誰がために有料ゴミ回収

 統一地方選挙というものが二段構えになっていたとは知らなかった。私の地元のそれよりもずっと楽しそうだった東京都知事選挙を尻目に投票した埼玉県議会議員選挙が終わったかと思うと、今度は市の議員選挙が始まったとのことである。議席数があまり変わらずに、選挙区が数十分の一になったことを考えると自明のようだが、巡回している選挙カー密度はぐっと増えてしまい、大して大きくもないこの市はここ一週間、拡声器の音に満たされているような状態である。私のアパートの数軒隣にもなんとかいう候補者の事務所があり、事務所といっても、さすがに市議会となるとこじんまりしたもので、運動会で使うようなテントというか天幕が一つあるだけだが、そこを起点として選挙カーが発進するのがなかなか見物ではある。

 さて、大した興味もないままそういった選挙活動を傍見していて、しかし、ちょっと注意を引かれることがあった。街宣車の一台が「市では、現在ゴミ収集を有料化しようという動きがあります。生活者無視のこうした動きを見過ごすわけにはゆきません」と言いながら私のアパートの前を通り過ぎたのである。や、やや、ゴミ収集が有料化ですって。こりゃ見過ごすわけにはいかない、ごもっともです。そりゃ困ります。そんな市政の動きはすっかり見過ごしていた。そんな動議があったのか。

 考えてみれば、ゴミ収集の有料化は、生活者を無視しているかどうかはさておき、無制限にゴミを捨てるのを抑止し、たくさんゴミを出す人はそのゴミ処理にかかる費用の一部を、出す量に応じて負担するという合理的な制度ではないかと思う。ただ、消費税や地域振興券がそうであったように、プランを立てるのと実行するのとの間にギャップがあるのは世の常であり、たとえば、有料のステッカーが貼ってないゴミ袋は回収しないということになると、さて困るのはゴミを捨てた人ではなくゴミ回収所の近くの人であって、また街路に散らばるゴミは誰の負担かというように、不特定多数の人のための負担を、正直な人が負うという制度でもある。私はといえば、これはおおむね正直な人であるので、できれば有料制は実施されないで欲しいと思うのだが、かといって「見過ごすわけにはゆきません」と言っていた候補者の名前を覚えていないので残念である。

 さて、話はいったん別の話に飛ぶ。東武東上線以外にあるのかどうか知らないのだが、電車の網棚の上に掲示されている数多くの広告の中に、ある予備校のシリーズ広告がある。有名中学校の入試問題などから、面白そうなものをピックアップして紹介し、これが解けますか、という趣向になっているものである。丸い頭が四角い頭でどうのこうの、というコピーがついている。

 私のアパートのある街から東京に出るときはだいたいこの東武東上線を使うことになるので、東京に用事ができるたびに、私はなんとなくこの入試問題を解いてみているのだが、週替りで問題を探すのが大変であることは理解できるものの、出来不出来の幅があまりにも大きくて参ってしまう。良くできている、と感じるいい問題は、国語や数学に多い。たとえば、前○→○移→移○→○物→物○→○解といった熟語のしり取りを完成させなさいとか、直径十センチの缶4つをひし形に並べてヒモで縛ったらそのヒモの長さは何センチになるかとかいう問題に当たれば、これはなかなか頭を使わせられる。満足である。
 一方、理科や社会は全体に面白い問題にならないことが多い。あるときなど、社会の問題として、棒グラフが一つ示してあり、これは97年の木材の国家別輸入量を表すグラフであるが、それぞれアメリカ、ドイツ、日本、中国である。どれがどれか、というような問題があった。これは、知らない場合考えて解けるものだろうか。こういうのに当たると、それはそれで、この予備校の社会科の教師がどの程度の実力であるのかというのがわかって面白いような気はするが、あまり暇つぶしにならないことは確かだ。

 あるとき、これは理科になるのか社会になるのか、あるいは他の教科とされていたか忘れてしまったのだが、環境問題についての問題が出題されていた。次の四つの文章のうち間違っている文章はどれですか、という問題で「フロンガスはオゾン層を破壊するので現在ではオゾン層を破壊する度合いの低い代替フロンが使われている」といった文章が並んでいた。これも一読すれば答えがわかるのであって、あまり電車の中の暇つぶしとしては適当な問題ではなかったが、答えの、つまり間違っている文章は「温暖化の原因となる大気中の二酸化炭素を増やす原因となるので、学校などでの焼却炉の使用は禁止されている」というものだった。
 なるほど、これが答えである。学校や会社での焼却炉が使用禁止になっているのは、主にダイオキシンなどの毒物を不用意に発生させないためであると思う。この問題は、焼却炉は使用しないことになった、という、この部分は真実である命題が前提になっているわけだが、私のいた高校で、懐かしい風景の一部となっていたあの焼却炉も、いまや使用されていないと信じるのはなかなか難しい。
 ご存知の通り、学校を舞台にした漫画には、かなりの割合でこのゴミ焼却炉が小道具として登場する。証拠を隠滅するためやイジメの道具として使われるブラックホールとして、あるいはドタバタ劇でたまたま飛び込んでしまう危険ゾーン(次の瞬間、飛び込んだキャラクターがお尻に火がついて飛び出してくる)として、便利に使われている。これがないとなると、妙な感傷だが、やはり寂しいのだ。

 こうしてつらつらと電車の中で思い出にひたっているうちに、突然思い出したのだが、私の出身小学校のごみ捨て場は、なんと川だった。川の流れているところに直接捨てていたわけではないが、川沿いに建っている学校の、川に臨む崖の上から河原(竹林になっていた、川沿いの一帯)に向けて、教室から出たあらゆるゴミを捨てていたのである。なんとものんきな光景であって、紙や土ぼこりが主成分とはいえ、そう簡単にゴミの山が風化して消滅してしまうわけはない。代々の先輩達が捨てたゴミで、その河原からがけの上まで盛り上がった土手になっており、私のいたころには、五メートルほどある崖は既にのど元までゴミの山が達していた。あるとき、生徒会(というか、小学校におけるそれに類したもの)が、そのゴミの山に「もう一歩前進してゴミを捨てよう」と立て札を立てていたが、大変に誤った教育方針ではないかと思う。

 そうしてゴミの山から下界にゴミを撒きにゆくたびに、子供心に、これをいつまでも続けられるはずはないぞ、まずいぞ、と環境に対する真剣な心配をしていた私なのだが、実は私が卒業してほんの数年で、その小学校は全面的に改築され、そのゴミの山もきれいに片づけられてしまった。私の危惧は、少なくともこの現場に関しては当たらなかったのである。
 だからといって、今回の教訓として、後回しにすればなんとかなるものである、と感じ取られてしまうと、燃えるゴミに空き缶を混ぜて捨てる人が出てくるかもしれないので、それは止めたがよかろう、と一応書いておこう。どうしてかというと。ええとほら、そんなことをしていると、ゴミ回収が有料になっちゃうぞ。

 なっちゃうぞ、と電車の窓から街を見下ろしつつ、独白する私であった。


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