月食に関するいくつかの知識

 話題の価値は「君は知らないが私は知っている」ということによってその軽重が決まる。たとえば「今、ゲームセンターにはギターを弾くゲームがあるらしいよ」という話題を持ち出した場合、考えられる反応は「ええええ、何だって、しばらくゲーセン行かないうちにそんなものが」から「馬鹿言ってんじゃないよ、もうすぐプレステ版が出ようかってときに」までいろいろあることだろう。話題がどの程度新しい情報なのか、また相手の知識がどの程度か、この場合だとアミューズメント業界にどの程度慣れ親しんでいるのかによってこの話題の価値が上下すると言える。

 降り注いでは通り過ぎてゆく流行ではなくて、もっと実質的な知識を話題とする場合もこれと同じことである。「イルカって哺乳類なんだよね」などという知識を披露しても「へえええ、大西さんって物知りぃ」などという反応が返ってくることは、残念ながらあまりない。ではどの程度の知識であれば良いかというと「最近の宇宙論によれば宇宙の半径の増加は従来考えられていた減速しながらの膨張ではなく加速膨張を行っているとされ、原因には諸説あるもののこれはかつてアインシュタインが導入した『宇宙定数』の復活を意味するものである」と、マニアックすぎるのも考えものであるが、ともかく、相手が知らないことにはそれだけで価値がある。

 さて、どうしてこういう話を始めたのかというと、テレビのニュースを見ていていささか考えさせられることがあったからだ。今晩は部分月食だったのだが、どういうわけか、どのニュースでも必ず月食の原理の説明をはじめるのである。ニュース番組とは昔からこうだったか。どうも思い出せない。思い出せないが、月食の映像を背景にアナウンサーは言う。

「今日は月食でした。月食とは月が地球の影に入ることによって起こるもので、今回は部分月食と呼ばれる、月が部分的に欠けるものです」

 そんなことは知っているのである。まあ、テレビのニュースはそもそも、夏至は一年で一番昼間の時間が長い日で、とか、この祭は平安時代に豊作を祈願してはじまったもので、とかそういう言わずもがなの説明をしたがるものだが、これを聞いて「なるほど知らなかった。月食というのはそういうことだったのか」と納得する人なんていないと思うのだ。話題としての価値がゼロに等しいこういう情報を嬉々として語るニュースはいったいなんなんだろう、と思ってしまうのである。

 しかし、考えてみれば、では原稿を書かせてやるから、だれもがうなずく月食のニュースを作ってみよ、と言われるとそれはそれで答えに窮する。ちゃんと説明しようとすると、こんな感じになるだろうか。

「今日は月食でした。月食は地球の影に月が入ることによって起こりますが、地球と月の公転面が角度にして5度ほど傾斜しているために、満月のたびに起こるわけではなく、一年に約二度、月の公転軌道である白道と地球の公転軌道である黄道が交差する時期に満月が重なった場合のみ起こることになります。今回は部分月食と呼ばれる、月が地球の本影の縁付近を通過するため起こるもので、最大40パーセントが欠けるものでした。次回の月食は2000年7月16日夜で、これは月が完全に地球の影に入る皆既月食です」

 どうも冗長である。たかが部分月食でこんなにニュースの時間をとるわけには行かないし、コメンテーターになにかコメントをもらう時間もなくなってしまう。もっと短く編集してみよう。

「今日は月食でした。月食は地球の影に月が入ることによって起こります。今回は部分月食と呼ばれるもので、40パーセントが欠けました。次回の月食は来年の7月16日で、月が完全に欠ける皆既月食です」

 なんということだろう。普通のニュースの原稿になってしまっている。これではなんにもならないのである。なるほど、ニュースの原稿はこうして作られたのだな、と半可通な納得をしてしまいそうであるが、さっきの批判はなんだったのだ、とマスコミ関係者の怒りの声が聞こえてきそうである。だいたい、最初の原稿にしたところで、知っている人は聞かなくても知っている、知らない人は聞いてもわからないというものだ。ええい、義務教育ではないのだ。知らない人は置いてゆくとして、基礎知識を省くとどうなるだろうか。

「今日は部分月食でした。地球と月の公転面のなす角は約5度です。月が黄道と公差して、月が地球の本影に最大40パーセント隠れました。次回は皆既月食で2000年7月16日です」

 うんちくメモではないのである。脈絡なく情報だけ詰め込んでも仕方がない。

「今日は部分月食でした。最大40パーセントが欠けました。次回は皆既月食で2000年7月16日です」

 やや、これでいいのだろうか。いいような気もするが、あっさりしすぎていて、ニュースを見ている人が面白くもなんともないのである。やはり、必要なデータはしっかり伝えた上で、なにか視聴者が知らない、面白い情報を入れなければならないのだろう。さきほどの宇宙論の話のような特殊な知識を入れるとなるとやはり一般には難しすぎるので、ニュースキャスターの個性というものを打ち出す方向になるだろう。

「今日は月食でした。月食といえば日食に比べていまいちありがたみに欠けるものですが、今回はそれに輪をかけてつまらない部分月食でした。日本では午後8時に最大40パーセントが欠けております。映像が入っていますがなんだか普通です。すいません。次回はさすがに皆既月食ですんでひとつよろしくおねがいします」

 感想を入れてみたが、そんなに面白くないなら放送するな、と抗議が来そうである。何かエピソード、エピソードを。

「今日は月食でした。月食といえば小学生のときに皆既月食を見たことがあります。その時は冬で、欠けるのを待っていたのですがあまりにも寒くて外で待っていられませんでした。それで家に入ってテレビを見たりして時間をつぶしたのですが、いざ予告された時間に外に出てみると完全に欠けてしまって月がどこにあるのかわかりませんでした。友達の家でまだやっていないロールプレイングゲームのエンディングだけ見せられたような気分でした」

 だから、これでは雑文なのである。


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