「見たぞ兄貴」
と、帰省した私の顔を見るやいなや、弟が言った。私は一つうなずいて、
「そうか。阪神、調子いいよな。特に新庄がいい」
と、弟のフェイバリット・エリアに食い込む一撃を放ったのだったが、ガードは堅かった。
「兄貴は全国5百万のバスフリークを全部敵に回したな、あれで」
「その話か」
確かにこの前、弟に頼まれて買ったバス釣り用のソナーの話を、私は自分のホームページに書いたのである。しかし、それを言えば、今までだって無許可で、しかもかなり脚色したうえで私の友人や家族を登場させてきたのであって、それでいて、文句を言われたことなどなかった。ところが、弟ときたらすっかり怒っているのである。プリプリ怒っているのである。
「だいたい、兄貴は勘違いをしている」
と、夕食の席で、弟はバスフィッシングについての講義を始めていた。
「まず、バス釣りの場合、魚群探知機は魚を見つけるんじゃなく、底の地形を見るためにあるのだ」
言いながら、箸でつかんだアジのフライを目の高さに持ち上げて、水底の形に動かしてみたりしている。ソースが、飛び散るではないか。
「え、へへえ」
「なんだその返事は」
「でも、ソナーの説明書には、ちゃんと『バスの姿が見える』って書いてあったんだぞ」
弟は、憮然として言う。
「それは、嘘だ。でなかったら誇張だ」
「そうなのか」
弟は、ビールを一口飲むと、続けた。
「ブレイクラインというのを知っているか」
「この線からこっちは、礼儀をうるさく言うのは止めときましょう、っていうことか。無礼講ライン」
「そうやって死ぬまでクダラない駄洒落を言っていればいいんだ」
私も悪いが、この、兄を兄とも思わない態度はどうかと思う。
「水底が、浅場から急に深く落ち込むところのことだ」
「だったら、はじめからそう言えば良いようなものだ」
「だから、それをブレイクラインというのだと説明している」
弟は、空になったコップを、テーブルにトン、と置くと、自分でビールを注ぎ足した。無闇な迫力があるのだった。
「ブレイクラインには、でっかいバスがいる。だからそのブレイクラインを見極めるために、水底の様子が、ソナーが必要なんだ。バスの姿をとらえる為じゃない」
「それはいい、実に良かった」
私は、レタスの千切りにマヨネーズをたっぷりかけながら相づちをうった。このマヨネーズというのは、一人暮らしだとなぜだかあまりお目にかからない。あなたはどうですか。
「よくない。地形だけじゃないぞ。他にも、季節や気温など、そりゃもう、いろんな要素があるんだ。ブレイクラインを見つけたらいいというものでもない。バスがその上にいるのか、その下にいるのか、それも変化するんだ。季節や、気温、時刻、水質、バスの餌となる小魚の量」
私は、食卓の下でもの欲しそうにこちらを見上げている飼い猫をからかいながら、言う。
「にゃるほど、むつかしいニャー」
普通、こういう相づちを打たれると嫌気がさすと思うのだが、自然を思う弟の気持ちは、この場をごまかして乗りきろうとする私のチャカシパワーよりずっと強かったということなのだろう。
「難しいんだ。決して、ここに魚がおると魚探が言ってるから、よーし、ルアー発進、ってわけじゃないんだ」
私は、うなずくと、まっすぐ弟の目を見て、言った。
「ルア・ウィー・ゴー」
「二八歳がそれを言うんだな」
「そうだ、ステルス・フローターの悪口も書いていたな」
「待てまて、ステルス・フローターって、何だ」
私は、茶漬けをかっ込んでいた茶碗から、顔を上げると、聞き返す。
「魚屋のゴム長に浮き輪が付いている云々と書いていたヤツのことだ」
ああ、あれ、フローターっていうのか。残った茶をすする。ずずず。
「あれだ、ゴムボートではいかん理由があるのか」
「フローターで池の温度を感じてこそ、魚と一体になれるんだ」
本当だろうか。私は、茶碗と箸を置くと、言った。
「へえ。で、ステルスっていうのは。どういう意味なんだ」
「…魚に、見つからんのだ」
「んな馬鹿な」
弟は、わざとらしい咳払いをひとつした。魚には見つかるらしい。
「いいか。ブレイクを見つけだし、フローターで自然の状況をつかみ、そしてバスの居所を見つける。格好良く言わせてもらえば、この自然との知恵比べ、それこそがバスフィシングの醍醐味なのだ」
「自、然との知、恵くらべね」
「おかしなところで切るなっ」
そんなふうに夕飯を食べおわった私達に、先に食べおわってテレビを見ていた父が言った。
「あのな、こないだ、風でウチの屋根のアンテナが、曲がってもうたんや。お前らどっちか、明日、直してくれへんか」
田舎のこととて、テレビのアンテナは屋根のはるかてっぺんにへんぺんと掲げられている。これを直すとなるとかなりの作業である。
「兄貴がやるそうです」
とすばやく弟が言う。
「こらこら」
「俺は釣りだ。明日は遠ノ池のヌシと知恵比べをしなければならないのだ」
「おいおい」
「無断で俺の趣味をネタに使ったのだ、当然だろう」
確かにそれは悪かったと私は思っているのだった。まあいい、今後の事もあるし、ここは譲っておくか。私は、ためいき一つつくと、父親にうなずいた。
「わかった」にやりと笑いかけると「しかしなあ。アンテナかあ。そんな仕事が」
そこで、弟は、私のセリフをひったくった。
「アッテンナ、か」
あ。うん。そう。