クローニング苦労人

 パソコンのドナーカードという話を考えた。公共のパソコンに「私は、故障の判定に従い、故障後、移植の為に○で囲んだ内蔵装置を提供します」と書いたカードを貼るのだ。これで転勤などで持ち主がいなくなったりしても去就に困ることはない。裏には提供する臓器の種類として「メインボード、メモリ、電源、ハードディスク、フロッピーディスクドライブ、サウンドカード、ビデオボード、ネットワークカード」などどいう項目が並んでいるのだろう。そういえば、他はともかく、中枢神経であるCPU「ペンティアム90MHz」などというものにあまり使い道がないというのも実際の臓器移植に似ているような気がする。

 パソコンならば、日本橋や秋葉原でしかるべきパーツを買い揃えてきて組み立ててれば、メーカー品と比べて、少なくとも性能的には(というのも外観はどうしてもかなわないところがあるから)遜色ないものを作ることができる。一方、人間というものが、それを構成する体のパーツの寄せ集め以上の価値を持つものであることは誰もが納得してくれるところだろう。しかるべき内臓と筋肉と骨と脳髄をもってきて組み立てたところで、アインシュタインになるわけではない。あなたや私になってしまうかもしれないのである。

 ええと、いま何か間違った。あなたや私になってはいかんというわけではないのだが、むむ。そうだ、ここにある石ころだって世界に一つしかないという点ではあなたや私と同じなのである。そう、一つしかないことに価値があるとするなら石ころだって価値を認めなければならないのである。だから、また間違っているぞ私は。
 何がなんだかわからなくなったが、要するに、あなたや私という存在は、人間の体というハードウェアに束縛されて不可分のものではあるが、本質的にはその上にあるソフトウェアなのだから、部品の寄せ集め以上のものであるのは当然のことである。パソコンの比喩に戻ると、私のパソコンとあなたのパソコンの違いは、私のパソコンには綺羅星のごとくアイデアが並べられた、ホームページ更新用のネタ帖が保存してあるということである。あなたのパソコンがペンティアムIII 600MHzであろうが、G3 450MHzであろうが、1GHzのアルファチップであろうが、その点において私のMMXペンティアム機にはかなわないのである。って、こんなゴミデータだれもいらないわなあ。石ころなのかなあ、やっぱり。

 自己憐憫の甘い罠に落ちそうになったが、要するにそういうわけなので、私の脳が死に、私が部品の寄せ集めに過ぎなくなったとしたら、やはりそれはもう私ではないと思うのである。これは、肉体を軽視するのではなく、ソフトウェアである知識経験人格といったものに敬意を払うことだと理解していただきたいのだが、こんな考えの末、私は、周囲の反対、冷ややかな意見といったものにもかかわらず、ドナーカードを携帯している。コンビニのレジのところで配っていたので、そこから3枚もゲットしたのだ。

 そのうちの一枚はまじめに書いたのだが、二枚目、いつも鞄の中に入っているものには、提供する臓器に全部丸をつけた上で「持ってけドロボー」と書き込んである。思うのだが、これ、一部だけ丸を付けるひとなんているのだろうか。心臓や腎臓は喜んで提供するが、肺だけはごめんだ、だって黒くて汚いんだもの、恥ずかしいよ、とか、肝臓は脂肪で肥え太っているので他人の目に触れさせたくない、などということがあるとは思えないのである。心は心臓に宿るからこれは差し上げられません、他はいいです、などという宗教があるのだろうか。

 ともあれ、臓器移植というのは、ドナーの都合がつくかどうかという運のようなものもあり、いつまでたっても難しい問題であることには変わりない。それを解決しようと思うと、臓器を新たに作り出す技術が必要になるわけである。一つにはクローンがそれである。自分と同じ遺伝子を持つ新しい個体を作り出すというクローン技術、ずいぶん先のことだと思っていたら、もう実用化寸前まで来ているようだ。牛や羊で成功したのなら、もう人間で成功することは約束されているようなものだという気がする。

 日本でも確かクローン人間の技術を開発する研究は禁じられたのではないかと思うのだが、私はこのニュースを聞いたときに、法律で規制して規制しきれるものだろうか、という感想とともに、このおかげでクローン技術が進歩せず、クローニングした体から臓器移植を行える未来を閉ざしてしまうことになりはしないか、と危惧したものである。自分の細胞から作ったクローンから臓器移植を受ければ、ドナーが現れるのを待つ必要も、拒否反応を恐れる心配もない。そんな世界が、生命倫理という旗印の下に実現しないとなると残念なことだ、と思ったのである。

 ところが、最近の研究によれば、たとえば肝臓だけを必要としている場合も脳まで含んだ体全体をクローニングするという、荒っぽくて資源を浪費し、かつ倫理上おおいに問題がある方法ではなくて、分裂する細胞に鍵となる蛋白質を与えながら「君は成長する赤ん坊の中の細胞で、しかもこれから肝臓になるところなのだよ」と騙すことで、肝臓だけを作ることができるようになる可能性があるらしい。来世紀の半ばごろに実用化すればいいなあ、という感じであるとのことである。先ほど述べた自己中心的な立場からすれば、その手の研究がちゃんと進んでいて、大変に嬉しい。

 さて、ドナーカードの最後の一枚、いつも財布の中に入っているものには、カードの裏側にマジックで大きく「山田君、臓器全部持ってっちゃって」と書いてある。さっきの鞄の中の一枚もそうだが、交通事故で脳死した私の体を囲んで救急隊員や家族がくすりと笑ってくれればいいかなあ、などと思っているのだが、読んでもらったときの効果を高めるため、まだ家族には署名をもらっていないのである。ひょっとして無効なのかもしれない。


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