私だって、世の中に不満は持っている。考えてみればもう二八である。ずいぶんと人間として丸くなったつもりなのだが、時には、持っていき所のない、どうしようもない怒りに頭が真っ暗になり、なにかにこの気持ちをぶつけなければ居ても立ってもいられないことがあるのだ。
今し方、私はJRに乗り込んだところである。車内でこの文章を書いているのだが、毎回大西科学における最近の研究内容を楽しみに読みに来てくださっている方には申し訳ないことながら、今回は、私の個人的な怒りを、ここの文章にぶつけさせていただきたい。読者各位におかれましては、私の罵言を聞いてさぞや嫌な気持ちになることと想像してこれまた申し訳なく思うのだが、どうか不運だったと諦めていただきたい。次回からは元に戻りますから、今回だけ。
初めから話すことにする。私は今日、五月五日、JRを利用するべく、最寄り駅までやってきた。ここでまず確認しておきたいのは、JRというのは、もはや一企業であると法律上は定められているとはいえ、かつては国有鉄道として旅客を運搬していた企業であり、そのことは今も忘れてはならないということである。特に、このような、競合路線の存在しない地方ではなおさら、その公共性ということに、私企業であることによる曇りをいささかなりとも存在させてはならないのである。かつての赤字を、国庫から補填し続けているという事実をたとえ度外視したとしても、利用者に対して、あくまで一企業としての対応よりも、さらに優れたサービスを要求されるところなのである。
そんなJRの駅で、目的地までの運賃を確認した私は、乗車券の自動発売期の前にできた列に並んだ。ゴールデンウィーク中とあって、通勤客がいないからなのだろう。混み方はそれほどではないのだが、かわりに、切符を買うこと自体に不慣れな親子連れとか、老夫婦とかが列をなしているようだ。しかし、まあそのこと自体はいい。私が指摘したいのは、この券売機に、千円札が使えるものと、オレンジカードという、JR西日本のプリペイドカードと硬貨しか使えないものの、二種類があるということなのである。
いや、そうではない。オレンジカードという制度を作り、それを持っている人のみに利便をもたらすような構造になっている、そのことを批判しているのではないのだ。料金先払いによる利子収入、必ずいくらかは存在する死蔵されるカードによる保留された売り上げなどで、JRの収入を増やそうというこれは、ずるいところがあるとはいえ、経営努力であるし、先ほども述べたように、利益を追及することが結局国民に還元される種類の業種であるから、このオレンジカードを使いやすい状況を作り、いっそうの利益を追及しなければならないというのは、もう義務だといってもいいからだ。
たった一つ、私が文句をつけたいのは、オレンジカードしか使えない券売機の前にできた列の最後尾には、この列は千円札を使えるかどうかなど書いてないということなのだ。そして、やっとの思いで券売機までたどりついた私の小銭入れには硬貨は九七円しか入っていなかった。
私は、横の、千円札が使える券売機をまぶしそうに眺めただけで、再び列のうしろに並び直すしかなかった。列の後ろのほうに並んだ人が、視線で人が殺せたら、といわんばかりの目で私を見ていたからだ。
同情してもらえるだろうか。私にふりかかった不幸に。いや、言いたいことはわかる。確認しないで列に並んだ私が悪いのだ。その駅に五つある券売機のうち、千円札が使えないのがたった一つだけだったからといって、それで私の境遇を慰めてくれる人が増えるわけではあるまい。そう、私も考えた。さっきよりも長くなった列に並び直し、その列でじりじりと前に進むあいだに、すっかり考えた。そして、JRを許そう、忘れないけど、いつまでも覚えているけれど、でも、許そう、と、そんな気持ちになったのだ。財布から取り出したままの千円札は、私の手の中でまだ細かく震えていたけれども、それでも。
ほどなく私は、ふたたび券売機にたどりついた。私は帰ってきた。帰ってきたよミスター。犯罪も犯さないまま、公共の迷惑に成り下がることもなく。私は、なんだ、終わってみたら一瞬だったよ。ははは、と、心の中で好青年を演じる余裕さえ取り戻していた。私は、自分に満足しながら千円札をスロットに差し込んだ。偽札防止装置にひっかかって、千円札がいつまでも出たり入ったりという、ユーザーをいきなり喜劇の登場人物にしてしまう例のトラップも(いささか危惧を感じていたことは否定しないが)発動しなかった。一回ですんなり千円札を飲み込んだ券売機は辺りに信頼感さえ醸し出していた。私は、三二〇円のボタンを押した。
と、突如、舞台は暗転した。じゃら、じゃらじゃらじゃらとやけに大きな音をたてて、ぎょっとするほど大量のコインがお釣り返却口に吐き出されたのだ。百円玉が六枚と、十円玉が、八枚。返却口が一瞬にして、銀と銅色で埋めつくされた。まるで現金つかみ取り大会の会場になったかのようだった。ああっ、もう。もうちょっとやりようはないのか。五百円玉や五十円玉を出すとか。
小銭入れは、ずっしりと重くなった。そして私は、またも無闇な怒りに震えるのだった。