということである。
日程と、そうそう簡単には液体窒素が手に入らないという理由から、磁石を用いた実験は文化祭当日に持ち越されることになった。強力な磁石を物理準備室から拝借した私達は、文化祭の日を待った。
「こっちの飾り付けはこれでいいだろうか」
「あー、適当でいいんじゃないか。そんなとこ誰も見ないって」
文化祭当日、朝早く集合した私達は、最後の準備に取り掛かっていた。空き教室の一つを展示室として割り当てられた化学部は、今まさに展示室の最後の飾り付けを終えようとしていた。黒板には「化学部特別展示・超電導物質」の文字も麗々しく、夏の水質検査の結果は良くも悪くも模造紙にまとめられて貼り付けられ、ヨウカンは多少由来が気になるアルミのバットに山盛りになっている。
「火山は完成したぞ、部長。あとは実際に点火するだけだ」
やがて、副部長と彼のチームが、裏庭から帰ってきて言った。では、取りあえずの展示準備は完了である。私は、ほっと息を抜くと、
「よし、私がその火山を名づけてやろう。われわれの担任教師の名前を取って『山本山』というのはどうだ」
と、以前から考えていた名前を言った。対案が無かったにも関わらず、これが即時否決されたという事実が、私の化学部に対するリーダーシップについての何事かを語っていると思う。
さて、まだ展示開始には早いが、液体窒素も新しく手に入った事だし、いよいよマイスナー効果を確認しようではないか、ということになったのは自然の流れだった。例のトレーに磁石を置き、その上に超伝導物質を置く。私は、超伝導物質を磁石の上から流しだしてしまわないよう、慎重に魔法瓶から液体窒素を注いだ。もうもうと蒸気が上がる。
「浮いてくれよ」
との、神を信じない者の願いは、どこに届けられればよかったのだろう。やがて煙が収まったトレイの中には、強力な磁場などどこ吹く風とばかりに、黒い円盤が、重力の命じるまま、容器の底に張り付いていた。
「どうも」顔を上げた私は、部員を見回して言った。「失敗らしい」
さすがに、意気消沈したことは否めない。が、ともかく文化祭は始まってしまった。私は展示室で来客の相手をはじめた。部員のあるものは私とともに残り、あるものは他の展示を見に出かけてゆく。
「あ、ども、化学部ですか」
最初の客が展示室に入ってきた。
「そうです」
私はすばやく椅子から立ち上がると、言った。襟章を見ると、どうやら一年生のようだ。
「ええと、超伝導物質を見に来ました。どこですか」
なんとも間の悪い男である。
「今朝まで超伝導物質だったものなら、あります。これです」
ひとしきり、液体窒素の底で泡を発し続ける円盤をつまらなそうに見て、その後輩は、ふと黒板を見ると、こう言った。
「あ、超伝導の伝の字が間違っていますよ」
「えっ、どこが」
「これ、超『伝』導が正しいんです。電気の電じゃなくて、伝えるです」
いったい、その時の気持ちをどう表現すればいいのか、私には分からない。いろいろなものが私の中ではじけたような気がした。ここまでの労力への徒労感、どうしようもない無力感、高校生らしい、そしてさっき挫かれたばかりの、気負い。
「ほう」
「いや、その、僕も電気の電の方が意味的には正しいと思うんですよ、でも伝えるで訳語を統一することに、あ、いやその、怒ってらっしゃいますか、怒ってらっしゃいますか。あ、すすみません、どっちでもいいんですけどね、その。さよなら。」
その後輩は、私の表情から、なにを感じ取ったのだろう。そそくさと部屋を出ていった。私は、ゆっくりと黒板消しを手に取ると、黒板の文字を「伝」に書き換えた。部屋にいた部員が私のことを見ている。私は続けて、書き直された「超伝導物質」の文字の下に、小さくこう書いた。
「(1/1模型)」
「他の部の展示はどうだった」
夕方。長かったような、短かったような文化祭もいよいよあと十数分で終わろうとするころ。道ゆく人に、液体窒素に雑草を突っ込んで凍らして見せながら、私は見学から帰ってきた部員に聞いた。私はほぼ一日中、来客の相手をしていたので、他の展示を知らないのだった。そういえば、山本山(私の中ではそういう名前だった)がどのような噴煙を上げたのかも、ついに見ずじまいに終わってしまった。
「物理部は、まあ十年一日のごとしだった。電子回路の展示で、なにやらマジックで引いた線を辿って歩くロボットがいた。生物部は『牛乳パックで作るハガキ』を展示していた。あとは『プラナリア』だな。何分割すると復活できなくなるかなどという展示だった」
「それは、なかなかサディスティックでいいな」
私達は、ちょっと笑いあった。
「なあ、部長、われわれは、勝ったのだろうか」
その時の私は、彼に答えるべき言葉を持たなかった。だが、今なら言える。断言していい。私達は勝ったのだ。あれが確かに青春だったという意味でだが、その意味でこそ。ええと、多分。