一九九九年のターザン

 もうあなたはすっかりうんざりしているのではないかと想像しているのだが、せっかく一九九九年の七月なので、もうすこしノストラダムスの話をさせて欲しいのである。なにしろ、二〇年も前からなにかの日付が予定されているなどということは、良かれ悪しかれめったにないことであって、高速道路や橋のような大規模な建設計画でさえそんなに長いスパンのものはない。こんなに長期間にわたって、これだけ人口に膾炙した日付は、比べるとするなら香港返還くらいではないだろうか。そう思うと、それだけで大予言というものに価値を見出してしまうほどである。ところが、いざ七月になって痛感したのは、何日であるかを予言に盛り込んでおかなかったのは予言者として大きなミスではないかということである。

 昔から締め切り間際にならないと仕事をしない悪い癖がある、というと、私もそうだと同意してくれる人は非常に多いのではないかと思う。以前は本当にそうだったのだが、私の場合、気も小さいので、仕事で給料をもらえる身分になった最近になって、締め切りのかなり前から仕事に手は付けるようになった。まず、仕事のアウトラインを考え、小さな山がどこにいくつあり、どういう困難があるがそれはこのようにして解決するなり避けるなりできる、というプランを立てる。で、その次になすべきことはこの山を一つ一つ片づけてゆくことなのだが、それを締め切りまでに等分に振り分けると、今日はとりあえずなにもしなくてもよいということになる。というわけで、ぼちぼちやってはいるのだが、結局仕上がるのは締め切り間際になってしまうので、傍目にはどこが進歩したのかまったくわからない。

 とても話がずれた。つまり、七月になったところで、何日がその予言の日付だかわからないので、パニックはたいへん起きづらくなっているのである。たとえば、七月一八日、などと期限が切られていれば別だ。さあ、今日は世界が滅亡する日だ、とまでせっぱ詰まってみれば、自暴自棄になってなにかどえらいことをしでかす人もいるだろう。ところが、今日かもしれないし、明日かもしれない、ひょっとして今月末の三一日なのかもしれないし、さらにややこしいことにユリウス暦とかなんとかの関連で来月なのかもしれない、ということになると、なかなかそういう踏ん切りはつきにくいものである。予言が「人類の滅亡」を意味するわけではない可能性もあるのだから、さらに吹っ切るのは難しい。人間はすべからく、締め切り間際にならないと仕事をしないものなのではないかと思う。

 つまり、ノストラダムスは、多分そんなつもりはなかったのだろうが、もし現代にパニックを起こすつもりであったら、日付をちゃんと入れておくべきだったのである。現実におけるさまざまな事件、たとえば惑星の配列がどうなるかに関連付けたり、詩篇のなかから読み取った数字を加工して作った正確な日付なるものを誰か「解読者」が唱えたとしても、それはいま一つ、大多数の人を納得させられるだけの説得力を持つことはできない。これらは結局のところ誰が解読するかによって大きく違う事柄なので、本質的に信用されっこないのである。

 この、空から来るとされる、これも解読者によって言うことが違う、恐怖の大王候補として、いくつも挙がっている事柄の中に、アメリカが打ち上げた惑星探査船である「カッシーニ」がある。私もこの話を、初見は週刊少年マガジンの某連載ではなかったかと思うのだが、読んだときにはちょっとぞっとしたものである。この探査船、打ち上げられた後、金星に接近などしながら軌道を2周してきてもう一度地球に接近して、スイング・バイという方法を使って加速し、土星などの外惑星に向かう航路をとっているのだが、その地球最接近の日付が今年の八月半ばなのだそうである。なにもそんな予言の日付に合わせるように打ち上げなくても、と思ったものである。アメリカ人、何をするのか。怖いじゃないか。

 まあ、惑星の配列とか予算とかいろいろ都合があってこういうスケジュールになってしまったのだろうが、これでちょっと気がついたことがある。

 スイング・バイというのは、惑星間航路をとる宇宙船、特に外惑星へ向かう探査船などで多用されている航法である。惑星間を飛んでいる宇宙船が、太陽の周りをかなりの速度で公転している惑星に近づくと、惑星の重力に引っ張られて加速されることになる。例え話で説明すると、ターザンが例の叫び声をあげながら、蔦をつかんで足場を離れたようなものである。ターザンの体は、蔦が円弧を描くにしたがって高さが減り、その分速度を得ることになる。ターザンが最低点を通過すると速度が減ってゆくように、惑星に近づくことで宇宙船が得たエネルギーは、宇宙船が惑星から離れるときに結局失うことになるのだが、この場合惑星がものすごい速度で動いているので、宇宙船は結果として大きな速度を得ることになる。ターザンの例で言えば、蔦が上の方の樹木から垂れ下がっているのではなく、ヘリコプターからつるされていてしかもヘリコプターが移動しているような状態である。ターザンは同じように蔦につかまっているのに、実際にはヘリコプターに振り回されて投げ出され、蔦を放したときにはものすごいスピードで森を吹っ飛んでいることになるのだ。

 さて、あなたがバランス感覚に優れた、詐欺や大予言には騙されない人ならば、宇宙船が加速されるのはいいが、世の中にそんなうまい話があっていいものか、とここで当然思ってしかるべきである。一見だれも損していないようだが、宇宙船が無料で加速されていいはずはない。必ず誰かが損しているはずである。
 そう、もちろん宇宙船が得た運動エネルギーを負担している物がある。こうして宇宙船が加速すると、ほんのわずかだが、惑星の方が遅くなるのである。宇宙船が惑星の重力で加速されるということは、惑星が宇宙船の重力で減速されるということなのだから当然である。ターザンの例をもう一度使うと、ヘリコプターに吊るされた蔦を使ってターザンが大加速を行うと、ヘリコプターの速度が少し減るわけで、これは納得できるところではないかと思う。

 つまり、カッシーニをはじめとするアメリカの外惑星探査船は、確かにわずかずつではあるのだが、スイング・バイで燃料を節約するたびに、使った惑星の公転速度を遅くしているのである。私は火星や木星といった外惑星だけがこういうことに使われているのだとばっかり思っていたので、カッシーニのように地球の公転速度を使った航路をもつものがいることに驚いた。地球の元気を少しだけもらうというと、まるでドラゴンボールに出てきたあまり有名でない必殺技「元気玉」のようだが、悟空ならともかく、アメリカの探査船に知らない間に地球の元気が奪われているというのは、あまり良い気はしない。

 アメリカ人、私のものでもあるこの地球の公転速度を勝手に落としていいと思っているのだろうか。とりあえず、こういうことですんでひとつお許しを、今度いいところにご案内しますし、とかなんとか、NASAの方から何か一言私に挨拶があっても良かったのではないだろうか。ターザンも怒っているに違いない。

 もっとも、正直に言うと、この効果の小ささといったら、蔦につかまったターザンが、肩からノミが飛び立つのに怒るようなものである。なにしろ、地球とカッシーニの質量比は、ターザンと小さ目の高分子くらいなのである。バクテリアやウィルスよりも小さいのだった。実際にどのくらい地球の速度が減るものかを計算すると、怒りもすっかり冷めてしまう。
 だから、ターザンも、まあ、怒るな。


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