草津へ

 その日、わたしは草津にいて、しかも一人だった。

 予定がぎっしりとつまった旅行のはずだったのだが、ふと自分が、近くのスキー場でのスキーの特訓も、ホテルのプールでの水泳も、もうすっかり嫌になっていることに気がついてみると、この午後は全くなにもすることがないのだった。そこで、わたしは一人、外套を着込んで雪の草津へと、ホテルを出た。1997年の、正月が明けて間もない、ある日のことだった。

 ここへ来た本来の目的は、集中セミナーの類であった。さすがにわざわざ温泉地で行うだけあり、わりあい多くとられている余暇は、スキーと、せいぜいプールで泳ぐことで完全に費やされてしまう予定だったから、まさか自分が温泉街になにか娯楽を求めるなどという事態は予想だにしていなかった。そういうわけで下調べはまったくしておらず、草津というのがどういう土地なのかということすら知らなかったのである。前に伊豆について書いた通り、関西人が関東の観光地について持っている知識というのはそういうものなのだ。雲が低く、速く流れすぎてゆく天気のなか、わたしはロードヒーティングが入れられているおかげで雪が積もっていないホテルから温泉街への道路を、ゆっくりと下っていった。

 高原の町である草津は、今や温泉街として隆盛を誇っているが、もともとは冬場に人が住めるような土地ではなかった。江戸時代から湯治場として非常に有名ではあったものの、ふもととの交通の便が悪い上に、付近では、なにしろ硫黄を含んだ温泉がそこら中に湧いて出ているため、ろくな作物が取れないからである。営業は夏場のみで、冬に温泉街で年を越すのはわずかな守りの人間だけだったとのことである。温泉街への道すがら眺めた小川から盛大に腐った卵臭い湯気が上がっているのを見たわたしはさもありなん、と思った。こういう知識は、バスターミナルに付設された「草津温泉資料館」というところで仕入れたのだが、こんなところも見て回っているという事実が、わたしがいかにその日なにも予定がなかったかを証明していると思う。なお、草津温泉は、この資料館によれば日本武尊と行基と源頼朝によってそれぞれ独立に発見されたらしい(本当にそう書いてある)。

 ろくなプランを立てていないため、行動も刹那的である。温泉資料館でアウトライン的な知識を手に入れたわたしは、ともかく町を歩くことにした。湯畑という、温泉から湯の花を作る貯湯地を見学したり、狭い階段を上り下りして、わき道に残る積雪を踏みしめつつ、何を祭ってあるのかよく分からない神社に、それでも一種敬虔な気持ちを呼び覚まされつつ参拝したり、あるいはどこかの家の軒先で、午後の太陽を浴びて長く伸びている猫を見つけて撫で回し、さらに伸ばしたりした。一応小目的として、その晩読むべき文庫本を探してはいたのだが、土産物屋の一角に作られた、わたしの下宿の本棚よりも小さな売り場に失望したりしてした。

 まったくのところ、草津で、みやげもの以外のものを買うのは難しい。このとき読んでいたのは新潮文庫の、司馬遼太郎「項羽と劉邦」の中巻だと、日記に書いてある。わたしは下巻だけを探していたらしいのだが、それは確かに無理というものだろう。結局このときした買い物は、酒屋で、美味しそうに見える日本酒の一升瓶を一本買って、大阪に向けて送ったくらいのものだった。これも、なんだかあまり美味しくなかったような記憶がある。

 そろそろ帰ろうかと、ホテルに引き返しかかったわたしが、ふと思いついて最後に訪れたのが「熱帯博物館」であった。店構えを見ると、実に温泉地らしい、安っぽい見せ物小屋ではないかと思えたので、どうしてそのときのわたしがその気になったのかわからない。ところが、入場料(確かに決して安くはなかった)を払って入ってみると、これが、かなりしっかりした動物園だったのである。しかるべき時間に来れば猿を使ったショーも見られるらしい。そういえば、伊豆シャボテン公園にもサルのショーがあった。日光もそうだが、関東では観光地というとサルなのかもしれない。

 今は閑散としているサルのステージを過ぎ、それとは別にあるサル山に向かって係の人が餌をやっているところを偶然見て、群れの秩序ということに一瞬思いを馳せ、「世界の蝶」展をざっと見て「蝶も虫だなあ」という感想を抱いた後、屋内の熱帯を模した温室に入る。ここにもまた、かなり多種多量の動物が飼われていた。ヌートリアやプレイリードッグのような、わたしの「うにゃあなんてかわいいんだにゃあ」本能を呼び覚ます小動物たちから、どうしてこんなものが飼われているのかわからない、ワシントン条約はどうなったんだ級の動物まで、さまざまである。通路の脇に置物然として立っている実は生き物であるオウムを見ながら奥に入ると、順路は地下に入ってゆく。

 何度も書くようだが、わたしは一人だったのである。半日のあいだ、「大人一枚」以上の会話を誰ともしないでいると、なんというか、人間、臆病になるものらしい。うねうねと曲がった通路の先に、原色鮮やかな姿でぴょんぴょんと跳ねまわる蜘蛛や、長くてうねうねしていてゆっくり動いている薄緑色のヘビや、水に半分つかって溶けたように横たわっている両生類を見るたびに、心の中で小さな悲鳴を上げてしまった。たとえば、水族館で深海のいきものコーナーを訪れたりするとよくこうなるが、この場合次に来るものが予想がつかないので、通路の先に水槽を発見してから中をのぞき込み、うひゃあ、こんな生き物がいるんだねえ、となるまでがまったくのスペクタクルなのであった。わたしはおおいにどきどきし、時には心臓のありかがわかるほどびっくりし、思いもかけずずいぶん楽しんだのである。

 わたしは、この博物館がなかなか面白かったと、ホテルに帰って友人に伝えた。ところが、友人の返事は、そんなものあったかなあ、であった。友人が持っているガイドブックを見せてもらうと、確かにそれらしい記述がない。わたしは後で行ってみるといい、と友人をけしかけたのだが、結局行かなかったようである。
 というわけで皆さまにお勧めしようと思って、わたしは今、草津町のホームページを調べたところである。ところが、驚いたことに、ここにも熱帯博物館に関する記述はない。観光案内にたまたま載せなかっただけなのだろうか。いやいや、町内にあんなものが一つあれば書かないわけはないのである。あるいは、その時から今までの間に、施設自体がなくなっているということなのかもしれないが、にもかかわらず、あの経験全体が幻ではなかったかとの疑いを、いま、わたしは捨てきれないでいる。だいたい、温泉地に、どうして熱帯博物館なのだ。おかしいじゃないか。


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