誰が言いだしたのやら、私の職場でのあだ名が「先生」ということになりかかっている。もとは、私の出身大学で「いつも偉そうなことを言っている」というような理由でついたあだ名だと思うのだが、こちらでもそんな呼ばれ方をするようになってしまった。「オヤジ」とか「もじゃりん」「はちべえ」というようなモロにあだ名であるというものに比べ、一見相手を持ち上げているように見えるところがかえってタチが悪く、今年の春から同僚になった人にまで「大西先生」などと呼びかけられて参っているところである。「先生と呼ばれるほどのバカでなし」という川柳があるが、確かに、先生という呼びかけは人をばかにしているのだなあ、と思って涙を飲んでいる毎日である。
とはいえ、三人兄弟の長男などやっていると、弟達にとっての家庭教師、いわば先生の役をすることは昔から大変多かった。生家で一緒に暮らしていたときはもちろん、私が大学に入って下宿を始めてからも、しばしば弟達は私に高校の宿題や、わからないところを教えて欲しいと相談されたものである。しかしそれが、普通の数学や物理の問題ならいいのだが、時にはとんでもない難問であることがあって、大学生の私も首を捻るばかりということがあった。
「学校の物理の先生が、『永久機関』を何か考えてこい、って言ってきたのだけど、どうしたらいいだろう」
私を悩ませた質問の一つが、これである。「永久機関」とは、外からエネルギーを与えることなしに、ずっと回転を続けて、のみならずその力で発電したりすることができる機械のことである。もちろん、こういう機関を作れないかというさまざまな工夫や、他のいろいろな研究が、なにもないところからエネルギーはわいて出たりしない、エネルギーは、化学エネルギーから位置エネルギーに、それから運動エネルギーに、さらに熱エネルギーに、とさまざまに形を変えはするけれども、常にその総量は一定であるらしい、という「エネルギー保存の法則」の発見につながり、永久機関はどうも原理的に作れないものである、ということに今はなっているわけだが、それを考えてこい、というのはどういうことだろうか。
もちろん、物理の先生の考えることである。生徒が考えてきた「永久機関」を、一つ一つ論破してゆくことで、逆にエネルギー保存の法則の正しさを学習しようというような意図があっての宿題なのだろう。それにしても、しょせん永久機関など作れないのだから、原理的に達成不可能な宿題であるばかりか、たとえ「永久機関のようなもの」あるいは「一見永久機関に見えるもの」を考えてきなさい、というふうに読み替えたとしても、やはり難しい宿題であることには違いはない。化学の先生が生徒に鉛を渡して、明日までにこの鉛を金に変えてきなさい、という宿題を出すようなものと言えばいいか。
近世のヨーロッパで何某がこういう永久機関もどきで何人騙しましたとか、ギリシャの哲人ナントカデスはこういう図面を永久機関として残していますが、これはこういう理由で動かないのです、とか、そういう文献は面白い話だから私もよく読んでいたが、他人の文章で読んだものを単に引っ張ってくるのではなく、オリジナリティのある、過去に誰も考えていない「永久機関」となると、これはもう先生が生徒に期待しすぎというほかない。高校生の一週間ほどの期間に出される宿題としては難しすぎる。本当に感心するようなアイデアは、懸賞付きで全国から募集して一件あればいいところ、とか、多分そんなレベルの出題だと思う。弟が悩むのも、無理はない。
だから私にとってもこの出題は難しすぎて、昔本で読んだアイデアから「三角定規に鎖をかけて」式の無難なところを抜き出して教えるくらいのことしかできなかった。しかし、先生も無茶なことを言うなあ、という感想は持ったので、いくつか教えた中に「第二種永久機関」を一つ混ぜておくことにした。
「第二種永久機関」というのは、普通の、エネルギーが無限に取り出せる式の永久機関と区別して使われる、別のタイプの永久機関である。第二種永久機関の方が試験が簡単で、資格が取りやすいが、永久機関施設の管理者にはなれないという制限がある。ってこんな分かりにくいボケはいいのだが、第二種永久機関は「熱」を「力学的エネルギー」に変える機関のことである。
第二種永久機関が動くときには、周りから熱を奪ってゆく。だから、エネルギー保存則が破られているわけではない。にもかかわらず、これがどうして「永久機関」と呼ばれるのかというと、こういう装置はやはりどうも作ることができない、とされているからである。
熱エネルギーは、それだけでは他のエネルギーに変えることができない、始末の悪いエネルギーである。自動車のエンジンのように、ガソリンの化学的エネルギーを熱エネルギーに変えてそれをさらに運動エネルギーに変えている機関は、外部から冷たい空気を吸い込まなければ駆動しない。つまり、いくら熱い、すなわち熱エネルギーが高い物体があっても、そこからエネルギーを取りだすことはできなくて、必ず、冷たい、熱エネルギーの低い物体を併用しなければならないのである。温度はエネルギーにならない、温度差がエネルギーになるのである、と言い換えてもいい。
例えて言うと、高原にある湖の水は、それだけでは発電に使えなくて、それより低い平地に向かって水を流してやらなければ流水でタービンを回すことができない、というようなものだろうか。地平線の彼方までずっと高原だったら、たとえその高原がどんなに高くても、水力発電には使えないのである。
「マックスウェルの悪魔」と呼ばれる仮想的存在は、こういう原理にのっとって考えられたものである。水がある温度であるということは、その中の水分子がある速度を持って動き回っているということだが、全てが同じ速度ではなくて、中には他よりも速い水分子もあれば、遅い水分子もいる。ここに「マックスウェルの悪魔」がいて、速度の速い水分子だけを選別してあとは残すと言う能力をもっているとすると、最終的には、元の水よりも温度が高い水と、低い水の二つができることになる。温度差があればそれを利用してエネルギーを取りだせるので、結局「マックスウェルの悪魔」は、温度を力学的なエネルギーに変えたことになる(※)。
このマックスウェルの悪魔と同じ働きをして、ただの水からエネルギーを得ることができる(温度をエネルギーに変える)という働きをするのが「第二種永久機関」である、ということになる。もしもこれができたら、こんなにうまい話はない(地球温暖化の対策にもなって一石二鳥である)のだが、残念ながら、さまざまな理由でうまく働かないことになっている。マックスウェルの悪魔は、存在を許されないらしいのだ。
つまり、このマックスウェルの悪魔を宿題の中に潜ませようというのである。といって、マックスウェルの悪魔を装置に組み込みます、とも言えないので、これもある本からヒントをもらったものだが、こういう機構を考えた。
小さい水車を作る。水車は、水分子の熱運動での動きで回転するくらい小さく、軽い。普通、この水車には、両方から同じように分子が衝突するので、一定方向に回転したりはしない(水面に落ちた花粉のように、ブラウン運動をするわけである)。だが、この水車を、自転車のペダルのように、どちらか一方向に回転した場合だけ駆動軸に力を与えるような構造にしておく。つまり、水車はでたらめに回転しているのだが、それにつながっているタイヤは断続的ながら一方向に回るわけである。一つ一つの水車のエネルギーは小さいものだが、これを何千何万と取り付けると凄いエネルギーが、水の温度が下がった代償に得られる。
どうだろうか、なんとなく実現しそうに見える「第二種永久機関」ではないだろうか。実のところ、これが実現しない積極的な理由を、私は今なおうまく説明することができないでいる。この手の通俗向け科学解説書を見ると、一方向だけにタイヤを回す機構のラチェットのところが、ラチェット自体の分子運動でバタバタ開いたり閉まったりしてしまうのでうまくいかないのだ、ということだが、どうもなんとかしてラチェットを冷やせばよいだけの話で、本質的にはこれでうまくいかない理由になっていないような気がする。ともかく、私は、この「水車機関」を弟に教えた。
「で、どうだった。あの『水車機関』を宿題として発表して、物理の先生は何だと言っていた」
それからしばらくして、私は弟に、宿題提出日当日の首尾について質問してみた。
「え、何の話だっけ」
「ほら、前におまえ『永久機関を考えてこい』という宿題が出たという話をして、私がそれに答えたではないか。あの宿題を見て、先生が何て言っていたか知りたいのだよ」
首を捻って考えた私に対して、答えを簡単にもらっただけの弟は、大して記憶にも残っていないらしい。そんなものである。
「ああ、ああ」
「あっただろ。で、どうなった」
「兄貴の言っていることが何が何だかわからなかったので、先生には水車のほうは言わないでおいた」
「なにぃ」
弟のその態度は、授業的には正しいのかも知れないが、先生がどう言ってこの機関が動かない理由とするかをぜひ知りたかった私なのだよ。ああ、兄の心弟知らず。
そんなこんなで、私もこの水車機関についての疑問を、長い間放り出したままである。明快な説明を、だれか私に教えて下さい。