戦え防空隊

「うわうっ」
 と、私は闇の中で跳ね起きた。今日一日の楽しかった出来事、明日なすべき仕事、といった雑想が、ゆっくりと夢の中に埋没し、くたくたと溶けて消えてゆこうとしたまさにその時、耳に空襲警報が響いたのである。蚊の羽音だった。

「……」
 枕元の照明のスイッチを入れて蚊を探す。それにしても蚊が多い。このところ毎晩である。網戸の隙間から入ってくるのだろうが、まだちょっと、窓を閉め切ってエアコンをつける、というほどの気温ではないのである。私は、不敵にも耳元をかすめて飛び去った蚊を探した。いた。布団の上空、高度三〇センチ辺りを飛び去ろうとしている。私は、両手をむちゃくちゃに布団に叩き付けて、蚊を落とそうとした。手応えなし。のみならず、蚊を見失ってしまった。

 部屋の隅には、薬品の入ったボトルを電熱器で熱して蒸発させるタイプの蚊取り器がある。どうしてそれを使わないのかというと、どうもそれを使った次の日、頭痛が多いような気がするからだ。ただの思い込みか、偶然の可能性も高いのだが、続けて三度もそういうことがあると、なかなかスイッチを入れられないものである。職場で他人が使っているその手の蚊取り器を止めてもらうために、蚊に悪いものは人間にも悪いであろ、などとにわかエコロジストのような事まで言ってしまっているほどだ。

 まだ緊張を解くわけにはいかない。見えない敵がどこかにいる。視界の隅に動くものを見つけて、ぱっとそちらを見ると、死角に回り込んで再度の侵入コースに入ろうとした蚊を発見した。そこか。角度が悪く、片手しか使えないまま、手を伸ばしてぱっと蚊をつかむ。やったか。そっと手を開くと、何事も無かったかのように、手のひらから蚊が飛び去った。手品師の手のひらから鳩が飛び立つようだった。詰めが甘かった。

 こうなったら落とすまで寝るわけにはいかない。布団から出て両手を自由にすると、蚊を探した。ひざ立ちになり、両手の平を軽く広げて手のひらを内側に、十センチほど離して胸の高さに構える。誰が見ても蚊を追っている以外のなにものでもない恰好である。総員戦闘配置、という感じではないだろうか。突然また耳元で羽音がして、ぶるぶる、と首を振る。止まったらヤられる、という強迫観念に満たされて、飛びすさり、見つけた蚊に向けて手を叩く。二度、三度。やった。左手にへばりついた蚊をごみ箱に捨ててにへらと笑うと、私は再び安らかな眠りについた。

 昔、私は祖母と一緒にアルバイトをしたことがある。大阪の花博の関係の園芸のバイトで、植木鉢に用意された土や肥料を入れ、苗木を植える、というような仕事だった。そのバイトの場所というのが、なんだかビルの谷間のような遊休地だったのだが、どういうわけか異常に蝿が多かった。弁当の食事をするプレハブの小屋の中には、常に十匹くらいの蝿が飛び交っていた。
 蝿と真剣に戦ったことはおありだろうか。私がまだ小学生の頃には普遍的にいたような気がするのだが、最近はめったに見なくなった。あれは、蚊と違ってかなり頭がいいというか、俊敏な生き物である。
 蚊と違って刺さないから、と最初は無視の方針でいた私だが、いくらなんでも体の周りを飛び回られたり、目の前のテーブルの上に止まられたりすると叩いておきたいという気持ちになるものだ。ところが、テーブルに手を振り下ろしたり、空中の蝿を叩こうとしたりといろいろ試みたのだが、私は、ついにこの方法では蝿を殺すのはほとんど不可能だ、という結論を出すにいたった。まるで、心を読んでいるかのように、あるいは、剣道家が相手の次の動作を深い洞察力で見ぬくかのように、蝿は私の死の鉄槌が下される直前に、すい、と飛び去ってしまうのである。

 もちろん、そんな高度な情報処理をこの小昆虫がしているわけはないのであって、これは、蝿は視神経からの情報が直接筋肉に行くとかなにかの構造上の理由で、反応が非常に速いからなのだそうである。要するに、極限まで素早い、というだけのことらしい。それでも、人間にくらべてこうも反応速度が速いと、まともに叩こうと思っても不可能である。時速二百キロのボールをバットに当てることが不可能なように、あるいは名刺を落とすからつまんでみろ、という例の手品のように、人間の反応速度にはどうしようもない限界があるのだ。
 それでも霊長類である。限界を超える方法をなにか見つけることはできないだろうか。とにかくこのアルバイト、暇だったので私はずいぶん考えた。やがて、私は一つの可能性に思い至った。そうか、そうすれば、あるいは。

 可能性とは、手ぬぐいである。私は作業中の汗をぬぐう為にタオルを一枚携帯していた。そのタオルを、長く伸ばして、片方の端を握る。テーブルにとまった蝿を見つけると、狙いすませて、そのタオルを振り下ろすのだ。
 驚くべし。これまでどんなことをしても落とせなかった蝿が、タオルを使うと見事に叩き潰されてしまうのである(実際は、タオルにそんなに力がないので、ぐちゃりと潰れるほどではない。押されて死ぬくらいで済む)。多分、タオルのような延長物を使うことで、端の速度がついに蝿の反応速度を超えるのだろう。スリングと呼ばれる投石機の原理である。素晴らしい。文明の利器をもってこしゃくな小動物の能力に打ち勝った。これでこそ人間。私は調子にのって、ばしばしタオルで蝿を退治した。

 あまりに愉快だったので、私は祖母に、私の発見した原理について述べた。蝿って、素早くって叩けないけど、ほら、こうすれば。
 祖母は怪訝な顔をすると、だまってテーブルの上に止まった別の蝿の上で手を構えると、二十センチほど上空でぱん、と叩いた。ぱっと飛び上がる蝿。が、持ち前の反射神経で、手が打たれるより一瞬早く飛びあがったにもかかわらず、上空で打ち鳴らされた手の中にかえって入り込むことになった蝿は、祖母の手の中で、あえなくつぶれていた。

 このように、年の功というのは、科学がわかったつもりになっている私などよりも遥かに恐るべきものである。ところで、今日の私だが、眠り込んだ後、またも、今度は痒みで目を覚ますことになった。あと一匹別の蚊がいたらしい。どうも生物としてのヒエラルキーは、祖母、昆虫、私というふうになっている気がしてならない。


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