中学生の少女と言うのはどこかしら神がかったところがあって、同年代だった私にも理解し難いところがあった。中学生の私というと、それほどしっかりとした「世界に対する態度」を身につけていたわけではないが、それでも大予言や、UFOなどの噂は、一通り敬して遠ざける癖がついていたはずだから、そのころの私が「こっくりさん」のお告げを信じていたというのは、これはもうブラスバンド部などという、そうした文系少女たちのたまり場に籍を置いていたという環境がもたらしたものだと言うしかない。
それは、中学一年生の夏休みの一日だった。私の中学のブラスバンド部は、熱心な先生の指導のもと、かなり厳しい練習を行っていた。私も毎日のように学校に出かけていった。夏休みに毎日練習とは、中学生とはなんて不自由なものだろう、とそのときは恨みに思っていた私だったが、どうせ中学生などと言うものは夏休み四〇日をまるまる与えられたところでろくなことをしやしないのである。部活動に夏休みをささげたくらいでちょうどいいのだ、と、今になってそう思う。
そのころ、私はホルン吹きとしてまだ数カ月の、駆け出しもいいところで、4月にまったくの初心者として入部して以来、ようやく楽器から音が出て、12音階が出せるようになって、というほどの熟練度に過ぎなかった。そのような素人たちを、夏のコンクールまでにともかく各パートの3、4番奏者、つまり野球で言うと8番ライト程度と言うことになるが、それくらいには鍛えて、一つの楽団としてまとめ上げるのは、顧問の先生にしてみればそれは大変なことだったと思う。コンクールは夏休みの真ん中あたりにあるので、夏休みはいつも最後の追い込みというか、一番忙しいころになるのだった。多分先生の都合にあわせてと言うことになっていたのではないかと思うのだが、部活動は一日丸ごとという日もあれば、午前中だけ、午後だけのときもあった。その日、私が部室の隣の、教室に顔を出していたのは、多分丸一日練習の、妙に気が抜けた、間延びした昼休みだった。
さっさと弁当の昼食を終えた私は、その教室に、同じ学年の女生徒たちが、十人ほど群れを作っているのを見て、なんだろう、と寄っていった。そこで私が見たのは、机の上に広げられた一枚の紙と、置かれた十円玉、その十円に二人で指を乗せてなにかをつぶやいている女生徒たち、といった光景だった。こっくりさんだったのである。
こっくりさんは、その頃の私の学校では「キューピッドさん」という異称で呼ばれていたようだが、もちろん本質的には同じものである。降霊儀式を行い、自己暗示にかかった被験者が、無意識の筋肉の動きの助けを借りて、お告げを下すという遊びである。私がその教室に入っていったときには、その儀式は始まったばかりだったらしく、見ている私たちの前で、その霊媒たる女生徒たちは呪文を唱え始めた。
「キューピッドさん、キューピッドさん、いらっしゃいましたら、おいでください」
「おいでになりましたら、南の窓が開いております、お入りください」
無分別なころの経験だからだろうか、この呪文を記憶の中から掬い出してここにこうして記しているだけで、何か危うい不安感を感じざるを得ない。この不安感を、生の形でぶつけられた幼い私は、その降霊場から立ち去ることができなかった。
「キューピッドさん、いらっしゃいましたら、お示しください」
と、やがてその超自然的な存在を呼ぶ儀式は終了し、いよいよ儀式は質問へと移っていった。十円玉を、指が白くなるくらい押さえ付けていた二人の女生徒の指の下で、硬貨がふらふらと揺れながら滑り、紙上に書かれたマークのところで停止した。「はい」
周囲で息をつめて見守っていた私たちの口から、ため息が漏れた。聞けば、恐ろしいことに、この儀式を途中で中断すると、呼び出した物の怪がそのまま降霊場や、術者の体に取り憑いて残るのだそうである。それを恐れるなら、「狐狗狸」などというおどろおどろしげな名前を持つ霊ではなく「キューピッドさん」を呼んだ意味はあまりないような気がするのだが、とにかくそれは大変に薄気味悪いイメージであり、私たちはそれを異様に恐れていた。
「では質問をいたします。よろしいですか」
はい。
「私は何歳ですか」
コインが数字の上に滑って止まり、また滑って、違う数字の上で止まった。1と3。最初はこのように、わかり切った質問をしてみるもののようである。神を試しているのだ。正しい答えに満足した彼女らは、それからしばらく、キューピッドさんへの質問を続けた。
「○○ちゃんが好きな子はだれですか」
と質問をすると、コインに宿ったキューピッドさんは、カタカナの五〇音表を滑り、出来物として評判だった男子の名前を示したり、
「○○は××とデキているのでしょうか」
と、芸能界のカップルについての質問には、いいえ、と答えたりした。ところが、やがて、術者の周りにいた女の子から、
「大西君は、どこの高校に行きますか」
という質問が出たので、私は驚いた。私がどこの高校にゆくかなんて、どうしてそんなことを聞くのだろうか。まだ1年生、高校受験などはるかかなたに霞んで存在するかどうかも疑わしい未来のことに過ぎなかったから、私はそんな質問が出ること自体に意表を付かれた。
十円玉は、ゆっくりと移動すると、ある平仮名二文字を順に指し示した。
その名前は、校区の中にある高校のうち、一応最も偏差値が高い学校、とされている高校の名前だった。いきなり話が自分のことになった私は、何とも言えない不安を感じたものである。それからひとしきり進路についての質問が出たあと、
「この中学校の吹奏楽部は、今年コンクールで県大会に出られるでしょうか」
という質問になったのは、やはり、さすがに吹奏楽部員だったのだろう。知らない方のために解説するが、中学校の吹奏楽のコンクールは、まず県の一つ下のレベルの地方大会があり、そこで優秀な成績を納めた数校だけが、県大会に出場できる。万事こういったことに疎い私はそのころまだそういう知識がなかったのだが
、この数年、私の中学は県大会出場一歩手前というところで、惜しくも涙を飲んだ展開が多かったのだそうだ。
その質問に答えて、コインが、はい、のマークに移動し、止まったのと、教室に、顧問の教師がやってきたのは、どちらが早いかというくらい、同時のことだった。
「こら、君ら、もう練習の時間は始まっているぞ」
息をつめて儀式を見守っていた私たちは恐慌に陥った。これから、キューピッドさんにお礼をして、帰っていただかなければ、その、なんというか、困るのですけれども。
「ほら、ほら、練習練習」
と、机に歩み寄った先生は、文字盤と十円玉を取り上げた。
女生徒たちの恐怖の表情を、私は今も覚えている。よくもまあ、卒倒する子が出なかったものである。
その後の話をしよう。その夏、私たちの吹奏楽部は首尾よく県大会に出場することができた。そして、私は2年半ののち、予言された高校に通うことになった。キューピッドさんの予言は、その断ち切られた儀式の行方にかかわらず一応当たったのである。もっとも、校区内に3つしかない公立高校の一つを当てたからといって、別になにかを証明したことにならないのだが、受験に挑んだ私にとって、この予言がいくらかの気休めにならなかったと言ったら嘘になる。
ただ、その降霊が行われた教室には、この予言を行った偉大なキューピッドさんが、今もどこにも行けずにさまよっているのではないかと、そんならちもない想像を、高校生のころの私は、時々していた。
どちらにせよ、こういうことは止めたほうがいい、ということなのだろう。