電話を待ちながら

 PHSを買ったら、家庭教師のトライが付いてきた。
 いったいなんだと思われるかもしれない。そもそもの初めから説明しよう。
 私が自分のPHSを買ったのは去年の初夏のことだった。DDIポケットのPHSを買ったのは、これでデータ通信を行おうと思ったからだ。喫茶店や駅のホームで、PHSを使ってインターネットにつなぎ、メールをチェックするなどという行動にあこがれていたのである。実際にやってみると、それほど便利でも、格好良くもなかったが、それでも今現在、普通に電話として使う場合と、データ通信との使用比率は1対1くらいである。

 購入した目的が目的だから、あまりほかの人からかかってくることはない。家族や友人などはたいていアパートの電話のほうにかけてくるからだ。かかってくるのは、よほど緊急の場合や、待ち合わせなど、こちらが移動中だとわかっている場合だけである。
 そして、実は、この電話に着信する数少ない電話のうち、かなりの部分が家庭教師のトライからの電話なのである。

 最初は、留守番電話サービスへの吹き込みだった。このPHSにかかってきて、私が電源を切っていたりして受け取れなかった電話は、DDIの留守番電話サービスセンターに着信し、そこに貯蔵される。PHSを使いはじめて間もない私が、マニュアルと首っ引きでそのメッセージを呼び出して聞いてみると、家庭教師のトライだったのである。
「家庭教師のトライですが、XX-XXXX-XXXXまでご連絡ください」
 最初は少し悩んだ。私はこれまで家庭教師派遣会社とかかわりを持ったことはないので、こんな電話がかかってくる理由がない。電話勧誘のようなものかと思ったりもしたが、家庭教師のトライが私に何を売りつけようというのか。家庭教師をやらないかというお誘いだろうか。ああ、あの貧乏だった学生時代にそういう相談をして欲しかったものだ。と、あらぬ方向に考えが及んだりもしたが、まあ、普通に考えれば、間違い電話なのだろう。だから、連絡はしなかった。

 数日してまたかかってきた、ということはなく、しばらくはそれきりになっていたので、やはりこれは間違い電話ということだったのだな、と私は思っていた。ところが、それから一カ月ほど経ったころに、第二回の間違い電話が掛かってきた。またも、留守番電話サービスへの、録音だった。
「家庭教師のトライです。XX-XXXX-XXXXのヨシザキまでご連絡ください」
 つまり、一度きり、そそっかしく電話番号を押し間違えて、ということではないらしい。よほどヨシザキに電話をして、理由を問いただそうかと思ったが、かろうじてこらえた。電話代がかかるだけで、こちらには何もメリットはないし、何度考えても家庭教師会社から連絡がくる理由が思いつかないのである。そういえば、私がこの留守番電話サービスに繋いで、伝言を聞くと、私の方に通話料がかかっているのだが、これについて家庭教師のトライはどう思っているのか。

 考えてみれば、私のところにメッセージが残っているということは、家庭教師のトライが本来連絡を取りたいと思っていた人のところにはメッセージが着いていないということなのである。連絡を乞うとメッセージを入れておいて、一カ月も連絡をよこさない家庭教師は、家庭教師のトライでは契約打ち切りにはならないのだろうか。
 ほかの方法で連絡をしている、家庭教師のほうもこのメッセージと入れ代わりに自発的に自分から連絡しているなどの理由が考えられるが、自分が会社に番号を通知したあとでPHSの契約を破棄したのなら、その旨伝えておかねば困るではないか。まったくもう。

 ところで、PHSの電源を切っていたり、通話範囲の外に出ているのではなく、ただ電話がかかってきて、こちらが出なかった場合、着信通知として、相手の電話番号だけが記録される構造になっている。ナンバーディスプレイというわけだ。ここに知らない電話番号が記録されていることは実は多く、つまりそれはほとんどの場合、間違い電話なのだが、それでも最初のほうはわざわざその番号にかけ直し、理由を問いただしていた。こうしてかけてみたときのことである。
「はい、家庭教師のトライです」
 かけた私は、なんだ、君か、という気分である。
「私、大西と申しますが、そちらからお電話をいただいたようなのですが。電話番号は、XXX-XXXX-XXXXです」
「ええと、こちらは同じ番号からいろいろな担当がかけておりますので、ちょっとわからないのですが」
 と、ややぶっきらぼうな応答である。まあ、確かに困るだろう。
「はい、それが何度も電話があるものですから」
「ええと、学生の方ですか」
「社会人です」
 ただし、かっこ笑いがつく社会人です。社会人(笑)。
「そうですか、それでは間違い電話だと思います。どうも失礼いたしました」
「はい」
 はっきりと、頻繁に間違い電話があるので確認してほしいと伝えなかったのが悪かったのだろうか。そんなことがあったにもかかわらず、それからも忘れたころに家庭教師のトライは、連絡乞うのメッセージを私の留守番ボックスに残していった。携帯・PHSの番号が十一桁化されても、家庭教師のトライは落ちこぼれずに付いてきた。いつかは決着をつけなければならないと思いつつも、私はそのままにしていた。

「家庭教師のトライと申します」
「あ、はい」
 あるとき、たまたまタイミングよく、初めて私は家庭教師のトライからの電話を取ることに成功した。
「ええ、これからのスケジュールについて打合せをしたいと思いまして、まず来週の…」
 二言目に、相手の確認もなくいきなりそこまで一気呵成である。人の言うことを聞かないたちの人らしい。
「ちょ、ちょっとお待ちください。どちらにおかけですか、私大西と申しますが」
「あ、これは申し訳ありません。間違い電話でした」
 ガチャ。
 あっ。

 私は、これまで何度も間違い電話がかかってきていること、多分そちらの名簿が間違っていること、いいかげんもう掛けてきてほしくないということを、このチャンスに伝えようと思っていたのである。それが、その隙も与えずに切られてしまった。なんと人の言うことを聞かない人なのだろうか。

 そして、それからまた数カ月が経った昨日、留守番電話サービスに再びメッセージが入っていた。またも連絡を乞われてしまったのである。もう家庭教師のトライとのつきあいも一年を越えた。私は「いったい何度間違えたら気が済むんだろう」、と独白するしかなかった。
 私と、家庭教師のトライとの戦いは、どうやらまだ続くらしい。


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